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今日は「小学校開校の日」だと言う。
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私が1960年(昭和35年)春に卒業した母校=小学校は、1876年(明治9年)に開校。
1954年(昭和29年)に村立から町立へ、1962年(昭和37年)に町立から市立へと、自治体の合併に伴って変遷した後に、
私が社会人となった1971年(昭和46年)の統廃合によって、95年の歴史を閉じ廃校となった。
そして恐らく、北陸・金沢の北北東10kmの農村地帯に位置した母校95年の歴史の中で、
我々1960年(昭和35年)春の卒業生が、ベビーブーマーとして最大数(クラス32名)を記録したのだろう。
このことは日本全国的な傾向値に違いない。
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そんな小学生の時の思い出は、良くも悪くも沢山ある。
これまでも幾つかブログ(※巻末)に書き記して来た。
その中で、お題の「小学生時の一番の思い出は?」の答としては、次の出来事。
私の生まれ育った北陸は、雪害については、1963年(昭和38年)1月の"38(サンパチ)豪雪"を始めとして数多くある。
でも、台風被害については、太平洋側と違って稀(まれ)だった。
しかし、1959年(昭和34年)9月に襲来した
「台風15号」--後に"伊勢湾台風"と命名された--
は、全く違っていた。
中部地方全域を襲ったのは、9月26日(土)~27日(日)。
三重県津市地点で、最低気圧944.4mb(hPa)・最大風速36.8m/s(最大瞬間風速津 51.3m/s)、
高潮による被害が顕著で、死者4,697名・行方不明者401名・負傷者38,921名、住家全壊40,838棟・半壊113,052棟、床上浸水157,858棟・床下浸水205,753棟。
26日18時頃、和歌山県潮岬に上陸しても余り衰えることなく北上、僅か6時間余りで本州を縦断、富山市から日本海に進み、北陸~東北地方の日本海沿いを更に北上し、東北地方北部を通って太平洋側に駆け抜けた。
勢力が強く暴風域も広範囲で強風が吹き、九州から北海道に掛けてのほぼ全国で20m/sを超える最大風速と30m/sを超える最大瞬間風速を観測した。
紀伊半島沿岸一帯~伊勢湾沿岸では高潮・強風・河川氾濫により甚大な被害を受け、特に愛知県では激しい暴風雨下の高潮により短時間のうちに大規模な浸水が起こり、死者・行方不明者が3,300名以上に達する大きな被害となった。
また、三重県も同様に高潮の被害を受け、死者・行方不明者が1,200名以上となった。
このモンスター台風は、北陸通過時点でも殆ど勢力が衰えなかった。
26日の夜やって来て北緯36度・東経136度でも940mb(hPa)。
こんな強いのは後にも先にも来なかった。
*
当時の私は小学6年生。
今は無き私の実家は、隣接する鎮守様=神社の大きな杉の木が倒れて、屋根に寄り掛かってしまった。
亡き父の指揮の下、家族6人全員で、朝まで2階の壁と柱を支え続けた。
こんなことで果たして支え切れるのか?
不安と恐怖が一杯だったが、父も家族も必死だった。
翌日、氏子の皆さんが、御神木の杉を斬ってくれ家の倒壊を免れたのだった。
あの朝、子ども心に、境内で暴れ捲(まく)って屋根に上ったり御神木にも何度か小便を引っ掛けるなど、悪行の数々に罪悪を感じた。
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(※) 私の小学生の思い出ブログ
私と台風被害の思い出(2012/6/19)
小学校の運動会の思い出(2013/10/02)
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【番外】 バファローズポンタ情報