9/1(金)深夜の文化放送「走れ ! 歌謡曲」から流れる、
懐かしい青江三奈さんの声だとばかり聴き入っていたところ、
何と ! 歌: 安倍里葎子さんの「恋人気分で」 と知り驚いた。
青江三奈さんは、本名: 井原静子。1941年5月7日東京都江東区砂町生まれ。成徳学園高等部(現・東京成徳大高校)卒業。昭和を代表する演歌歌手だったが、惜しくも2000年7月2日に膵臓癌により死去された。59歳没。
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一方の安倍里葎子さんは、本名:熊木律子。1948年10月7日熊本県熊本市生まれ、北海道札幌市育ちの我ら団塊世代。札幌香蘭女子学園高校(現・札幌山の手高校)卒業。
地元・札幌の音楽喫茶「ジョージの城」で平尾昌晃にスカウトされ、安倍律子でのデビューシングル「愛のきずな」(作詞: 加茂亮二、作曲: 鈴木淳、1970年、キング)のヒットにより、第12回日本レコード大賞新人賞などその年の新人賞を総なめ。
続く「愛のおもいで」(作詞: 加茂亮二、作曲: 鈴木淳、編曲: 小谷充、1971年、キング)、「お嫁に行くなら」(作詞: 加茂亮二、作曲: 平尾昌晃、1971年、キング)などのシングルもヒットした。しかしその後は低迷した。
ところが1983年、橋幸夫の新作としてデュエット曲「今夜は離さない」(作詞:藤波研介、作曲:幸耕平、編曲:南郷達也、リバスター、1983年)の相手役として抜擢され、大ヒットとなった。
だがソロでも復活できると考えて、突如失踪の手に出てしまった。
デュエット相手が居なくなった橋は、「今夜は離さない」をテレビやショーで歌えなくなり途方に暮れた。
以降、松方弘樹、桜木健一、林与一、誠直也、KINYAらとデュエット遍歴、「デュエットの女王」の異名を得る。
その後、芸人・小野ヤスシとの泥沼不倫をし、小野は妻と離婚した。マスコミは安倍をバッシングしたためイメージダウンし仕事が激減。干された安倍さんはドサ回りをこなした。
尚、2014年に不義理をした橋と和解していると言う。
現在では、港区三田界隈で暮らす。
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歌: 安倍里葎子「恋人気分で」
作詞: たかたかし、作曲: 幸耕平、テイチク、2017/7/19(水)発売
2020年の歌手生活50周年に向けて、心機一転、テイチクレコードへ移籍。
①
わたしを誘う あなたの視線が
火傷するほど 熱いのよ
胸の鼓動が はげしく燃えてる
um um やさしく 愛してネ
甘いカクテル ボサノバのリズム
からだもこころも あずけて
踊って 見つめて 目をとじて
踊って 抱きしめて 気分をだして
二人の時間が 迷子になって
夢の 夢の世界へ
②
あなたのハートを 信じてみたいの
ガラス細工の 幸せを
いつか涙で 別れがこようと
um um あなたを恨まない
甘いカクテル ボサノバのリズム
からだもこころも あずけて
踊って くちづけ ときめいて
踊って 抱きしめて 気分をだして
二人の時間が 迷子になって
夢の 夢の世界へ
==以下、略==
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ところで、この曲の作曲: 幸耕平(みゆき・ こうへい)さんは、
1973年、ロックグループ「トランザム」に参加。当時日本テレビで放映された中村雅俊主演「俺たちの旅」シリーズの音楽を担当。
トランザムのメンバーと共に、吉田拓郎をはじめ当時活躍していた
シンガーソングライターのライブや、レコーディングのアレンジ、演奏参加、アルバム制作等も行った。「嬬恋の5万人コンサート」にも吉田拓郎と共に参加している。
75年、「トランザム」を脱退後、自分のグループ「ゼロ戦」を結成。
自身のアルバムを制作する傍ら、作曲家を目指しスタジオミュージシャン活動を展開した。
77年、石野真子「ジュリーがライバル」、川島なお美「シャンペンNo.5」で作曲家としてデビュー。
その後はロックからポップス・歌謡曲まで幅広い作風で活躍した。
古舘伊知郎「燃えろ!吠えろ!タイガーマスク [初代タイガーマスク(新日本プロレス: 佐山聡)入場テーマ曲、作詞: 高田ひろお、作曲: 幸耕平、編曲: 南郷達也、RCA、1982年]、
あの歌: 橋幸夫&安倍里葎子「今夜は離さない」(作詞:藤波研介、作曲:幸耕平、編曲:南郷達也、リバスター、1983年)・・・日本有線大賞/特別賞、などで、一世風靡した。