昨日8/31(木)深夜、J:COM (CS)の洋画専門チャンネル#452「ザ・シネマHD」 で、ジャン=リュック・ゴダール監督の作品「男性・女性」を観た。
放送日時: 8/31(木)25:30~27:45 [9/1(金)1:30~3:45]
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大学教養部時代(1968or69年)に観たので、彼是半世紀ぶり。
当時の私は、洋画ではヨーロッパのヌーベルヴァーグ(ゴダール、トリュフォー、アラン・レネ、ルイ・マルら)やデ・シーカ、邦画ではATG(大島渚・羽仁進・今村昌平・篠田正浩ら)の難解な作品、そしてヤクザ路線などをたくさん鑑賞した。
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□ 鑑賞したゴダール作品
「勝手にしやがれ」 À bout de souffle (1960年)
「女と男のいる舗道」 Vivre sa vie. Film en douze tableaux (1962年)
「軽蔑」 Le Mépris (1963年)
「恋人のいる時間」 Une femme mariée. Fragments d’un film tourné en 1964 (1964年)
「気狂いピエロ」 Pierrot le fou (1965年)
「男性・女性」 Masculin féminin (1966年)
「メイド・イン・USA」 Made in USA (1966年)
「彼女について私が知っている二、三の事柄」 Deux ou trois choses que je sais d'elle (1967年)
「中国女」 La Chinoise (1967年)
「ウイークエンド」 Week-end (1967年)
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■ 「男性・女性」
ポスター
原題: 「Masculin, féminin: 15 faits précis」 [男性、女性: 15の明白な事実(断章)]
製作者: 「アルゴス・フィルム」を率いる映画プロデューサーのアナトール・ドーマン・・・ドキュメンタリー/実験映画畑、シネマ・ヴェリテ(突撃アンケート的)手法のプロデューサー。
製作国: フランス/スウェーデン合作
製作年: 1965年
配給:
フランス: コロムビア・フィルム、日本: 東和/ATG
公開年:
フランス1966年3月、スウェーデン・米国1966年9月、日本1968年7月。
受賞歴:
1966年ベルリン国際映画祭/ 青少年向映画賞・男優賞。
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原作: ギ・ド・モーパッサンの短編小説
「テリエ館(La maison Tellier)~ポールの恋人(La femme de Paul)」(1881年)、「オルラ(Le Horla)~合図(Le signe)」(1887年)。
監督: ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)
・・・略歴: 1930年12月3日フランス・パリ生まれ。フランス人の銀行家を父に、スイス人を母に持つ二重国籍者。1948年、両親の離婚によりパリへ戻り、リセ・ロメール校(日本の高校に相当)に編入、その後ソルボンヌ大学人種学に進学(中退)。ロメール主宰のシネクラブ・デュ・カルティエ・ラタンに参加、シネマテーク・フランセーズの上映室にも入り浸り、1950年に映画評論雑誌カイエ・デュ・シネマなどに批評を執筆するようになり、映画批評家としてデビュー。後にヌーヴェル・ヴァーグの仲間となったトリュフォー、シャブロル、リヴェットなどとも知り合った。51年にカイエ・デュ・シネマに参加。54~58年にトリュフォーと共同で短篇映画を撮り始める。1959年にトリュフォーの原案による長編劇映画「勝手にしやがれ」を制作。以降、ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として数々の作品を生み出し高い評価を受ける。コミュニスト。
助監督: ジャック・バラティエ、ベルナール・トゥブラン=ミシェル
音楽: ジャン=ジャック・ドゥブー
撮影: ウィリー・クーラン
編集: アニエス・ギュモ
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出演:
ジャン=ピエール・レオ (ポール・・・マドレーヌの追っかけ、ジャーナリスト・理想主義者) ⇒ベルリン国際映画祭/男優賞を受賞。
シャンタル・ゴヤ (マドレーヌ・・・売り出し中のポップ歌手)
マルレーヌ・ジョベール (エリザベート・・・マドレーヌのルームメイト)
カトリーヌ=イザベル・デュポール (カトリーヌ・・・マドレーヌのルームメイト)
ミシェル・ドゥボール (ロベール・・・自称・熟練工、労働組合運動活動家)
エヴァ=ブリット・ストランドベルイ (スウェーデン映画の中の女)、ビルイェル・マルムステーン (スウェーデン映画の中の男)
イヴ・アフォンソ (自殺者)
フランソワーズ・アルディ (役人の妻)
ブリジット・バルドー (カフェの女)、アントワーヌ・ブルセイエ (カフェの男)
概要:
仕事と恋ですれ違う1960年代パリの若者たちを、ヌーヴェル・ヴァーグの鬼才ゴダールが60年代パリの若者たちの青春群像をドキュメントタッチのシネマ・ヴェリテ形式で綴(つづ)る。
モーパッサンの作品を題材に、ぶっつけ本番のルポルタージュと演出によって仕上げた。
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ストーリー:
組合運動活動家のロベールを友人に持つ、16カ月の兵役を終えたばかりの青年ポール(21歳)。
ポールは、喫茶店でマドレーヌ(19歳)と知り合った。
雑誌社で働いているマドレーヌは、歌手志望でデビュー盤の録音で忙しい。
ポールとマドレーヌは、遊びのこと、就職のこと、給料のことなど話題にするが、会話を重ねてもはぐらかされてしまう。
そしてポールはマドレーヌにデートを申し込み、僕は君と寝れたらうれしいなと言う。
世界の中心は愛だと言うポールに、マドレーヌは自分自身だと言った。(※)
大統領選挙を控えた1960年代半ば(ド・ゴールが1966年に再選)のパリの街に、ポールとロベールはビラを貼って歩いている。
それでもマドレーヌとの仲は少しずつ進展して行き、友人のエリザベートとカトリーヌを紹介される。
マドレーヌのデビュー盤がまもなく出る。
ポールが愛してくれるなら、寝てもいいとマドレーヌは考えた。
マドレーヌが初めてレコード収録に臨む日、ポールはいきなり彼女に5分間で済む話だと喫茶店で求婚した。
だが彼女は初の録音で“今はだめ、時間がないの”と断る。
ポールが一人になった時、一人の少女が声をかけた。1万5千出せば、胸を見せると言うが・・・。
その後、遊技場でポールと口論した青年は、取り出したナイフを自分の腹に突き立てた。
冤罪で下宿を追い出されたポール。
彼はエリザベートの家に同居ししているマドレーヌと3人で寝る。
ここまでは、無職の青年がカフェで少女を見初めて、一緒に暮らすまでになるというラブストーリー。
街頭でポールからマッチを借りて返さない青年は、ベトナム戦争に抗議して焼身自殺を図った。
ポールは雑誌社に就職し、マドレーヌは妊娠。正式にプロポーズし新生活を始めようとした矢先に転落死してしまう。
自殺とは考えられないとカトリーヌは語り、子供を産むか堕ろすか迷うところで物語は終わる。
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フランス同時代の若者たちの分裂症的生態、ゴダール曰く「マルクスとコカ・コーラの子供たち」(The Children of Marx and Coca-Cola)的若者群像をエッセイ風に綴った。
恋とマルクス、愛と反戦、性愛とゼネスト、避妊とアメリカ、娼婦とコミューン、、、、15の明白な事実(断章)。
アイドル歌手シャンタル・ゴヤの儚(はかな)いそうな歌声をバックに描き出されて行く。
明らかに違う音楽性(ポールはバッハ、マドレーヌはポップス)と政治性(ポールはコミュニスト、マドレーヌは無関心)なのに、直ぐに懇(ねんご)ろになってしまう。
3人でベッドを共有する"新人類"の共同生活を送る。
理屈っぽいポールが男の象徴、感情だけで生きているようなマドレーヌが女の象徴・・・当時の恋愛に対する男女間の価値観の相違(愛の形而上学と恋する私)。
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□ 印象的なフレーズ
(※) 世界の中心は愛だというポール(P)に、マドレーヌ(M)は自分自身だといった。
M 世の中の中心は何だと思う?
P 世界の中心か? 初めての会話でこんな変な質問するのか?
M 普通の質問よ、答えて。
P それは愛だと思う。
M 私の答えは違うわ、変に思うかしら、自分が世界の中心だと思わない?
P ある意味ではね。
M どういう意味で?
P つまり、生きて、自分の目で見る、自分の口でしゃべる、自分の頭で考えるという意味で。
M 人間は一人で生きられると思う?
P ずっと一人で? 生きていけないと思う、生きられないよ。つまり愛がなくては生きられない、死ぬしかない。