◇
今朝3/16(水)の午前中、東京メトロ銀座線・銀座駅乗り換え、日比谷線「広尾駅」(港区南麻布5-10-28)へ。
朝はやや寒かったのに、ウォーキングしていると徐々に気温が上昇しているのが分かった。
この界隈は外国大使館の密集地域。
南の天現寺橋(「広尾駅」)からフランス・イラン・パキスタン・ドイツ・フィンランド・アルゼンチン・オーストリアの一の橋(麻布十番駅)。更に西麻布~南青山にも多い。
「有栖川宮(ありすがわのみや)公園」(後述)とドイツ大使館の間に在る(正確には在った)、
約15年前の現役時代に仕事の関係でお世話になった、
■ 「NTT麻布セミナーハウス」(南麻布4-5-63)は、行ってみると跡形もなく再開発されていた。
「南麻布四丁目計画」大成建設=住友不動産による高層マンション建設中。
*
広尾駅が面する「外苑西通り」を挟んで、「聖心女子大」「日赤看護大&日赤医療センター」の対面、
通称「麻布山」の一角、木下坂と南部坂で囲まれた広域に在る。
私のブログ 「有栖川宮公園」へ(2011/11/08記)
笠間浅野藩(後に赤穂浅野藩)の下屋敷 ⇒ 1656年に盛岡南部藩の下屋敷
⇒ 1896年に第10代当主の威仁(たけひと)親王の生母が住まわれた ⇒ 1923年に有栖川宮が廃絶した後は、高松宮にその祭祀職が継承された ⇒ 1934年に東京市に下賜(かし)されて以来、公園として一般に開放されて現在に至る。
向こうで、年少幼稚園児がコイさんに大声で話しかけている。
園内の「都立中央図書館」の在る東側の高台~西側の低地部へと傾斜した土地に、丘や渓流、滝、池など変化に富んだ景観が見られる日本庭園が広がっている。
湧水渓流のせせらぎ
間もなく開花するサクラもソメイヨシノやヤマザクラなど11種類。
ヒュウガミズキ(別名・イヨミズキ、マンサク科)
ミツバツツジ
ユキヤナギ
名作の誉れ高い騎馬像「有栖川宮熾仁(たるひと)親王銅像」。
「笛吹き少年の像」、「新聞少年の像」。
*
■ 今度は、対面の「聖心女子大」(渋谷区広尾4-3-1)、「広尾東公園」(広尾4-2-27)、「広尾ガーデンヒルズ」(広尾4-1)の坂を上ってみた。
和田シャクナゲ
寒椿
白木蓮
*
「外苑西通り」を北上する。
「広尾学園」(広尾5-1-14)
「ザ・パークハウス西麻布レジデンス」(港区西麻布4-5-10)
「六本木通り」と交差する。
左(西)は渋谷駅、右(東)は六本木駅・六本木ヒルズ、直進(北)は青山霊園・乃木坂駅・国立新美術館。
そこで北西方向に折れて、西麻布2丁目⇒南青山5丁目⇒表参道駅に向かう。
旧・霞町~旧・高樹町(たかぎちょう)の界隈である。
■ 曹洞宗普陀山「長谷寺」(西麻布2-21-34)
1584年に龍雲院と号し赤坂溜池で創建、その後当地へ移転。
曹洞宗の檀林所⇒現在は大本山永平寺の東京別院)。
境内が広い
*
■ 「富士写真フィルム」西麻布の旧・本社(西麻布2-26-30)
既に新本社は⇒東京ミッドタウン本社(港区赤坂9-7-3)へと移転。
六本木ヒルズ、さらに遠くに小さく東京タワーが見える。
*
■ 「骨董通り」
国道246号(青山通り)の南青山5丁目交差点と都道412号霞ヶ関渋谷線(六本木通り)の高樹町交差点を結ぶ。
かつては「高樹町通り」と呼ばれ、都電の走る電車通りだった。
終戦後、根津美術館・小原流会館などが在るこの通りに骨董品店が集まるようになった。「骨董通り」の愛称は1980年代頃から古美術鑑定家・中島誠之助が使い出したものが広まった。
「コシノジュンコデザインオフィス」
「ニッカウヰスキー本社」
■ 「根津美術館」(港区南青山6-5-1)
東武鉄道の実業家で茶人の初代・根津嘉一郎の収集品を展示、1941年に開館。
建築家・隈研吾の設計による新展示棟が竣工し、2009年に新装開館。
国宝・・・那智滝図・燕子花図・漁村夕照図・鶉図・禅機図断簡(布袋図)・根本百一羯磨・無量義経/観普賢経。
今回は、裏門を眺めただけ。
■ 「岡本太郎記念館」(南青山6—1—19、旧・青山高樹町3番地)
芸術家・岡本太郎が1953年~84歳で没した1996年、当地で暮らし創作活動を行っていた。
父・一平から相続して自宅兼アトリエとして使用していた南青山の資産を記念館としている。1998年に開館。1階には岡本が使用した筆や絵具、2階には油絵、彫刻などが展示されている。館内では写真撮影も自由である。
*
表参道は相変わらず若者や観光客が多い。
■ 「DIESEL青山」(南青山5-5-24)
今日が開店日だ。BLACK GOLD青山限定アイテム。
■ 「DRESSCAMP青山店」(南青山5-5-1)
たまたま焚いたフラッシュがヒットしてしまった!!
◇
帰途は、銀座線・表参道駅から一本で。
午前中で10,800歩の大台突破。