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春を待つ「六義園」⇒「染井よしの桜の里公園」⇒「旧古河庭園」を巡る

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3/8(木)は冬型の晴天で肌寒い。

お昼を挟んで、JR山手線・上野駅⇒駒込駅。本郷通りを歩く。

 

「文京区」「豊島区」「北区」の三つの区堺を渡ることになる。

 

 

*

 

 

これまで(2013~16年)の「六義園」「旧古河庭園」などの訪問記。

 

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関連ブログ

「旧古河庭園」の春バラ、「平塚神社」「滝野川公園」を巡る(2016-06-14)
12/3(水)「六義園」の紅葉を訪ねる(2014-12-09)
「六義園」--ツツジの始まりに(2013-04-09)

 

 

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■ 都立「六義園」(りくぎえん、文京区本駒込6-16-3)

 

 

赤穂浪士討ち入り(元禄15/12/14)の直前に完成していた、川越藩主・柳沢(⇒松平)吉保の庭園。

加賀藩下屋敷⇒川越藩下屋敷・庭園⇒三菱・岩崎家別荘・庭園⇒東京市庭園。
①小石川「後楽園」とともに江戸二大庭園、

②紀州「和歌ノ浦」の景勝を模した、中の島を有する大泉水名園、

③都区内有数のモミジ名所。

 

 

「不忍通り」⇒「正門」⇒「内庭大門」

 

赤レンガ塀、紅梅

 

 

過去の満開の枝垂れ桜(HPより)・・・2017年も3/16~4/2にライトアップ

 

 

「吹上茶屋」、「大泉水」に浮かぶ「蓬莱島」

 

枯れたままのガクアジサイ

桜の大木

 

 

 

はてなマーク

まだまだ春の装いが遅れている感じ。

枝垂れ桜も染井吉野(ソメイヨシノ)も後半月(3/24~25)で開花だァ !!

 

 

 

薮椿(淡紅)

 

ラッキョウ矢竹(奥)?、孟宗竹(手前)

 

 

山茱萸(サンシュユ)、藤棚

 

白梅(左)、開花を待つソメイヨシノ(右)

 

馬酔木(アセビ、淡紅)

 

木五倍子(キブシ)?

 

 

 

*

 


■「妙義神社」(豊島区駒込3-16-16)

 

 

日本武尊が東征の際、当地に陣営を敷き、後、651年に「白鳥社」を建てた。太田道灌が祈願し連勝を収めたことから "戦勝の宮" とも称された。

 

黄梅

不明?

 

 

□ 境内社「道灌霊社」。

 

 

*

 

 

「染井通り」を進み右折。

 

 

「真言宗豊山派藤林山西福寺」(駒込6-11-4)

「染井稲荷神社」(駒込6-11-5)

 


■ 区立「染井よしの桜の里公園」(豊島区駒込6-3-1)

 

 

2009年開園。駒込は、江戸時代に園芸の里として発達し、「染井通り」の一帯は植木屋が集まって住んでいた。ソメイヨシノは、ここ染井の地から全国へ広まって行った。公園の隣の土地には苗床があります。地元の桜の枝を接いだ接木苗を苗床で栽培し、成長したら区内の施設だけでなく全国へと送り出し、発祥の地・染井産のソメイヨシノを発信して行く。

 

河津桜(奥)、寒緋桜(手前)

 

辛夷(コブシ)

 

 

*

 

 

「染井坂通り」⇒「霜降橋」で「本郷通り」に戻る。

 

 

■ 都立「旧古河庭園」(北区西ケ原1-27-39)

 


明治の元勲・陸奥宗光の邸宅 ⇒ (次男が古河財閥の養子になった)古河家の所有 ⇒ 1917年、西洋風の館と庭園が造られ、迎賓館 ⇒ 戦時中は陸軍に接収 ⇒ 終戦後は連合軍に接収 ⇒ 東京都に移管 ⇒ 1956年、都立公園として開園(面積30,781㎡) ⇒ 2006年、文化財保護法により国の名勝に指定。洋館と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイア・コンドル博士(1852~1920)。洋館・・・外観はルネサンス調。現在は(財)大谷美術館が管理。
庭園の作庭者は、京都の庭師・植治こと小川治兵衛(1860~1933)。テラスが階段状に連なるイタリア式と、平面的で幾何学的に構成されるフランス式の技法を折衷。更に最下部の日本庭園と調和を図りバラ園の対象形を崩した。「洋風庭園」のバラ約90種180株。バラの花は年間を通じて楽しめるが、いわゆる"春バラ"は5~6月、"秋バラ"は10~11月のそれぞれ期間を指す。

 

 

着いて直ぐ、遅いランチ(手弁当)を食べた。

 

石造り洋館

バラが咲いていない「古河庭園」はやっぱり寂しい。

辛夷

 

心字池に白鷺が映る

 

思いの儘(まま)の梅

 

 

 

寒桜?、寒椿

 

三毛猫

ああいい子だねと話し掛けたら、ゴロ寝してくれた。

 

 

 

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本郷通りを進む。

 


■「平塚神社」(北区上中里1-47-1)


この地は、奈良時代には武蔵國豊島郡「荒墓郷」と呼ばれており、律令制/条里制の区画整理が行われて、その中で「中里」「上中里」の村名が生まれた。平安時代後期の「後三年の役」(1083~87年、源氏vs清原氏)の帰路に、源氏の棟梁・源義家(八幡太郎)、義光(賀茂次郎)・義綱(新羅三郎)の3兄弟が逗留。平安時代末期から「平塚郷」と呼ばれ、秩父平氏/豊島氏が「平塚城」を築いた。神社は、豊島氏が、後に源氏3兄弟を「平塚三所大明神」として奉祀・鎮守としたことが起源。

 

狛犬(こまいぬ)、拝殿


 
□ 境内社「菅原神社」(別名「平塚天神社」)

 

白梅

 


*

 

 

帰路はJR京浜東北線・上中里駅⇒上野駅。

 

今日のウォーキングは16,400歩まで達した。明日は足を休ませよう。

 


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