■ 7月27日は「スイカの日」
西瓜(スイカ)は夏の果物を代表する「横綱」であり、その縞模様(しまもよう)を綱に見立て、「7(な)2(ツー)7(な)」で「夏綱」の語呂合せから。
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□ お題「カットフルーツ食べる?」
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今年はエアコン無しには乗り切れない猛暑続きもあって、かつてない程の頻度で--2週に1回は--スイカを食べている。
産地としては、熊本・千葉・長野・山形などが多い。
カットフルーツ盛り合わせも時々チョイスしている。
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■ スイカの語源
「西瓜(スイカ)」は、中国・北宋朝(960~1127年) で西域(さいいき、ウイグル)から伝わった瓜の意味。
「西瓜」北京語読みxīguā シーグァ ⇒ 広東語読み(唐宋音)saigwa サイクワァ
⇒ 日本語読みスイカへと転訛し、漢字としては「西瓜」そのままの他、江戸時代には「水瓜」が当てられた。
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■ スイカの歴史
□ 世界の遷移
紀元前4000年、南アフリカのサバンナ~カラハリ砂漠などに自生(原産地)。
紀元前2000年、エジプトでは高タンパクな種を食べたが、紀元前1000年の欧州地中海沿岸では果物として食べた。
紀元前2世紀、シルクロード経由で中央アジア(西域ウイグル)へと伝来。
10世紀、西域ウイグルから中国・北宋朝へと伝来し広まった。
中国新疆ウイグル自治区ウルムチの街頭(時事通信2009年)
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17世紀、米国へはアフリカ移民が持ち込んだ。
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□ 日本への渡来
紀元前3世紀~紀元後3世紀、弥生時代の岡山市北区いずみ町・津島遺跡から、炭化した種が大量に発見された(高タンパクな種を備蓄か?)のは驚き!!
11世紀の平安時代、鳥羽僧正の『鳥獣人物戯画』にウサギが持っている果物の中に縞皮スイカらしいものが見られる。
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14世紀の南北朝時代、義堂周信(空華道人)の漢詩集『空華集』にスイカが詠まれている。
改めて、16世紀(1597年)にポルトガル人がスイカ・カボチャ(ともに種を食用)を長崎に持ち込むとともに、17世紀(1654年)に隠元禅師が中国・明朝からインゲン豆・スイカを持ち帰った。
江戸時代元禄期(1702年)に著された『摂津名所図会』に、津の国に古くから名産のスイカがあり「鳴尾西瓜」と呼ばれて味豊かな一品だったと記述されている。
葛飾北斎『西瓜図』(1839年)
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歌川広重『東都名所高輪廿六夜待遊興之図』(1842~44年)
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歌川国貞(三代歌川豊国)『十二月ノ内水無月土用干』(1854年)
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産地としては、熊本・千葉・長野・山形などが多い。
カットフルーツ盛り合わせも時々チョイスしている。
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■ スイカの語源
「西瓜(スイカ)」は、中国・北宋朝(960~1127年) で西域(さいいき、ウイグル)から伝わった瓜の意味。
「西瓜」北京語読みxīguā シーグァ ⇒ 広東語読み(唐宋音)saigwa サイクワァ
⇒ 日本語読みスイカへと転訛し、漢字としては「西瓜」そのままの他、江戸時代には「水瓜」が当てられた。
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■ スイカの歴史
□ 世界の遷移
紀元前4000年、南アフリカのサバンナ~カラハリ砂漠などに自生(原産地)。
紀元前2000年、エジプトでは高タンパクな種を食べたが、紀元前1000年の欧州地中海沿岸では果物として食べた。
紀元前2世紀、シルクロード経由で中央アジア(西域ウイグル)へと伝来。
10世紀、西域ウイグルから中国・北宋朝へと伝来し広まった。
中国新疆ウイグル自治区ウルムチの街頭(時事通信2009年)

17世紀、米国へはアフリカ移民が持ち込んだ。
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□ 日本への渡来
紀元前3世紀~紀元後3世紀、弥生時代の岡山市北区いずみ町・津島遺跡から、炭化した種が大量に発見された(高タンパクな種を備蓄か?)のは驚き!!
11世紀の平安時代、鳥羽僧正の『鳥獣人物戯画』にウサギが持っている果物の中に縞皮スイカらしいものが見られる。

14世紀の南北朝時代、義堂周信(空華道人)の漢詩集『空華集』にスイカが詠まれている。
改めて、16世紀(1597年)にポルトガル人がスイカ・カボチャ(ともに種を食用)を長崎に持ち込むとともに、17世紀(1654年)に隠元禅師が中国・明朝からインゲン豆・スイカを持ち帰った。
江戸時代元禄期(1702年)に著された『摂津名所図会』に、津の国に古くから名産のスイカがあり「鳴尾西瓜」と呼ばれて味豊かな一品だったと記述されている。
葛飾北斎『西瓜図』(1839年)

歌川広重『東都名所高輪廿六夜待遊興之図』(1842~44年)

歌川国貞(三代歌川豊国)『十二月ノ内水無月土用干』(1854年)

江戸時代末期、奈良県でスイカの栽培が盛んになり「権治」と呼ばれる品種が栽培されていたが、米国カリフォルニア大学から導入された「アイスクリーム」と呼ばれる品種と自然交配し「大和西瓜」が誕生した。
更に明治時代には継続して米国などから多くの品種が導入され品種改良されて行った。
大正時代に入ると、奈良県は「大和西瓜」の生産地として躍進した。
昭和時代初期、縦縞模様(たてじまもよう)の品種が広まった。終戦後の1954年、遺伝学者の木原均が種なしスイカを開発した(染色体数3nの品種「向陽」)。味・コストに難があるが東南アジアでは普及している。
更に明治時代には継続して米国などから多くの品種が導入され品種改良されて行った。
大正時代に入ると、奈良県は「大和西瓜」の生産地として躍進した。
昭和時代初期、縦縞模様(たてじまもよう)の品種が広まった。終戦後の1954年、遺伝学者の木原均が種なしスイカを開発した(染色体数3nの品種「向陽」)。味・コストに難があるが東南アジアでは普及している。