■ 6月19日は「父の日」
1909年に米国ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd, 1882/2/18~1978/3/22)が、男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、彼女は父の誕生月である6月に墓前に白いバラを供え、教会の牧師さんにお願いして6月に礼拝をしてもらったことが切っ掛けとなったと言われている。
1966年、米国第36代大統領リンドン・ジョンソンは、「父の日」を称賛する大統領告示を発し6月第3日曜日を「父の日」に定めた。
1972年、米国では正式に国の記念日に制定された。
「母の日」の花はカーネーション、「父の日」の花はバラ。日本では、米国に倣(なら)って6月第3日曜日が「父の日」となっている。
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□ お題「お父さんの好きなところを3つ挙げるとしたら?」
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【父の思い出 (好きなところ) 】
★ 反抗期
私は小学生~大学生を通して長い反抗期が続いた。
小学生~中学生時は時々癇癪(かんしゃく)を起こして家族全員に迷惑を掛け、夜勤明けの父に殴られたものだった。
高校生時は勉強に身が入らず成績が劣悪で、父が何度か進級会議前に呼び出された。
受験生の現役時は悉(ことごと)く失敗し、一浪時は次に失敗すれば就職との条件付きだったにも拘わらず初夏頃までブラブラ。ところが見えざる導きによって一念発起し成績急伸によって突破したのは未だに半信半疑のことである。
だが大学生時は学生運動に靡(なび)いてまたまた両親を悩ませた。就職活動時もまた地元期待に反して関東を選んだ。
事程左様に反抗塗(まみ)れの思春期を過ごしたのだ。
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★ キノコ狩り
私の父はキノコ狩り (石川県ではコケ取りと呼んだ) が大好きで、秋の休日には友人と福井県の山まで遠征するのが常だった。シーズン毎に数回はキノコ狩りに行っていた。我が家では、樽に塩水漬けにし、冬から春にかけて黒ずんだコケを小出しにしながら、味噌汁の具として味わったものだった。
生涯に一度だけ小学6年生の頃(1959年秋)、亡き父母と三人(子どもは長男の私だけ)で、石川と福井の県境、JR北陸本線/細呂木駅 (現在の福井県あわら市) から歩いた里山を訪ねたことがあった。その一つの山の中腹まで登って行くと、我が家の好物・シバタケ (正式名アミタケ)で一杯の山だった。初めての母も私も夢中で獲った。母はコケで一杯になった重い籠を背負いながら、あっちへ行ったりこっちへ来たり。その姿が何と無邪気に感じ今も尚、脳裏に焼き付いたままである。
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★ 無私の境地
私の父は国鉄(現・JR西日本)の車両検査掛として35年勤続(関連会社を含む)するとともに、夜勤明けを利用して副業の建具を熟(こな)していた。
その間、娘二人は結婚し、息子二人は大学(弟の方は高学費の医学部に再進学している)を経て就職・結婚した。
助産師だった母が56歳に胃癌で早逝した後は、シングルの主夫生活と野良仕事を続けて2004年に86歳の生涯を終えた。
60歳後半~70歳前半に掛けて一時期は我々の住む埼玉に身を寄せていたが、海釣りができる金沢に戻りたいと帰郷した。
晩年は姉が世話しながら、医療付きの特養老人ホームに入所し前立腺癌で逝去した。その約2年前に最後の見舞いとなった時の父は認知症が現われ、私をただじっと見つめるだけで言葉を発することは無かった。
生涯、家族のために献身的に生き、遊ぶことも無く一筋に働き続け、長男(私)とは真逆の人だった。