■ 1月20日は「大寒(だいかん)」
□「二十四節気」(にじゅうよんせっき)
中国の戦国時代(紀元前5~2世紀)に考案された『宣明暦』(せんみょうれき、太陰太陽暦)がルーツ。
日本の江戸時代1685年(貞享2年)に渋川春海ら暦学者によって『貞享暦』(じょうきょうれき、太陰太陽暦) をはじめ何度も改暦された。
明治時代1883年(明治16年)に『本暦』(別称『神宮暦』、太陽暦) とその簡略化した『略本暦』(りゃくほんれき)を発行した。
「大寒」は、「二十四節気」の第24節気目。現在広まっている定気法では太陽黄経が300度の時で1月20日頃。
*
▽ 日本の江戸時代1787年(天明7年)刊行/1798年(寛政10年)再版の著者:太玄斎(たいげんさい)/出版者:蔦屋(つたや)重三郎ほかによって成立した『暦便覧』では次のように説明している。
「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」
一年で寒さが最も厳しくなる頃。
暦の上では「寒」、即ち「小寒」1月5日~「大寒」1月20日~「立春」前日=2月3日の中日。期間としての意味もあり1月20日~2月3日。「寒」の後半に当たり日本では各地で1年間のうちの最低気温の観測される期間である。
北の雪国では雪のシーズンでありスキーなどが盛んに行われ、剣道・弓道・柔道などの武道ではこの頃に「寒稽古」が行われる。
「三寒四温」という慣用句のように、寒い日が三日続くと、その後の四日は暖かくなり、寒い中にも少しだけ春の気配を感じられる。
**
□「七十二候」(しちじゅうにこう)
古代中国(詳しい年代は不明) で考案された季節を表す方式のひとつ。「二十四節気」を更に約5日ずつ3つに分けた (24 X 5=72) 期間。
日本の江戸時代、『貞享暦』が編纂されたことに伴ない、日本の気候風土に合うように「本朝七十二候」として改訂された。
近代では1874年(明治7年)に伊勢神宮で編纂された『略本暦』の「七十二候」が主に使われている。
「大寒」は、「七十二候」の第66候目。
▽ 初候 1/20(木)~1/24(月)頃
「款冬華」(ふきのはな さく) 凍て付いた地面に蕗の薹(ふきのとう)が蕾(つぼみ)を出す頃。地面には雪が積もり強い寒さが襲って来る時期だが、草花は春に向けて着実に動き出している。
▽ 次候 1/25(火)~1/29(土)頃
「水沢腹堅」(さわみず こおりつめる) 沢の水が氷となり、厚く張り詰める頃。この時期に、一年での最低気温記録が出ることが多く、氷点下に達する地域も多くみられる。
▽ 末候 1/30(日)~2/3(木)頃
「鶏始乳」(にわとりはじめて とやにつく) 鶏が春の気を感じ、卵を産み始める頃。自然な状態の鶏は、日照時間が長くなるに連れて、産卵率が上がって行くため、春から夏に掛けてはたくさん卵を産む。
**
□ 旬(しゅん)の物
▽ 加工品
寒気を利用した食物として、凍り豆腐 [別名:高野豆腐(こうやどうふ)]、寒天、清酒、味噌などを仕込む季節。
節分の巻き寿司「恵方巻き」
干し柿・干し芋
▽ 花木・草花
南天(ナンテン)の赤い実
早咲きの紅梅・白梅
南国では柳が芽を葺く
水仙(スイセン)
福寿草(フクジュソウ)
蕗の薹(フキノトウ)
▽ 果物
金柑(キンカン)
温州蜜柑(ウンシュウミカン)
橙(ダイダイ)
柚子(ユズ)
▽ 野菜
牛蒡(ゴボウ)
蕗の薹(フキノトウ)
水菜[ミズナ、別名:京菜(キョウナ)]
春菊(シュンギク)
生姜(ショウガ)
▽ 魚
鰤(ブリ)
鱈(タラ)
鰡(ボラ)
鰈(カレイ)
鰆(サワラ)
蜆(シジミ)
赤貝(アカガイ)
▽ 鳥
雲雀(ヒバリ、ヒバリ科)の初鳴き
田雲雀(タヒバリ、セキレイ科)
鴲(シメ、アトリ科)
緑啄木鳥(アオゲラ、キツツキ科)
島柄長(シマエナガ、通称:雪達磨・雪見大福、エナガ科)
*
▽ 行事
1/20(木)・・・大寒
1/21(金)・・・東京都に新型コロナウイルス感染症(オミクロン株)が第6波の感染急拡大に伴い、「まん延防止等重点措置」を適用。2/13(日)まで。
1/25(火)・・・「日本最低気温の日」1902/1/25に北海道旭川市-41.0℃を記録。
1/29(土)・・・「昭和基地開設記念日」1957/1/29に日本の第1次南極観測隊が南極大陸オングル島上陸に成功し昭和基地を開設。
2/ 1(火)・・・プロ野球春季キャンプイン
2/ 3(木)・・・節分
◇------------------------------------------------------------------------
■ 1月20日は「玉の輿(こし)の日」
1905年1月20日、米国の金融財閥モルガン商会の創立者ジョン・ピアポント・モルガン(J.P.モルガン)の甥ジョージ・デニソン・モルガンが、祇園の芸妓・お雪を見初めて結婚した。
加藤ユキ⇒芸妓・雪香⇒モルガンお雪⇒「日本のシンデレラ」と呼ばれた。
*
□「玉の輿」の由来
一般に、女性が金持ちの男性と結婚すること。逆に男性が金持ちの女性と結婚することを、俗に「逆玉(ぎゃくたま)」と呼ぶことがある。
**
□ お題「玉の輿に乗ったと思う人は?」
▼本日限定!ブログスタンプ
▽ 江戸時代の代表例
江戸幕府3代将軍・徳川家光に見初められ [実際は家光の乳母・斎藤福⇒春日局⇒麟祥院に大奥の後継者として目をつけられ]、京都西陣の八百屋の娘として産まれた於玉(おたま)が、西陣の大店(おおだな)・本庄家の養女の身分として、側室として江戸城に輿入(こしい)れした。
更に5代将軍・綱吉の生母・藤原光子⇒桂昌院として従一位の身分にまで上り詰めたことから、「玉の輿」という諺(ことわざ)が生まれた。
桂昌院は、西陣に対する愛郷の念が非常に強く、牛車や鉾の寄進、祭事の復興ばかりでなく50石を与えた。
実家となった本庄家が在る上京区芝大宮町の鉾は、菊の御紋が入り、「今宮神社」(京都市北区紫野今宮町21)に預けられたので、今も別名「玉の輿神社」と言われる。
*
▽ 現代日本の代表例 (敬称略)
☆ 旧姓: 楠瀬幸(くすのせ・みゆき)、新姓: 鳩山幸(はとやま・みゆき)
1943年6月28日、中華民国(現・中華人民共和国)の上海に米国市民権を持つ楠瀬幸雄・秀子の二女として生まれる。1961年、宝塚歌劇団47期生として入団。翌62年、星組に配属され若みゆきの芸名で娘役として舞台に立った。65年、フランス・パリ公演メンバーに那智わたる・甲にしき・如月美和子らと共に選抜されアルハンブラ劇場で33回の一般公演を行った。67年8月、宝塚歌劇団を退団。69年末、渡米しタカラジェンヌ(星組娘役)米国サンフランシスコの日本料理店「蝶蝶」でマネジャーをしていた男性と結婚。75年、出奔する形で離婚(いわゆる略奪婚)で日本の鳩山財閥御曹司・鳩山由紀夫が再婚相手として見染めた。
☆ 旧姓: 福島弓子、新姓: 鈴木弓子
1965年12月10日、島根県松江市に生まれる。1989年、慶応大学文学部を卒業しTBSアナウンサー第25期生として入社。1995年末、TBSラジオ番組『イチローの気持ちはいつもフルスイング』でパーソナリティを務めたオリックス・ブルーウェーブ:イチロー選手との仕事が交際の切っ掛けとなり、1999年1月にイチローが福島にプロポーズ。同年3月にTBSを退社、同年12月3日、二人は米国サンタモニカ近郊のチャペルで挙式を行った。そしてイチローは渡米。マリナーズからヤンキースに移籍してからはイチローや愛犬・一弓と共にニューヨークに在住。イチローがマーリンズに移籍した以降はマイアミに在住している。
◇------------------------------------------------------------------------
昨日1/20(木)は冬型気候がぶり返し寒風が吹いていた。
「ウルフムーン」から一夜明けて
月齢16.4
20220120--07:03 (月没の1時間3分前)
西の空
朝、歯科の定期点検・クリーニングに行った。コロナ第6波のオミクロン株が爆発的拡大傾向にあり、ますます歯のケアの重要度が増している。
診療後、近場の「東白鬚(ひがししらひげ)公園」を散策した。
■「都立東白鬚公園」(墨田区堤通2、サービスセンターは堤通2-2-1)
1986年に防災拠点機能を持った都立公園として開園、10.3ha。周囲には防災拠点として「都立リハビリテーション病院」、「都営白鬚東アパート(防災団地)」、「都立汐入公園」などが在る。
園内マップ (右が北)
園内「花のみどころ案内」板 (右が南)
□ 南池~区立桜堤中学校
ソシンロウバイ
蕾(つぼみ)、背景は桜堤中
□ テニスコート~小野球場
スズメ大集団が一斉食事中
□ 隅田川神社~サービスセンター
常緑樹に-----
シジュウカラ
メジロ
□ 木母寺(梅若塚)~ボランティア花壇
落葉樹(ソメイヨシノ・カツラ)にオナガ
□ 梅若橋~都立リハビリテーション病院
□ 北池