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11月17日は「将棋の日」、升田幸三氏。午後から「湯島聖堂」~「不忍池」を巡った。

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 11月17日は「将棋の日」


江戸時代に将棋好きの徳川吉宗が第8代将軍の時期(1716~45年)、年に1度、旧暦の11月17日に江戸城内で御前対局(大橋本家・大橋分家・伊藤家の家元三家)を戦わせ、後に制度化した。
1975年、「日本将棋連盟」(渋谷区千駄ケ谷2-39-9 将棋会館) が新暦の11月17日を「将棋の日」と制定した。


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将棋は、小学生の時に父から教わったが興味が湧いて来ず、「将棋崩し」「回り将棋」「挟(はさ)み将棋」などの遊びなら、小中学生期(1954~62年)を通じて家族で楽しんだものだ。


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□ お題「対局姿がかっこいいと思う棋士は?」

 

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実力制第四代名人・升田幸三 [ますだ・こうぞう、1918/03/21広島県双三郡三良坂町(現・三次市)生まれ ~ 1991/04/05] 氏


[略歴] 出典: Wikipedia

木見金治郎の弟子であり、木村義雄の引退後は大山康晴と戦後将棋界で覇を競った。
タイトル戦でなかなか大山に勝てなかったが、1957年、遂に大山を倒して将棋史上初の三冠(名人・王将・九段) 制覇を成し遂げた時「たどり来て、未だ山麓」との言葉を残した。
「魅せる将棋」を大切にし、既成の定跡に囚(とら)われず「新手一生」を掲げ、常に序盤でのイノベーションを数多く起こした。振り飛車・居飛車共に数々の新手を指し、「将棋というゲームに寿命があるなら、その寿命を300年縮めた男」と評された。
角行使いの名手であり、特に自陣から敵陣を睨(にら)む「遠見の角」を好んだ。
戦争中に患った病気が元で体調を崩し、現役晩年は休場の年も多かった。そのためタイトルなどの実績面では大山に押され、永世名人などの称号は得られなかったが、順位戦A級から一度も陥落することなく1979年に引退した。将棋連盟では1988年に升田のために新たな称号を作って「実力制第四代名人」の称号を贈った。
実質的な後継者は加藤一二三であるとされているが、加藤のみならずその棋風を慕う棋士は多く、現在の第一人者の羽生善治も将棋を指したい人は誰かと言う問いに「升田先生と指したい」と述べている。
1991年、心不全のため73歳で死去した。晩年は羽生善治や先崎学といった若手強豪や観戦記者と碁を楽しんでいたという。


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出典: CMO株式会社(https://jp.cmo.team)代表、遠藤結万(えんどうゆうま)のブログ

「月下の棋士と藤井聡太六段」(2018/03/30)

「月下の棋士」という将棋漫画をご存知でしょうか? 「月下の棋士」は森田剛・主演でドラマ化もされた人気の将棋漫画で、「3月のライオン」が出るまでは最も人気の将棋漫画でした。
==中略==
升田幸三という人は、「新手一生」「将棋の寿命を1000年縮めた男」と言われた、非常に革新的な棋士でした。升田式石田流の発明や、居飛車穴熊の棋譜などを見ると、間違いなく現代将棋に最も近いセンスを持った棋士だったといえるでしょう。 
==中略==
七巻では、刈田升三(升田幸三がモデル) が主人公である氷室将介と対戦します。刈田は名人を獲得した将棋の棋譜をなぞり、名人を失陥した時に辞めたはずのピースをくゆらせながら、全盛期の力を取り戻したような将棋を見せます。
月下の棋士とは、「ゴトーを待ちながら」や「桐島、部活やめるってよ」などと同じく、氷室将介(羽生善治がモデル)という一人の狂言回しを通して様々な棋士の思いや物語を書く作品だったと言えるでしょう。
氷室将介の素性や生まれ育ちは殆ど語られません。しかし、刈田升三といった対戦相手の思いや歴史は極めて長々と語られます。
作者は「羽生フィーバー」を見て氷室将介というキャラクターを思いついたと語っています。
内弟子などの厳しい修行をせず、いきなり現れ棋界を席巻した羽生世代(羽生善治二冠、森内俊之九段、佐藤康光九段など)は、当時の将棋界にとって異質な存在だったのかもしれません。

 

 





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昨日11/17(水)は珍しく歯科診療が夕方となったため、15時過ぎから「湯島聖堂」の秋色撮影に向かい、その帰途に「不忍池」の月の出風景を見に行った。


浅草通り ⇒ 中央通り ⇒ 外堀通り ⇒ 「湯島聖堂」 ⇒ 神田川=「聖橋」。

中央通り ⇒ 「不忍池」 ⇒  不忍通り ⇒ 言問通り。


Mapion
「東京ドームシティ」~「湯島聖堂」~「秋葉原」の広域マップ




□ 万世橋(まんせいばし、千代田区外神田1~神田須田町1/2)から
神田川の上流方向(昌平橋~聖橋~お茶の水橋~水道橋)を望む。


 

 

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■「国の史跡  湯島聖堂」(文京区湯島1-4-25) 


江戸元禄期1690年に徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、この地に聖堂を創建、上野忍岡の林羅山家塾を移した。1797年に幕府直轄学校として「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設した。明治維新の1871年に我が国最初の博物館(現在の東京国立博物館)、72年に東京師範学校(現在の筑波大学)、我が国初の図書館、74年に東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)が設置された。
"近代学校教育発祥の地"として1922年に国の史跡に指定された。建築の荘厳さと樹木の鬱蒼(うっそう)さの相乗効果から、奈良天平の仏閣に近い雰囲気を醸している。


前回訪問の7/6(火)から約4カ月半近い。


堂内マップ





□ 正門~仰高(ぎょうこう)門

□「斯文(しぶん)会館」

 

イチョウ

 



□「孔子像」・・・1975年、台湾の篤志家によって建立された、世界最大の孔子銅像(高さ15尺=4.5m、重量2t)。



 


カイノキ[楷の木・楷樹(かいじゅ)、別名・学問の木(楷書の語源)/クシノキ(孔子の木)/ランシンボク/ナンバンハゼなど。中国原産のウルシ科] の巨樹


左奥に「東京医科歯科大学医学部附属病院」(文京区湯島1-5-45)




カヤノキ(榧の木、日本原産のイチイ科)


 

チャノキ(茶の木、インド原産?のツバキ科)の白い花




□ 入徳門~杏壇(きょうだん)門


 

覗くと---向かって左はシロマツ(別名ハクショウ/サンコノマツ)

右はカイノキ

 


□「大成殿」(孔子廟の正殿)



聖堂屋根の鴟尾 [しび、鯱(しゃちほこ)]・・・伊東忠太博士が考案した鬼犾頭(きぎんとう)/鬼龍子(きりゅうし)。
大成殿(孔子廟)の鴟尾(しび)は鬼犾頭(きぎんとう、想像上の魚神で、水神として屋根の頂上にあって火を防ぐ。鬼龍子(きりゅうし)は想像上の霊獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れる。




「ニコライ堂」
 ・・・[正式名称は「東京復活大聖堂」(英語名称「Holy Resurrection Cathedral in Tokyo)、日本正教会の首座主教座大聖堂、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の復活を記憶する大聖堂。千代田区神田駿河台4-1-3] を望む

 

「東京医科歯科大学医学部附属病院」



*


□ 修復成った聖橋から、

有名な緑色の「総武本線 松住町(まつずみちょう)架道橋」(神田駿河台4~外神田1)、

「JR秋葉原駅前 電器街」(千代田区神田佐久間町1-6-10) を望む。

手前は「外堀通り 相生坂」のトウカエデ並木



□ 再び「ニコライ堂」、聖橋交差点、「JR御茶ノ水駅」(神田駿河台2-6) を望む。




□ 神田川上流方向の「東京ドームシティ 東京ドームホテル」(文京区後楽1-3-61)、「都立工芸高校」(文京区本郷1-3-9) を望む。




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■ 帳(とばり)が下りた「上野不忍池」(台東区上野公園2)

20211117--16:18~16:23 
東の空
日没16:33の直前、月齢12.2「十三夜月」月の出15:51からほぼ30分後


「ボート池」シダレヤナギ ~「弁天堂」~「上野精養軒」(上野公園4-58) など越しに、
「東京スカイツリー」(墨田区押上1-1-2)と月を眺める。

 

 

 

 

 


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