■ 6月20日は「父の日」
1966年、米国第36代大統領リンドン・ジョンソンは、「父の日」を称賛する大統領告示を発し6月第3日曜日を「父の日」に定めた。1972年、米国では正式に国の記念日に制定された。
「母の日」の花はカーネーション、「父の日」の花はバラ。日本では、米国に倣(なら)って6月第3日曜日が「父の日」となっている。
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□ お題「お父さんに感謝の気持ちを伝えよう」
我々の世代には「父の日」プレゼントの習慣が無かった。今は亡き父に対して、命日を始め墓参(年始、春の彼岸、盆、秋の彼岸、など)の時に感謝の気持ちを伝えている。
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■ 「夜のアジサイ中継!鎌倉・長谷寺 日本人はなぜアジサイを愛するのか?」
「浄土宗海光山慈照院 長谷寺」
(通称「長谷観音」、本尊:十一面観世音菩薩像、神奈川県鎌倉市長谷3-11-2)
NHK-BSプレミアム (BS8K)
初放送2021年06月12日(土) 19:30~20:32
再放送2021年06月20日(日) 00:58~02:00
□ 出演
鶴田真由(俳優)
山崎康史(長谷寺/広報)
浅野里香(アナ)
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□ 番組概要
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□ 番組概要
アジサイ寺として知られる鎌倉・長谷寺から、満開のアジサイを生中継。
2,500株もの多様な美しいアジサイを見ながら、なぜ日本人がこれほどまでアジサイを愛するのか探る。
6月、アジサイの季節。
そこでアジサイ寺として知られる鎌倉の古刹・長谷寺から、見頃を迎えた2,500株ものアジサイが美しく咲く姿をお伝えする。
長谷寺には約70種類ものアジサイがあるといわれ、色や形も多種多様。
その多彩さを堪能しつつ、なぜ日本人がこれほどまでにアジサイを愛するのかを探って行くと----
万葉集やシーボルト、高度経済成長など、超意外な秘密が!
アジサイの奥深い歴史と文化を味わい尽くす1時間。
▽ 長谷寺が生んだ品種
かまくら
長谷四片(はせよひら)
長谷の祈り
三河千鳥
ウズアジサイ
てまりてまり
高度経済成長
鎌倉---観光地/トレンディドラマの舞台
鎌倉---観光地/トレンディドラマの舞台
アジサイは日本原産の植物で、古い時代から自生していた。文献資料では奈良時代から記録がある。
アジサイはアジサイ科アジサイ属の植物で原産は、日本に自生しているガクアジサイと呼ばれるモノである。海岸沿いで自生することから「ハマアジサイ」とも呼ばれる。
ただアジサイの「花弁」であるが、一見花にみえる大きなヒラヒラしたモノは「ガク」である。ガクとは、花弁の基部・外側にある花葉の事で、アジサイはこのガクが花のように見える珍しい植物なのだ。アジサイの本当の花弁は、このガクの中心にある小さい粒々である。小さな花びらが5枚ほどついた花が咲く。
日本においてアジサイが書物に登場したのは『万葉集』が最初であり、アジサイも2首の歌が詠まれている。
▽ 万葉集
橘諸兄
「安治佐為の 八重咲く如く やつ代にを いませわが背子 見つつ思はむ」
現代語訳
現代語訳
「紫陽花のように群がって咲く花のように、いつまでも健やかにおいでください。この花を見るたびにあなたを想います」
大伴家持
「言問はぬ 木すら味狭藍 諸弟(もろと)らが 練の村戸(むらと)に あざむかえけり」
現代語訳
現代語訳
「物言わぬ木でさえ、紫陽花のように移り変わりやすい。諸弟らの巧みな言葉に、私は騙されてしまった」---と色を変えながら枯れていく紫陽花の様を、ころころと言葉や態度を変える人に例えている。
▽ 古今和歌六帖
穂積皇子
「あかねさす 昼はこちたし あぢさゐの 花のよひらに 蓬ひ見てしがな」
現代語訳
「あかねさす 昼はこちたし あぢさゐの 花のよひらに 蓬ひ見てしがな」
現代語訳
「昼は人の噂がうるさいので、紫陽花の花びらが4枚(よひら)であるように、宵(よひ)になったら逢いたい」
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歴史的には、1000年ほどの間忘れ去られてしまった。一説には、アジサイは開花してから花の色が変わって行くことが移り気あるいは不道徳であると考えられた。
品種改良が行われる前のアジサイは「花」に見えないシックなモノであったのだろう。
当時の江戸は世界に誇れる園芸文化が根付いていたが、アジサイはまだそれ程人気ではなかった。
アジサイは簡単に増やせるため、植木屋などがアジサイを売りたがらなかったのが原因といわれる。
ただし、松尾芭蕉はアジサイに関する俳句を、葛飾北斎は「あじさいに燕」という絵画を残している。
江戸時代末期、長崎の出島ではシーボルトとうドイツ人医師が日本に滞在していたが、シーボルトとアジサイは関係が深い。シーボルトは「お滝」という日本人女性と結ばれ、日本で子を残すこととなる。その後、シーボルトはトラブルから国外退去処分となり、母国オランダへ帰国する(シーボルトは国籍を偽っていたため)。帰国後、植物学者のツッカリニと共に『日本植物誌』を著し、その中でアジサイ属の花14種を新種として紹介している。
シーボルトが欧州に持ち帰ったアジサイが、欧州で人気を博し品種改良が盛んになる。
そして、現在では欧州で作出されたアジサイが日本に逆輸入されているのだ。その逆輸入されたアジサイの中には「Otakusa」という名前の花がある。この「Otakusa」という名前はシーボルトが付けたといわれる。
ガクアジサイは1789年には中国に伝わっていたものがロンドンに送られ、1900年代の初めにはフランスで育種が始まる。
ガクアジサイが変化したのがホンアジサイ。
ガクアジサイがヨーロッパで品種改良されたのがセイヨウアジサイ。
大正時代には西洋で改良を受けたアジサイが日本へ戻って入って来る。
アジサイが現在の様に観賞用の植物として親しまれるようになったのは、近年のこと。第二次世界大戦後、観光資源として注目され、アジサイは非常に人気の花の代表種となって行く。
全国には、アジサイの名所が数多くあるが、アジサイの名所は寺院などが非常に多い。これには理由があり、アジサイが死者に手向ける花だと考えられたことに由来する。
米国に渡った品種たちは一部が鉢物に仕立てられ、戦後にその生産技術とともに品種が日本に伝わり、セイヨウアジサイやハイドランジアと呼ばれる。日本のハイドランジアの生産増加の端緒を開いた品種がミセスクミコ。1984年(昭和59年)に種苗登録が申請され、温かな桃色で巨大な花房をつける手まり咲きで、一世を風靡する。
その後も様々な品種が生まれている。