■ 6月19日は「朗読の日」
2001年、「NPO日本朗読文化協会」 (港区西新橋3-23-6 第一白川ビル3階B-2) が、「ろう(6)ど(10)く(9)」(朗読)と読む語呂合せから制定した。
「朗読」は「音読」とも言い、声を出しながら文章を読むことだが、文章や詩歌の内容を汲み取り感情を込めて読み上げることが期待される。
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□ お題「人前で話すのは好き?苦手?」
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2年生の時、自分の作文「魚釣り」のことを暗記して臨んだが、すっかり上(あ)がってしまい担任に舞台の袖から助け舟を出してもらった。
そんな悪夢が6年生の時に再び襲って来た。今度の作文は「僕の家族」。母が失敗しないよう特訓。今度はうまくできた。
中学校2年生の時、国語の先生から"君の朗読は実際のようで良い"と褒められ、2年・3年と放送部員になった。
私の子供たちが保育園の頃、父兄会に行ったら紙芝居の朗読を指名されてしまった。あの時は緊張したなあ~ということは覚えているが、何のお話しだった思い出せない。
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以上のエピソードにあるように、そもそもの私は「あがり症」なのに、小学6年時には担任のM先生によって「こども組合長」(世間で言う「生徒会長」)に担がれたり、中学3年時にも担任のN先生によって「生徒会長選挙」に担がれて落選したり、大学へ進学するや否や文化サークルの「執行部選挙」に担がれて会計に当選したり、大学2年時にはATG系(自主制作)の「学生映画鑑賞会活動グループ」の会長に担がれたり、サラリーマンになればなったで数え切れないほど人前で話す場面を経験して来た。
にも拘わらず終始、嫌でしょうがないのに引き受けてしまって数多くの冷や汗を掻き続けて来た。「あがり症」と「目立ちたがり性」が "混然一体" となった人格。
▽「あがり症」(別称「社交不安障害」)のスタデイ
他人と会話したり会食したりすること、人前で何かをして注目を浴びるかもしれない場面への強い不安感が生じること-----それを避けようとする回避症状。他人に悪く評価されることへの恐怖感が背景にある。
人前に出ると心臓がドキドキして顔が赤くなって何も話せなくなってしまう。
このような「あがり症」は、性格的なものとして片付けられるケースが多い。
しかし実は「社会不安障害」(英語名称「SAD:Social Anxiety Disorder」」という精神疾患。
いわゆる「対人恐怖症」「赤面恐怖症」「吃音(きつおん)恐怖症」などとも呼ばれ、それは性格ではなく病気。
精神・神経疾患の中では「うつ病」「アルコール依存症」に次いで多い疾患。
思春期・青年期に発症する人が多く、俗称の「ニート」「引き籠(こも)り」と言われる人の中には「社会不安障害(SAD)」が原因となっている人もいるので、精神科や心療内科を受診しよう。
診察は、「問診」とともに「社会不安障害評価尺度(LSAS)」を用いた検査が行われる。
治療には、「薬物療法」と「認知行動療法」とがある。
以上の出典
「OMRON All for Healthcare」vol.39 "あがり症"といわれているあなた...実は社会不安障害かも。
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■ 6月19日の歴史
□ 645年6月19日(新暦7月17日)
女帝の第35代皇極(こうぎょく)天皇4年==645年6月12日、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、後の第38代天智天皇)や中臣鎌足(なかとみのかまたり、後の藤原鎌足)らによって、宮中で蘇我入鹿(そがのいるか)が暗殺され政治体制を刷新するクーデター「乙巳(いっし)の変」が勃発し、いわゆる「大化の改新」が始まった。
皇極天皇は弟の第36代孝徳天皇に譲位し、6月19日、日本最初の元号として「大化(たいか)」が制定された。大化は元年(645年)~6年(650年)。「大化元年」(645年)~現在の「令和(れいわ)元年(2019年)の1,374年間で248の元号が定められている。
□ 1587年6月19日(新暦7月24日)
豊臣秀吉は、当初は織田信長の政策を継承しキリスト教の布教を容認した。天正14年==1586年5月4日、イエズス会(日本地区責任者の宣教師ガスパール・コエリョ)に対し布教の許可証を発給した。
しかし、九州平定後に筑前箱崎に滞在していた秀吉は、長崎がイエズス会の領土化・要塞化され信者以外の者が奴隷化していると、側近・主侍医である天台宗の元僧侶・施薬院全宗(徳雲軒全宗)から讒言(告げ口)を受け、天正15年==1587年6月19日、ポルトガル側通商責任者(カピタン・モール)であるドミンゴス・モンテイロとガスパール・コエリョが長崎にて秀吉に謁見した際に、「バテレン(伴天連)追放令」によってキリスト教宣教と南蛮貿易に関する禁制を発令した。
□ 1787年6月19日(新暦8月2日)
天明7年(1787年)~寛政5年(1793年)の第11代将軍・徳川家斉(いえなり)の時期に、老中首座の松平定信が主導して行われた幕政改革で、"江戸の三大改革"の一つとして「享保の改革」と「天保の改革」との中間に位置する。
祖父の第8代将軍・徳川吉宗の「享保の改革」に倣(なら)って、「天明の大飢饉」の後に行われた幕府財政の再建策であり米の備蓄、緊縮財政、学問・風俗の取り締まりなどが中心。厳し過ぎる改革や質素倹約令による反発で失敗に終わった。
「旧里帰農令」・・・江戸などの都市部に流出していた農民に村への帰郷を命令。
「囲米(かこいまい)の制」・・・飢饉に備えた米の備蓄。
「棄捐(きえん)令」・・・債権者である札差に対する旗本・御家人の借金帳消し(債権放棄・債務繰延べ)を命令。
「寛政異学の禁」・・・朱子学以外の学問を禁止。
□ 1846年6月19日
公式な記録に残る史上初の野球の試合、ニッカーボッカー・クラブ VS ニューヨーク・ナインのクラブ対抗戦がアメリカ合衆国(米国)ニュージャージー州ホーボーケンのエリシアン球場で行われた。
□ 1858年6月19日(新暦7月29日)
江戸時代幕末期の安政5年(1858年)6月19日、軍艦ポーハタン号で日本国(大老・井伊直弼---下田奉行・井上清直)とアメリカ合衆国(第15代大統領ジェームズ・ブキャナン・Jr.---タウンゼント・ハリス総領事)の間で「日米修好通商条約」が締結された。
2年後の安政7年(1860年)4月3日、ワシントンで第14代将軍徳川家茂(いえもち、源家茂・名義)とアメリカ合衆国全権タウンゼント・ハリスの署名による批准書が交換された。
しかしその内容は米国側に領事裁判権(治外法権)を認め、日本国に関税自主権が無いなど、日本国側に極めて不利な "不平等条約" だった。
幕府は同様の条約をイギリス・フランス・オランダ・ロシアの欧州列強4カ国とも締結した。これを「安政五カ国条約」と総称し、以後の国際社会において日本国は弱い地位に甘んじることとなった。
□ 1877年6月19日
明治10年(1877年)6月19日、米国人の動物学者エドワード・S・モースが横浜から新橋へ向かう途中、列車の中から大森駅を過ぎてから直ぐの崖に貝殻が積み重なって姿を車窓から発見した。
明治政府の許可を得て9~10月に発掘調査を行ったところ、縄文時代後期~末期の貝塚と判明し「大森貝塚」(別称「モース貝塚」)と命名され、昭和30年(1955年)には国の史跡に指定され、1975年(昭和50年)には国の重要文化財に指定された。
□ 1910年6月19日
1910年6月19日、ワシントン州スポケーンで初の「父の日」が祝われ、1916年、米国第28代大統領ウッドロウ・ウィルソンがスポケーンを訪れて「父の日」の演説を行い「父の日」が認知されるようになった。
□ 1933年6月19日
御殿場回りだった東海道本線を短くする「丹那トンネル」(全長7,804m)が貫通した。
トンネル工事は1918年に予算770万円で着手され7年後の1925年に完成する予定だったが、実際は約16年後の1933年に予算の3.4倍の総工費2,600万円で完成し、事故による犠牲者は67名。た。
□ 1934年6月19日
米国政府の独立機関「連邦通信委員会」(FCC:Federal Communications Commission)が発足した。アメリカ国内の放送通信事業の規制監督を行う。
□ 1948年6月19日
1948年6月13日、小説家・太宰治が戦争未亡人で美容師の愛人・山崎富栄とともに東京の玉川上水に入水心中した。2人の遺体が発見されたのは6日後の6月19日で、この日は奇しくも太宰の誕生日であった。6月19日は彼が死の直前に書いた短編小説『桜桃』に因んで「桜桃忌(おうとうき)」と名付けられた。
□ 1964年6月19日
1964年10月に開催する東京オリンピックを控え、日本のKDDI (旧KDD) 社 + 米国のハワイアンテレコム社 + 米国のAT&T社 の国家的規模の協力プロジェクトによって、世界初の日米間(神奈川~グアム~ハワイ間の約1万km) の太平洋横断海底ケーブル「TPC (Trans Pacific Cable) -1」が開通し、当初の電話回線128回線が実現した。
1964年当時の国際電話で一般的だった短波通信では接続時間が長く雑音も多く相互に同時に会話ができない等の問題がほぼ解消された。TPC-1の技術はその後の光ファイバー海底ケーブル建設技術の基礎となり、現在のインターネット時代の主要な通信インフラ技術に大きく貢献したと認められ、「IEEEマイルストーン」に認定された。この賞はグラハム・ベルの電話など社会に大きく貢献した発明などに与えられるもの。
□ 2016年6月19日
日本において公職選挙の選挙権年齢を20歳以上から18歳以上に引き下げる「18歳選挙権」を実現する改正公職選挙法は、2015年6月19日に公布され、2016年6月19日に施行された。
日本で選挙権年齢が拡大されるのは、25歳以上から20歳以上に引き下げられて完全普通選挙が導入された1945年以来71年振り。