Quantcast
Channel: ちとちのなとちのブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2687

5月5日は「立夏」&「こどもの日」こどもの頃のご馳走。

$
0
0

今日5/5(水・祝)

早朝6:45

東の空 (日の出から丁度2H)

西の空

 

朝から風が強い曇り空。

実況衛星画像

20210505--09:00

実況天気図

20210505--09:00

 

 

**

 

 

■ 5月5日は「立夏」

 


□□「二十四節気(にじゅうよんせっき)」・・・一年=四季を二十四等分した中国の農作業暦(こよみ)


□ 第6番目の節気

「穀雨(こくう)」4月20日~5月4日。太陽黄経が30度の時。


□ 第7番目の節気

「立夏(りっか)」5月5日~5月22日。太陽黄経が45度の時。 「春分」3月20日と「夏至」6月21日の中間。

 江戸時代の暦の解説書『こよみ便覧』「夏の立つがゆへ也」春が極まり野山に夏の気配が立つ。「新緑」が美しく映え「薫風」心地良い風が吹く。


▽ 初候

「蛙始めて鳴く」カエルが鳴き始める。


▽ 次候

「蚯蚓(きゅういん)出ずる」ミミズが地上に這(は)い出る。


▽ 末候

「竹笋(ちくかん)生ず」タケノコが生えて来る。タケノコは旺盛な生命力を秘め初夏を代表する食材。


□ 第8番目の節気

「小満(しょうまん)」5月21日~6月6日。太陽黄経が60度の時。陽気が盛んになり万物が次第に長じて満る。


**



□□「雑節(ざつせつ)」・・・日本の季節移り変わり暦


□「八十八夜」5月1日。

「立春」から数えて88日目。「八十八夜の別れ霜」といって霜の季節も終わりを告げる。


□「入梅」6月11日。



◇----------------------------------------------------------------------



■ 5月5日は「こどもの日」


「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福を計(はか)るとともに、母に感謝する」ことを趣旨として、1948年(昭和23年)7月20日に公布・即日施行された「国民の祝日に関する法律」(略称「祝日法」) によって国民の祝日として制定された。


□「端午の節句」「菖蒲の節句」


奈良時代には、季節の変わり目の厄除(やくよ)けを、月の端(はじめ)の午(うま)の日に「端午の節句」として始められた。
鎌倉時代には、「午」⇒「五」に通じることから五月五日に固定し、かつ季節の草花「菖蒲」⇒「尚武」にも通じることから、男の子の初節句「菖蒲の節句」とも呼ばれるようになった。


これまでの成長を祝い更なる成長を願って、庭先に「鯉幟(こいのぼり)」を立てて、部屋に「武者人形」や「甲冑(かっちゅう)」を飾った。

 

我が家の武者飾りと鯉幟の手拭い飾り
20200505撮影


邪気を避け悪魔を払うため、「粽(ちまき)」や「柏餅」を食べるとともに、薬草としての「菖蒲(ショウブ)」や「蓬(ヨモギ)」を、軒に挿して飾ったり茶や酒の香り付けとして飲んだり、風呂に浮かべて「菖蒲湯」として浴したりした。



*


■ お題「こどもの頃のごちそうは?」
 

 

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 
 
私が子供だった頃(1952年=5才 ~ 1959年=12才)の "ご馳走"と言えば-----


▽ 春季

筍(タケノコ)・・・私が育った集落は水郷地帯だったので山地のように竹林が少なかったが、タケノコの炊き込みご飯は美味しかった。




▽ 夏季

西瓜(スイカ)・・・夜勤明けの父(鉄道員)が毎日のように、金沢の近江町市場からスイカを買ってブラ下げて帰宅した。夕方になると蚊取り線香を焚(た)きながら、家族5人が車座になってパク付いた。
 


アイスキャンデー・・・昼下がりの最も暑い時間帯には、いつもの自転車に乗ったアイスキャンデー売りの小父(おじ)さんが、チリンチリンと鐘を鳴らしながらやって来た。紙芝居の小父さんも同様にして。



▽ 秋季

柿(カキ)・・・大きな柿の木があった近所の家の人が、われわれ子供たちに収穫を手伝わせる代わりに、甘柿を腹一杯に食べさせてくれた。それから渋柿でも皮を剥(む)いて自分の部屋の軒先に吊るしておくと一週間もすれば甘い干し柿になったものだ。
 


茸(キノコ)・・・父と母と私の3人(姉・妹・弟は留守番)で、石川と福井の県境の里山までキノコ狩りに行った。最も多く採れたのはアミタケ(北陸ではシバタケと呼んだ)。塩水に漬けて保存していたキノコが時折、味噌汁となって食卓に登場した。
 


▽ 冬季

餅(モチ)・・・正月を挟(はさ)んだ冬は一にも二にも "御餅" だった。師走12月になると親類の農家で餅つきが行われ、お裾(すそ)分けに餡子(あんこ)餅を親類・縁者・近所などに配るのを手伝えば、配達先から頂く御引き(心付け)が我々の御駄賃になった。モチは薄く切って軒先に吊るして乾燥し、冬は毎日のように一枚一枚を網金の上で炙(あぶ)って「お欠き」(別名「欠き餅」)として食べた。

 
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2687

Trending Articles