■ 12月14日は「南極の日」
1911年12月14日、ノルウェーの探検家ロアール・アムンセン(ロアルド・アムンゼン、Roald Amundsen、1872~1928年)と4人の選抜隊員が、人類で初めて南極点に到達した。
それから57年後の1968年12月19日、我が国の第9次南極観測隊が日本人で初めて南極点に到達した。
□ お題「北極と南極、どっちに行ってみたい?」
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どちらも行ってみたいが、択一なので南極大陸の方により行ってみたい。
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昨日12/13(月)は冬型気候でしかも寒波到来が始まった。
「六義園」は、予約入園期間が明けた初日だったが、朝早く訪れることにした。
浅草通り⇒不忍池⇒不忍通り⇒動坂⇒本郷通り。
サイクリング13.4km & ウォーキング5,700歩とまずまず。
□「都立上野恩賜公園 不忍池」(台東区上野公園2-1)
イロハモミジ[鴫立沢(シギタツサワ)]
□「都立旧岩崎邸庭園」(台東区池之端1-3-45)付近の案内板
ベニシダレモミジ[手向山(タムケヤマ)]
□ 不忍通り/不忍池西の交差点付近・・・「上野合同庁舎」(池之端1-2-22)~「東天紅 上野店」(池之端1-4-1)
イチョウ並木
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■「特別名勝 都立六義園(りくぎえん)」(文京区本駒込6-16-3)
時正しく昨日は、江戸時代元禄期の15年12月14日(新暦1703年1月30日)「赤穂浪士討ち入りの日」 (別称「忠臣蔵の日」) でもあった。
当「六義園」は、第5代将軍・徳川綱吉の寵愛を受けて元禄期には大老格として幕政を主導した、譜代大名の武蔵川越藩主・柳沢(⇒松平)吉保。
柳澤吉保が赤穂浪士切腹とともに、後の吉良上野介冷遇の措置を主導したと言われる。
偶々、討ち入り直前に完成させたこの「六義園」。
加賀藩中屋敷 ⇒ 川越藩下屋敷扱いの庭園 ⇒ 三菱・岩崎家別荘・庭園 ⇒ 東京市庭園へと変遷。「小石川後楽園」とともに江戸二大庭園。紀州「和歌ノ浦」の景勝を模した中の島を有する大泉水名園。
都区内有数のモミジ名所(カエデ約400本、その他ハゼノキ・イチョウなど約160本)。
園内マップ
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▽ 正門
"モミジ見頃"の表示通り、まだまだ見頃だった。
★以下、イロハモミジ(別名イロハカエデ)の記入は省略。
アキニレ
大泉水
出汐湊から対岸の時雨岡~吹上浜~中島の妹山(背山)を撮影
▽ 新玉松跡
▽ 新玉松跡から田鶴橋(仙禽橋)を撮影
▽ 渡月橋~芦辺茶屋跡~藤波橋
カモたち
▽ 馬場・千里場跡
遠くから見ると(カラスの赤ちゃんが巣から落ちたみたいな)黒い鳥に思えた。
そーっと徐々に近づくと、キジトラシロネコだった。その不機嫌な顔つき。
▽ 剡渓流(ぜんけいのながれ)
逆さモミジ
ヒヨドリ(残念ながらカワセミは見つからず、黄色い腹の鳥は確認したが撮影できず)
▽ ドウダンツツジの蛛道(ささがにみち)
▽ 山陰橋~藤里~藤代峠
藤代峠山頂(35m)からの眺め
ハゼノキ
▽ 千川上水~掘割
▽ つつじ茶屋~ツツジ畑(ヤマ・キリシマ・ゲンカイ・ミツバなど)
▽ 中島の妹山(背山)
吹上松から撮影
▽ 尋芳径(はなとふこみち)
ドウダンツツジ
▽ 指南岡~蓬莱島
対岸の吹上浜~吹上茶屋を撮影。
蓬莱島
▽ 玉藻磯~和歌の浦~片男波
蓬莱島、対岸の吹上浜~吹上茶屋を撮影。
コムラサキの実
ドウダンツツジ
トウカエデ
▽ 心泉亭~宜春亭~内庭大門
心泉亭前のセンリョウ&キミノセンリョウ