昨日12/13(日)は寒さが少し緩んだが、今週の中頃は冬型となり寒い朝となりそう。
■ 12月13日は「ビタミンの日」
「ビタミンの日」制定委員会が2000年に制定した。
1910年12月13日、農芸化学者・鈴木梅太郎博士(1874年4月7日~1943年9月20日)が、ニワトリとハトを白米で飼育すると脚気(かっけ)の症状で死ぬこと、米糠(こめぬか)と玄米と麦には脚気を予防して回復させる成分があることを示した、世界最初の論文が、東京化学会誌に掲載された。
当初「アベリ酸」(ドイツ語Aberisäure、英語aberic acid)と命名され、後に「オリザニン」(ドイツ語Oryzanin)と改名した。
1911年 米の糠の有効成分は、抗脚気因子に止まらず、ヒトと動物の生存に不可欠な未知の栄養素であること、糠に脚気を予防する新規成分が存在することを示した。
1912年、糠から脚気を予防する成分を結晶として抽出し、改めて「オリザニン」と命名した。
尚、国際名は、当時ロンドンのリスター予防医学研究所にいた、ポーランド生まれの化学者カシミール・フンク(ドイツ語Kazimierz Funk、英語Casimir Funk)が提唱した「Vitamin」が採用された。そして、「ビタミンB1」(vitamin B1)が「オリザニン」と同じ物質であることが判明した。更に後には「チアミン」(ドイツ語Thiamin)とも呼ばれるようになった。
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□ 脚気(かっけ、英語beriberi)
「ビタミンB1」の欠乏症 ⇒ 下肢の浮腫(むく)み、末梢神経障害 ⇒ 下肢の痺(しび)れを来す疾患 ⇒ 心不全などの死因に繋がる。
▽ ヨーロッパでは大航海時代(15~17世紀)の船乗りには、壊血病とともに脚気の患者が多かった。
▽ 日本では精米された白米を食べる習慣が広まった平安時代(9~12世紀)以降の京に住む公家・貴族、江戸時代の江戸に住む徳川将軍はじめ上層武士に、"江戸煩(わずら)い" と呼ばれた脚気患者が多かった。
脚気患者だった江戸時代の徳川将軍
第3代将軍・徳川家光・・・1604~51年、満46歳没。持病は脚気・不安神経症。推定死因は脳卒中。
第10代将軍・徳川家治・・・1737~86年、満49歳没。死因は脚気衝心(心不全)。失脚した田沼意次が薦めた医師・日向陶庵(若林敬順)による毒殺説もあり。
第13代将軍・徳川家定・・・1824~58年、満34歳没。持病は脳性麻痺・脚気。推定死因は脚気衝心(心不全)and/orコレラ。一橋派の奥医師・岡櫟仙院による毒殺説もあり。
第14代将軍・徳川家茂(いえもち)・・・1846~66年、満20歳没。持病は歯槽膿漏・脚気・リウマチ。推定死因は脚気衝心(心不全)。正室・和宮親子(かずのみやちかこ)内親王・・・1846~77年、満31歳没。推定死因は脚気衝心(心不全)。
脚気患者だったその他の有名人(例)
第12代・景行天皇皇子ヤマトタケル(81?~113年、32歳没?)
第82代・後鳥羽天皇⇒上皇(1180~1239年、満58歳没)
権中納言/歌人・藤原定家(1162~1241年、満79歳没?)
第8代将軍・足利義政(1436~90年、満54歳没)
第115代・桜町天皇(1720~50年、満30歳没)
浮世絵師/戯作者・山東京伝(1761~1816年、満55歳没)
薩摩藩家老・小松帯刀(1835~70年、満34歳没)
明治時代の徴兵令の目玉は1日6合の白米を食べさせるという特典であったため、軍人に罹患者が多くなり職業病として国家的問題になった。大正時代までは,脚気は、結核と並んで "二大国民病" として恐れられた難病だった。日本全国において多発し,毎年2万人以上が脚気のために死亡した。
しかし上記の鈴木博士の研究などにより、ビタミンB1の不足が原因と判明し、脚気は治療可能となったのである。尚、その間の陸軍軍医総監⇒陸軍省医務局長・森鷗外は、栄養障害説を排除し細菌原因説に固執したため改善策を遅らせることとなった。
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□ お題「ビタミン補給におすすめの果物、教えて!」
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私の好みは次の通り。うち果物は★印。
ビタミンAでは、焼き鳥のレバー・中華料理のレバー炒め、ニンジン、春菊、★スイカ。(鰻は嫌い。)
ビタミンB1では、パン、糠漬け、豚肉、枝豆、★温州ミカン。
ビタミンCでは、ブロッコリー、トマト、★柿。(酸っぱい物はそんなに好きではない。)
ビタミンDでは、キクラゲ・シイタケ、シラス。後は日光浴。
ビタミンKでは、納豆、ホウレンソウ、緑茶・紅茶、★バナナ。