■ 10月29日は「ホームビデオ記念日」
1969年10月29日、ソニー・松下電器・日本ビクターが世界初の家庭用ビデオテープレコーダー(videotape recorder、略: VTR)の規格「U規格」を発表した。
それまでのVTRはオープンリール方式が殆どだったが、「U規格」は使い易さを考慮し、3/4インチ(19mm)テープを使ったカセット方式が採用された。しかし、値段の高さやカセットテープの大きさなどから家庭用(ホームビデオ)としては普及されなかった。
その後は各社が1/2インチ(12.7mm)テープを使用した規格を目指した。最終的にはソニー(ベータマックス)の「β方式」と日本ビクター(現・JVCケンウッド)の「VHS方式」が残り、以降、両陣営の熾烈な競争「ビデオ戦争」が繰り広げられた。
そして後にホームビデオ愛好家グループが両陣営に配慮して、この10月29日を記念日とした。
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■ ビデオレコーダの略史
□ ビデオテープレコーダ(videotape recorder、略: VTR)
1956年、米国「アンペックス」(Ampex) がビデオテープレコーダ(VTR)の「Ampex VRX-1000」[2インチ(50.8mm)テープと4ヘッドを使用] を発売し、同年「カナダ放送協会」(CBC) が実用化導入した。これが最初に商業的に成功した。
1969年、ソニー・松下電器産業(現:パナソニック)・日本ビクターが世界初の家庭用VTR (略: ホームビデオ)の「U規格」を発表した。
1976年、日本ビクター(現: JVCケンウッド)がビデオホームシステム(Video Home System)「HR-3300」を開発し、後に「VHS方式」として日本の事実上の標準規格(de facto standard))となった。
□ ビデオディスクレコーダ(videodisc recoder、略: VDR)
2004年、松下電器産業(現:パナソニック)が世界初の50GBに対応したブルーレイ・ディスクレコーダ(blu-ray disc recoder、略: BDレコーダ)「DMR-E700BD」を発売し、大幅低価格化と初めての地デジ内蔵を実現した。
2006年、東芝が世界初の1TBのHDDを搭載したHD-DVDレコーダー「RD-A1」を発売した。以降、2008年まで規格争いが続いた。
2008年、東芝が競合規格であるHD-DVD事業の終息を発表し、「BD方式」と「HD-DVD方式」の規格争いは実質的にはBDが大きく優位だったが、BDの勝利が確定しBDレコーダーの普及に弾みがついた。
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■ お題「思い出は写真派?動画派?」
自分と家族・友人などの思い出用ならば「写真派」ですね。何しろ手軽ですし安価です。
実は、私は写真を撮られるのが "大の苦手"なのですが、撮るのは "大好き"というエゴイストです(苦笑)。
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□ 私と画像(静止画 & 動画) との関わり
▽ 学生時代(1967~70年)
1浪の末に大学に合格し、現役合格していた高校同級生の勧めがあり「映画研究会」へと入部して、映画(ムービー)とのやや濃い目の関わりが続くことになった。
だが私の興味は、映画の製作よりも評論や普及運動にあって、当時人気があった日本アートシアターギルド(ATG、非商業主義/芸術主義/政治主義などの指向)系作品の上映運動を進める「金沢学生映画鑑賞会」の事務局を運営した。
< 当時の印象的なATG作品>
『人間蒸発』監督:今村昌平、公開:1967年。
『肉弾』監督:岡本喜八、公開:1968年。
『絞死刑』監督:大島渚、公開:1968年。
『初恋・地獄篇』監督:羽仁進、公開:1968年。
『心中天網島』監督:篠田正浩、公開:1969年。
『エロス+虐殺』監督:吉田喜重、公開:1970年。
▽ 現役サラリーマン時代(1971~2008年)
新社会人初の冬のボーナスで、横浜の独身寮から池袋のサクラヤまで出掛けて行って、「キャノンFTb」(発売は1971年)という一眼レフと交換レンズ(広角と望遠)を買った。ネガフィルムは35mm(1.38インチ)。休日には、山下公園・三渓園や鎌倉・瑞泉寺、世田谷の独身寮(通称・独身の墓場)へ移ってからも、用賀の砧(きぬた)公園や井の頭公園などを訪れて、家族連れの表情や花木を漫然と撮影していた。独身時代でもそんなことをしていたのだからカメラには関心が強かった証拠だ。
その後の家庭を持ち子育ての4半世紀の間も、世の中は富士フイルムの世界初のレンズ付フィルム「写ルンです」(発売は1986年、35mmカラーネガフィルム)が爆発的に普及していたにも拘わらず、頑(かたく)なに「キャノンFTb」を愛用していたのだから、重い荷物ではあった。
流石に子供たち自体が高校生以上に成長した頃(ミレニアム前後)には、レンズ付フィルム = フィルムカメラ利用へと移行せざるを得ず、重い「キャノンFTb」はクローゼットに休眠することとなったまま。
一方、バブル経済末期辺りから(1990年代~)は、「VHS方式」カセットテープレコーダー ⇒ 「HD-DVD方式」ディスクレコーダーによって、専ら劇場映画・テレビドラマを動画再生して鑑賞する趣味に熱中した時期で、膨大な保存版FDDの枚数となっていた(が、2007年に埼玉から浅草へと移転する際に全て廃棄してしまった)。そして並行してビデオレンタル屋のTSUTAYA通いも経験した。
▽ シルバー時代(2009年~)
かくしてリタイア生活に入ってからは、妻が子供たちから誕生日プレゼントしてもらったコンパクトデジタルカメラ「SONY Cyber-shot」(発売は2008年、720万画素)を、専ら私が街歩きで愛用していた。何故なら、2006年以降はインターネットのブログサイトに写真記事を投稿するようになったからだった。
2016年には新しいコンパクトデジタルカメラ「Canon PowerShot」(発売は2016年、2,110万画素)を、子どもたちからプレゼントしてもらい、都区内の公園・庭園・植物園そして市街地を散策しながらスナップ写真を本格的に撮影し、ブログに掲載するのが日課となっている。
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昨日10/29(木)の午後は、専ら清洲橋通りを進んで「清澄公園」と「木場公園」の樹々の紅葉を楽しんだ。
昨日のサイクリング13.8km & ウォーキング3,800歩 (所要時間合計3H) とやや軽く。
■「清洲橋 西詰」(中央区日本橋中洲6)
清洲橋全景
▽ 橋下の「隅田川テラス」花壇
スプレーギク(お彼岸咲き)
セイグレップ(赤黄)
セイディオン(赤白)
アスターギク(別名エゾギク/サツマギク)
赤紫
紫
▽ 対岸の「芭蕉庵史跡展望庭園」(江東区常盤1-1-3)
▽ 水上バス「東京クルーズ」
橋下のコスモス越しにヒミコが通過
上流方向の「新大橋 東詰」(江東区新大橋1-2)
対岸の墨田区横網~両国界隈の「APAホテル&リゾート両国駅前」「NTTドコモ墨田」などの遠景
橋上より竜馬の通過
▽ 橋下よりキバナコスモス・・・逆光
下流方向の中央区佃島(石川島)~月島界隈のタワーマンション群の遠景
手前右の中央区日本橋箱崎町~新川界隈のタワーオフィス群の遠景
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■「都立清澄公園」(江東区清澄2-2)・・・今回は隣接の「都立清澄庭園」(清澄3-3) には立ち寄らなかった。
園内マップ
ラクウショウ
□「浄土宗道本山東海院 霊厳寺」(江東区白河1-3-32)
ヤマハゼ
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■「都立木場公園」(江東区三好4~平野4~木場4/木場5)
園内マップ
南から北へ (マップの右から左へ)
木場5丁目・・・駐輪場
木場4丁目・・・「都市緑化植物園」、ふれあい広場、イベント池、ミドリアム、噴水広場、南の冒険広場
平野4丁目・・・サービスセンター、テニスコート、イベント広場、多目的広場、野外ステージ、ジャブジャブ池、北の冒険広場
三好4丁目・・・「東京都現代美術館」(江東区三好4-1-1)
□「木場ミドリアム」、「都市緑化植物園」(木場4-1-1)
「都市緑化植物園」の全景
背景は「プラウドタワー木場公園」(木場3-18)
タマギク(別名ザルギク)
□ ふれあい広場、「木場公園保育園 みわの会」(木場4-1-65)
ナンキンハゼ
ヤマハゼの黒い実、ピラカンサ(トキワサンザシ)の赤い実
ナンキンハゼ
トウカエデ、背景は「東京パークサイドビル」(木場5-8-40)
□ 噴水広場、仙台堀川==木場公園大橋(平野4~木場4)
プラタナス (別名スズカケモミジバ)
□ 南の冒険広場
□ 北の冒険広場
□ イベント広場、テニスコート
□「木場公園サービスセンター」(平野4-6-1)
□ 多目的広場、野外ステージ
ケナフ(西アフリカ原産)
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昨夜は「十三夜」だったが雲が広がって朧月(おぼろづき)に終始した。
月齢12.3
南南東の天空
20201029--20:32 (正中の約1H半前)
南の天空
20201029--23:03 (正中の約1H後)