■ 10月10日は「銭湯の日」
1964年10月10日に開幕した「東京オリンピック」に因み、スポーツで汗を掻(か)いた後に入浴すると健康増進に繋がることからと、「1010」⇒「千十」⇒「せんとう」と読む語呂合わせとから、「公衆浴場商業協同組合」が1991年に制定し、その後、全国の組合に広まった。
「銭湯」は日本の公衆浴場の一種で、「風呂屋」「湯屋(ゆや)」とも呼ばれる。
□ 尚、4月26日は「よい風呂の日」
「よい(4)ふ(2)ろ(6)」(良い風呂)と読む語呂合せから、4月26日を「よい風呂の日」として、親子でお風呂に入って対話を深めたり家族同士の触れ合いを促すことを目的とする記念日に制定した。映画「テルマエ・ロマエ」(原作: ヤマザキマリ、テレビアニメ化2012年、劇場映画化2012年4月26日) が大ヒットし、その第2作「テルマエ・ロマエ2」の2014年4月26日公開に合わせたもの。
尚、欧米人は体をきれいにするために風呂に入るが、日本人は体をきれいにしてから風呂に入る---と言われるほど浴槽の衛生管理に気を使っている。
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□「風呂」の語源
物を保存するために外気を防ぐように作った部屋である「室(むろ)」から転じたとする説。
茶の湯で湯を沸かすために使う道具である「風炉(ふろ)」に由来する説。
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□「銭湯」の歴史
日本の古代より神道の風習で、川や滝で行われた「沐浴」の一種、「禊(みそぎ)」が行われていた。
ヤマト王権時代に、朝鮮半島の百済(くだら)國から仏教が伝来した時(538年が有力説)、僧侶達が沐浴し身を清めるため寺院に「浴堂」「湯堂」が設置された。
飛鳥~奈良時代には、病を退けて福を招来するものとして入浴が奨励され、貧しい人・病人・囚人らへの施浴も積極的に行うようになった。当時の入浴は湯に浸かるのではなく、薬草などを入れた湯を沸かしその蒸気を浴堂内に取り込んだ「蒸(む)し風呂」形式だった。
平安時代になると、寺院の「蒸し風呂」様式の浴堂の施設を、上級の公家屋敷内に取り込む様式が現われた。それが次第に、浴槽にお湯を張り、そこに体を浸かるという「湯屋・湯殿」様式へと変化して行ったと思われる。
鎌倉時代には、一般人にも無料で開放する寺社が現れた。やがて荘園制度が崩壊すると入浴料を取るようになり、これが銭湯の始まりと言われている。建造物として現存する最古の「湯屋」は平安時代の1239年に東大寺に再建された(室町時代の1408年に修復された)もので、「東大寺大湯屋」として国の重要文化財にも指定されている。
庶民の方は桶に水を入れて体を洗う「行水(ぎょうずい)」というスタイルが続いていた。
室町時代の京都の街中では庶民向けの蒸し風呂タイプの銭湯が増えて行った。
江戸時代には、行水と蒸し風呂が融合し浴槽を設けた「湯屋」「湯殿」の様式が一般的。浴室内の小さめの湯船に下半身を浸し上半身は戸を閉め切って蒸し風呂にするという中間型の入浴法で入る「戸棚風呂」が登場した。
銭湯は次第に、薬草を炊いて蒸気を浴びる蒸し風呂から湯に浸かる湯浴スタイルへと変化して行った。しかも男女別に浴槽を設けることが経済的に困難なため、節約文化として老若男女が混浴であった。
当時の銭湯は、概ね朝五ツ(午前8時頃)~夜五ツ(午後8時頃)の営業。庶民や下級武士たちの娯楽・社交の場として機能していた。
一方、内風呂を持てるのは大身の武家屋敷に限られ、火事の多かった江戸の防災の点から庶民の家で内風呂を持つことは基本的に禁止されていた。
江戸時代後期には大店の商家でも内風呂を持つようになったが、それでも江戸の住民の大部分は内風呂を持つことが経済的に困難だった事情もあって銭湯を利用し続けた。
文化年間(1804~18年)には、人口約100万~120万人の江戸全体で600軒以上の銭湯があった。
尚、江戸・大坂・京都伏見などには水上生活者が利用する船内に浴槽を設けた湯船もあった。
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□ 東京都23区内の銭湯数の推移(各年12月末日現在)
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85(S60) 90(H2) 95(H7) 00(H12) 05(H17) 10(H22) 15(H27) 19(R1)
1,960 1,682 1,383 1,148 931 730 574 473
(100%) (24%)
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1985年から2019年までの34年間で24%まで減少した。
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□ 印象的だった「銭湯」関連ドラマとして、TBS系連続テレビドラマ「時間ですよ」シリーズ。
久世光彦がプロデューサーと演出を務めた話題作であり問題作でもあった。
天地真理、浅田美代子らの出世作になった。
女湯シーンは女性エキストラ達のセミヌードが売り物だった。
放送期間: 1965~90年(約25年間)。
脚本: 橋田寿賀子、向田邦子など。
演出: 久世光彦など。
主なレギュラー出演者:
松野まつ(森光子)…「松の湯」女将 祥造の妻。
松野祥造(船越英二)…「松の湯」主人。
松野一郎(松山英太郎)…松野家の一人息子、銭湯を継ぐのを嫌いサラリーマン。
松野芙美(大空眞弓⇒松原智恵子)…一郎の嫁。
児島(⇒石松⇒大前田)浜子(悠木千帆)…「松の湯」従業員。
宮崎健(堺正章)…大学浪人、「松の湯」従業員。
福井サチコ(西真澄)…「松の湯」従業員⇒美容院の従業員、マリのルームメート。
相馬ミヨコ(浅田美代子)…サチコに代わる「松の湯」従業員。
マリ(天地真理)…美容院の従業員、サチコのルームメート。
人気のゲスト出演者:
さゆり(研ナオコ)…浜子にケンカを吹っ掛ける不良少女。
ミナミ(中津川みなみ)…さゆりの不良少女仲間。
田村涼子(篠ヒロコ)…小料理屋「おかめ」の女将。
風間(藤竜也)…元ヤクザ、「おかめ」の常連客。
主題歌:
スリー・グレイセス「時間ですよのテーマ」(作曲・山下毅雄)
森光子「東京下町あたり」(作詞・阿久悠、作曲・山下毅雄、編曲・川口真(「時間ですよのテーマ」に歌詞をつけた作品
主な挿入歌:
浅田美代子「赤い風船」(作詞・安井かずみ、作曲・編曲・筒美京平)
天地真理「若葉のささやき」(作詞・山上路夫、作曲・森田公一、編曲・竜崎孝路)
堺正章「街の灯り」(作詞・阿久悠、作曲・浜圭介、編曲・森岡賢一)
さくらと一郎「昭和枯れすゝき」(作詞・山田孝雄、作曲・むつひろし、編曲・伊部晴美)
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□ お題「銭湯行ったことある?」
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幼少期~少年期には、郡部の農村地帯に住んでいて集落に五右衛門風呂式の共同浴場(湯屋)が4軒在った。そして班毎に毎日持ち回りで沸かす風習だった。
ゆっくり入っていられない雰囲気で、待っている間は追い炊きや、入っている間は年寄りから背中を流してくれと求められたり・・・そんなこんなで風呂嫌いになってしまった。
実家にユニットバスが設けられたのは、思春期が過ぎた高校3年生の頃(1965年)だった。
私が初めて銭湯に入ったのも高校3年生時。金沢市内小立野台地に住むクラスメイトの下宿先に遊びに行った際に、脱衣場の或る一点からだけ女湯が覗けると誘われたからだ。
その後では、社会人になって独身寮生活をしていた時期。
最初に入居した独身寮(1971~73年、JR京浜東北線&京急線の新子安駅前)は、当時新築の6階建てビルでエレベータと大浴場を備えていた。但し2人部屋だったので、希望で1人部屋の独身寮(1974~75年、東急線の二子玉川駅前)に移った。ところが後者は古くて時々風呂釜が不具合になることがあり、近所の銭湯に通ったことがあった。それが最後。