■ 9月29日は「招き猫の日」
「くる(9)ふ(2)く(9)」(来る福)の語呂合せで、「日本招猫倶楽部」(1993年設立、群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原1316-7 風呂猫スタジオ内) が1995年に制定した。尚、「日本招猫倶楽部」事務局と「招き猫ミュージアム」(2000年設立)は、2005年に「来る福招き猫まつりin瀬戸」開催に取り組んで来た愛知県瀬戸市薬師町2へと移転した。
猫は農作物や蚕を食べるネズミを駆除するため、古くは養蚕の縁起物でもあったが養蚕が衰退してからは商売繁盛の縁起物とされている。縁起物の招き猫には、右手を上げた猫と左手を上げた猫の二種類がある。「右手」はお金や福を呼び、「左手」は客などの人を招くとされる。全国一の生産地・愛知県常滑市の業者によると、1997年春頃から「右手」の注文が増え始め従来の「右1:左9」の比率が「右7:左3」になったという。招き猫発祥の地との説がある東京・世田谷の豪徳寺でも同じ傾向だという。
□ 関連ブログ 9月29日は「招き猫の日」。全国の猫寺・猫神社(2018-09-29)
□ 招き猫の写真ギャラリー
今戸神社20161224
豪徳寺20170119
浅草黒田屋本店20200626
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□ お題「今どんなことを招きたい?」
▼本日限定!ブログスタンプ
「コロナ禍」に翻弄される世の中としては、「ワクチン開発」をおいて他に無いのでは?
「経済の復興」を急ぐ余り、「盛り場営業」「GO TO トラベル」などを軽々に解禁することは極めて危険である。
と我々年寄りは不安がっている。
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昨日9/29(火)の午後は、東大本郷キャンパスを散策した。
サイクリング&ウォーキング2,500歩と軽く。
■「東大/本郷キャンパス」(文京区本郷7-3-1)
江戸時代、「本郷キャンパス」の大部分は加賀藩の上屋敷 (うち現在の医学部付属病院は加賀藩支藩の富山藩の上屋敷と大聖寺藩の上屋敷) で占められていた。
尚、「弥生キャンパス」は水戸藩の中屋敷、安志藩の下屋敷。
明治維新に、新政府に多くが収公され官有地となった。
1876年、東京医学校が移転。1877年、東京医学校と東京開成学校を統合し東京大学が発足。1885年までに、司法省法学校と工部大学校が移転。
1886~88年、東京帝国大学への改称と校地整備。1889年、現在の弥生地区に第一高等中学校が移転。1894年、第一高等学校と改称。
1923年、関東大震災によって壊滅した。
1926年、前田家から全敷地を譲り受け、代替地として前田家は駒場の農学部の一部を譲渡され移転(現・駒場公園)。
1935年、駒場の農学部が本郷に移転。本郷の第一高等学校が駒場に移転し教養学部に継承され「駒場キャンパス」となった。1941年、「浅野キャンパス」を取得。
□「三四郎池」(正式名称「育徳園心字池」)
旧加賀藩上屋敷の大名庭園「育徳園」の一部。三代藩主・利常が1638年に築造し、四代藩主・綱紀が補修して当時の江戸諸侯邸の庭園中第一と称せらされた。敷地24,000㎡、うち心字池3,600㎡。夏目漱石の長編小説『三四郎』(朝日新聞1908年連載、春陽堂1909年刊行) のモチーフに採り上げられ、通称「三四郎池」となった。
浮島
滝
心字池の錦鯉たち
錦鯉に三四郎のハートマークがある! などと、思索に耽(ふけ)っていたところ、
案の定ヤブカに刺されていた。ウナチール必携!!
トチノキの大木から実がポタポタ落ちて来た
トチの実を拾って並べてみた
□「地震研究所 海底地震計」の展示
2011年3月11日の「東北地方太平洋沖地震」の瞬間を3台の地震計と2台の水圧計からなる海底地震津波観測システムが捉えていた。
□「安田講堂」
70年安保闘争における全共闘の安田講堂攻防戦と封鎖解除(1969年1月18~19日)。ここを訪れるといつも甦る。
あの時の私は大学3年生。あれからもう49年余を経過した。
この朽ちたキノコのように。
□「医学部二号館本館」
ススキ
□ 周辺構内マップ
□「経済学部」~「社会科学研究所」
ケヤキの仲間??
キンモクセイの蕾(今季初)
□「法文」~「文学部」
「Zoomによるオンライン講義 不安の時代」ポスター
イイギリの実
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昨夜の月は「十三夜月」(月齢11.7)
南東の空には薄雲が掛かっていた
20:04 (月の出から3時間半)
薄雲から出て、南の天空に輝いていた
22:29 (正中から26分後)