■ 7月30日は「プロレス記念日」
プロレスラーの力道山は1952年2月3日、修行のためハワイへ出発して、米国の太平洋岸を転戦し300戦295勝5敗の成績を残して帰国した。
帰国後の1953年7月30日、力道山が中心となり日本初のプロレス団体である「日本プロレスリング協会」を結成することによって、プロレスラーの養成を行いプロレス人気を高めることに貢献した。当時、開始されたテレビ試合中継が街頭テレビで放送され黒山の人集(だか)りができたものだった。
出典は日本テレビ「力道山没後20年特別番組 『唸(うな)る!空手チョップ 新・力道山奮戦録』」(1983年12月放送)
1954年2月19日~21日、力道山・木村政彦組VSベン&マイク・シャープ兄弟が、日本初のプロレス興行国際試合「世界タッグマッチ3連戦」を蔵前国技館で開催。日本テレビとNHKが同時中継し、新橋駅西口広場の街頭テレビには2万人の群衆が殺到した。写真はその1シーン。
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□ お題「プロレス、生でみたことある?」
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プロレス中継を生では一度も観た経験はありません。
しかし、テレビが急速に普及開始した私の小学校高学年の頃から、つまり1958年以降では、大相撲やプロ野球の人気に迫るプロレスの試合中継を観戦したものでした。
プロレスの試合は時代劇ドラマとよく似ていました。「水戸黄門」に代表されるように、1時間の内、必ずや開始45分にチャンバラが始まります。プロレスも全く同様にして、必ずや開始45分後には場外乱闘に入りました。期待通りに事が進むから安心して楽しめたのです。
力道山 [本名:百田光浩(ももた・みつひろ)。出生名:金信洛(キム・シㇽラク、김신락) は、米国の一流レスラーと戦い得意技の "空手チョップ" で勝利する姿から国民的英雄となっていましたが、私が高校1年生だった1963年12月8日、東京・赤坂の有名な高級ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」店内で、口論となった暴力団の住吉会住吉一家小林会の村田勝志(むらだ・かつし) にナイフで腹部を刺され、一週間後の12月15日に呆気なく急逝してしまいました(享年39)。
これが切っ掛けとなって世間同様に、私のプロレス熱は急速に冷めてしまったのです。
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昨日7/30(木)午前中は、近場へ買い物に出掛けた折り、
「浅草通り」(通称「仏壇通り」)沿いの真夏の花木や草花を例によって撮影した。
□ 台東区東上野5
モクフヨウ・・・アオイ科フヨウ属、中国/台湾原産。
▽「浄土宗朝日山願成院 永昌寺」(台東区東上野5-1-2 東京メトロ銀座線稲荷町駅前)
1558年に下谷御成小路辺長者町で創建。
1637年に当地・北稲荷町へ移転・・・肥前平戸藩・松浦氏の庇護。
1882年に講道館柔道の祖・嘉納治五郎先生 [1860/12/10摂津國御影村(現・神戸市東灘区御影町)生まれ~1938/5/4 IOC総会からの帰国途上の氷川丸船内で肺炎により死去] が、当寺内に建てた居間(12畳)と書院(7畳)を道場とした「講道館」の発祥。
ハス [美称・芙蓉(フヨウ)、爪紅一重系?]・・・ハス科ハス属、インド/南アジア/オーストラリア原産。
ミズヒキ・・・タデ科イヌタデ属、日本/朝鮮/中国/ヒマラヤ原産。
コシロシキブ (別名シロミコムラサキ)・・・クマツヅラ科ムラサキシキブ属、日本/朝鮮/中国原産。
□ 台東区松が谷1
▽「ブックオフ 浅草稲荷町店」(松が谷1-3-5)
サルスベリ (別名ヒャクジツコウ)の並木・・・ミソハギ科サルスベリ属、中国南部原産。
マンデビラ(別名チリソケイ/デプラデニア)・・・キョウチクトウ科マンデビラ属、メキシコ~中央アメリカ~南アメリカ北部(熱帯アルゼンチン)原産。
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月齢9.4 (正中は20:06)
南の天空
20200730--20:03 (正中の3分前)