■ 4月27日は「哲学の日」
紀元前399年4月27日、古代ギリシアの哲学者・ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受けて、刑の執行として獄中で毒を飲んで亡くなった。
アテナイ(現在のアテネ)で活動し、対話的問答を通じて相手にその無知(無知の知)を自覚させようとしたが、アテナイ市民には受け入れられず、告発され死刑判決が下された。
弟子たちは脱獄を勧めたが「悪法も法」と言って毒杯を呷(あお)ったのだった。
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□ お題「哲学者の言葉、何か知ってる?」
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▽ ルネ・デカルト(René Descartes、1596~1650年)は、フランスの哲学者・数学者。
「我思う、故に我在り。」 (ラテン語訳「Cogito ergo sum.」、英訳「I think, therefore I am.」・・・「方法序説」(原題「Discours de la méthode」1637年)
私が読んだ1960~70年代の「方法序説」和訳本: 野田又夫・訳の中公文庫1974年/改版2019年。
解説の出典: 「ダ・ヴィンチニュース 読みたい本がここにある」(2018-05-13)
数学者でもあったデカルトは、哲学における「疑いようのない真実」を見つけようとした。そのために、まず周囲のあらゆるものや、自らの肉体さえも疑って考えたが、どうしても疑うことのできないのは「今全てを疑っている自意識」の存在であることを見つけた。
「全てを疑っている私の自意識は確かに存在している」それが「我思う、ゆえに我あり」なのだ。
▽ ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623~1662年)は、フランスの哲学者・数学者。
「人間は一茎の葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。」 ・・・「パンセ」(原題「Pensées」1670年)。 英訳「Man is a reed, the weakest of nature, but he is a thinking reed.」
私が読んだ1960~70年代の「パンセ」和訳本: 松浪信三郎・訳の講談社文庫1971年。
解説の出典: 「小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」(1984~1994年で全26巻を刊行)
広大無辺な宇宙に比べれば、人間は無に等しく、「一茎の葦」のごとく弱く悲惨な存在にすぎないが、それは「考える葦」であり、思考によって「宇宙を包む」ことができる。ここに人間の尊厳があり、偉大さがある。このような偉大と悲惨、無限と無という相矛盾しあう二律背反のなかで、揺れ動く人間の存在を、パスカルは「考える葦」という言葉で象徴させている。
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□ 私の哲学に関連するブログ(抜粋)
▽ 「空即是色」 宇宙==「空」での揺らぎ ⇒ 物質==「色」の誕生。「色即是空」 ⇒「輪廻転生」「永劫回帰」。
あの世(宇宙)に還った霊魂が、この世に何度も生まれ変わって来るや否や??? あたかも星がブラックホールとなり新星が再び誕生するが如し。
太陽は、最新の天文学では109億歳で寿命を迎える。現在の太陽は46億歳なので63億年後には今の形は失われる。
赤色巨星⇒白色矮星⇒次第にエネルギーを失いやがて黒色矮星⇒ブラックホールだけが残り極限まで圧縮された状態になる⇒光子(光の素粒子)を放出しながら長い時間を掛けて蒸発。
宇宙には光子のみが残る。光子には質量が無いため宇宙から全ての質量が無くなってしまう。この情景はまるで宇宙の始まり、ビックバン直前の宇宙とそっくりなのだ。別の宇宙の始まりなのである。
死に行く星がこれほど美しい輝線(きせん)を放てるならば、老いて行くこともそれほど悪くない。そうして、宇宙空間に拡がるガスは、いつかどこかで新しい天体の材料となる。
まるで仏教の輪廻転生だ。太陽の寿命109億歳の億を取って、人間の寿命に例えればよい。
▽ 人生とは、しばしば選択の岐路に立たされる。
人間誰しも、限界が有り、従って目標(ありたい姿)と現実とのギャップに悩む場合が多い。
躊躇(ちゅうちょ)しながらも逃げないで、早目早目の決断をし、勇気を持って択一して行く。
これが私のモットーであるが、勇気を持って行動することはなかなか難しいことである。
▽ 私の哲学に関連するブログ一覧表
NHK-E「ケンブリッジ白熱教室」---カミュ=サルトル論争など(2014-10-09) 「デイヴィッド・ベッカムの実存主義」「マイケル・ジャクソンの新プラトン主義」(2014-10-18)
「2014未来への選択 ~鶴見俊輔と『思想の科学』」スタディ(2015-08-10)
姜尚中が訴えたいこととは?(2015-10-07)
西田幾多郎所縁の京都「哲学の道」に「哲学の廊下」が加わる(2016-06-14)
「ラジオ深夜便 ~明日へのことば」アルベール・カミュ(2019-08-01)