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今日は「七夕の日」。七夕のお願いは何?【ブログネタ】

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七夕のお願いは何?

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■ お題 「七夕のお願いは何?」

 

 

「七夕の節句」を我が家で祝う行事は、すっかりご無沙汰し、

今は、夫婦で「下町七夕まつり」をはじめ都内の七夕飾りを見物することに止まっている。


埼玉で子育てしていた間(1978~1990年頃)は、願い事が書かれた短冊の七夕飾りが家の前にあった。

 


■ 少年時代の「お盆」

 

 

故郷の金沢では、7月15日(新暦)前後に行う「新盆」地区と、8月15日(旧暦)前後に行う「旧盆」地区とに分かれていた。

 

私の生まれ育った集落は、周りが「旧盆」なのに金沢旧市街地と同じく「新盆」だったのは、幼心に不思議なことだった。
どうも同集落が加賀藩の御料地の1つだった歴史と関係がありそうだが、ハッキリしたことは分からなかった。

 

従って、先ず同集落に盆踊りがあって、1カ月後には周りの各集落の盆踊りラッシュがあったため、
色気付いた思春期の中学生の私は、お目当ての女子の浴衣姿を一目見ようと、忙しく自転車で巡ったものだった。

 

ところで、小6の時(1959年の夏)、初めて男子も盆踊りに加わることになった。
クラスの一部の女子から男女平等にすべきとの意見が出され、可決。子供会(こども協同組合と称した)の議長だった私は先頭で踊らされたのは恥ずかしくもあり・・・。

 

いずれにしても、当時の天の川銀河はよく見えた。

 

*

 

 

(フリー画像)

 


■ 7月7日に行われた風習の変遷

 


□ 中国

 

前漢時代(紀元前206~紀元後8年)


「乞巧奠」(きこうでん)・・・采女(うねめ。朝廷の女官)が七本の針の穴に美しい彩りの糸を通し捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈った。

 

六朝・南北朝時代(222~589年)


一年に一度の再会を許される夜であるとの「牽牛・織女」伝説と「乞巧奠」の風習とが結び付く。

 


□ 日本


ヤマト王権時代(4世紀半ば~592年)


中国の「牽牛(彦星)・織女姫(織姫星)」伝説、「乞巧奠」の風習と前後して、
538年、百済國を経て仏教が伝来すると、7月15日の「盂蘭盆(うらぼん)」の夜に戻って来る祖先の霊に着せる衣服を機織(はたおり)して精霊棚に供えるため、
7月7日の方は、「棚幡」(たなばた、多那婆多⇒七夕)を準備する日との解釈になった。

 


江戸時代


「乞巧奠」の風習は、手習事の願掛けとして庶民にも広がった。


また、短冊などを笹に飾る風習は、「夏越の大祓」(なごしのおおはらい。毎年の犯した罪やけがれを除き去る)に行う茅の輪の両脇の笹竹に因んで、
短冊に願い事を書き葉竹に飾ることが一般的に行われるようになった。

 

明治時代


新政府から、「盆」を新暦月遅れの8月15日に行わうように指導されたことに伴い、「七夕」は8月7日になった。
しかし一方、7月7日に「七夕」、7月15日に「盆」という風習の地域も全国には多い。

 

 

 


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