Quantcast
Channel: ちとちのなとちのブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2687

今日は「ナンパの日」。したことある?されたことある?【フログネタ】

$
0
0

ナンパしたことある?されたことある?

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 
 

■ 「POPAYE」による「ナンパの日」制定

 


男性ファッション雑誌「月刊POPAYE」(ポパイ)1991年6月19日号[マガジンハウス(旧社名・平凡出版)発行]で、7(なん)8(ぱ)の語呂合せで、「ナンパの日」と提唱された記念日。


さらに創刊は1976年6月5日号であったことに因み、6月5日の方は「ナンパ解禁の日」とした。

 

 

 


■ 男性ファッション誌の歴史

 


「POPAYE」は、"Magazine for City Boys"というキャッチフレーズで、アメリカ西海岸など米国の現代的生活様式を日本に紹介し、初期には若者風俗をリードするなど社会に大きな影響を与えた。


一時は"オシャレ"の代名詞ともなり、流行や遊びに敏感な都会的男子を指して"POPAYE少年"などと呼ぶこともあった。

 

 

一方、ライバル誌「月刊宝島」(晶文社⇒宝島社発行)は、1973年7月10日に"WonderLand"というキャッチで創刊。「POPAYE」とともに1970年代のサブカル文化の一翼を担った。
「宝島」の方は2015年8月25日発売の10月号をもって休刊した。

 

 

*

 


マガジンハウス(中央区銀座3-13-10)は、旧社名・平凡出版の時代に、東京オリンピックの年に、若い男性向け雑誌「週刊平凡パンチ」1964年5月11日号(4月28日発行)を創刊した。


同誌は、我々団塊世代とそれ以降のファッション・風俗に関する情報とグラビアなどを取り扱い、翌々年の1966年には、発行部数100万部突破のミリオンセラーとなり一世風靡した。

 


さらにニッポン放送の深夜放送で「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」という番組を放送。セクシーなモコ・ビーバー・オリーブと言う「パンチガール」とDJを交えた展開もまた人気を博し、
松田聖子は1980年パンチガールの一人であり、デビューから支援することで彼女をトップアイドルに押し上げる格好となった。

 

 

それに対抗して「週刊プレイボーイ」(集英社発行)1966年10月28日号が創刊された。

「平凡パンチ」は、1988年10月に冬眠宣言をし最初の休刊となった。その頃には我々団塊世代も"不惑"の40歳代を迎えていた。

 

 

 


■ 「ナンパ」の変遷

 


「ナンパ」は、若い男性が面識ない若い女性に対して、公共の場で誘う行為、および行為を行う者のことを「軟派」と呼ばれる。

 

明治期に造られた新語。当初は政治用語で「意見や主張が軟弱な党派とその輩(やから)の意味であった。

 

昭和期の1960年代以降では、異性交遊を避ける態度は「硬派」、

その逆の異性交遊にうつつを抜かし異性を追いかける態度は「軟派」と呼ばれるようになり、
その種の行為を指してカタカナ言葉の「ナンパ」と呼ばれるようになった。

 

英語圏では、異性を拾う行為という意味から、「pick up」と呼ぶ。日本語圏以外で「nanpa」で通じる国もあるそう。

 

 

*

 

 

1990年代以降、インターネットが普及してからの「ナンパ」は、

電子掲示板・出会い系サイトなどのソーシャルネットサービス(SNS)が利用されることによって、
未成年への裾野拡大が止まるところを知らず、女子からの援助交際、男子からのストーカー行為など性犯罪をはじめ、様々な犯罪が増加の一途を辿っている。

 


 


■ 私と「ナンパ」

 


関連ブログ 私の記憶に残った雑誌(2006/12/18)

「週刊平凡パンチ」の表紙を飾る大橋歩(あゆみ)女史のイラストは、地方に住む青年にとって洗練された都会生活そのもののイメージだ。


後にビートルズが運んで来たロングヘア以前を風靡した、 あのIVY(アイビー。vsTRAD)ルックと、「平凡パンチ」の記事の都会的洗練と退廃との混在が、
食べて行くのに一生懸命の安サラリーマン家庭の子供にとり、ドリームに満ちたものだった。

 


□  高校・大学生期(1961~70年、16~22歳)

 

 

「週刊平凡パンチ」(創刊1964年)や「週刊プレイボーイ」(創刊1966年)、ザ・ビートルズの来日(1966年)やグループ・サウンズの熱狂(1967~69年)が
ファッションなど若者文化を形成した時代に、我々団塊世代は青春真っ只中だった。

 


一方、大学期(1967~70年)の学園は、内も外も、ベ平連運動(1965~73年)や全共闘・70年安保闘争(1967~69年)などの政治運動が吹き荒れていた。

そんな学生時代の私は、始めは「軟派」、中は「硬派」、終いは就活という目まぐるしい人格の変貌を遂げて行った。

 


□ サラリーマン前期(1971~86年、23~39歳)

 

 

サラリーマンの見習い3年間は、日経新聞を真面目に読み、実業法規・マーケティングなどの入門書を漁(あさ)り、工業技術用語を"赤単(豆単)"のように覚える日々だったため、
「月刊宝島」(創刊1973年)や「月刊POPAYE」(創刊1976年)どころではなかったのが実態だった。


 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2687

Trending Articles