図書館でゲットした、文藝春秋の月刊誌「文學界 2019年8月号」に掲載された、村上春樹の連作短編シリーズの
#4小説「ウィズ・ザ・ビートルズ」と、#5エッセイ「ヤクルト・スワローズ詩集」を読んだ。
■ 「一人称単数」シリーズの概要
"三つの短い話"・・・「文學界」2018年7月号掲載。
その1「石のまくらに」
その2「クリーム」
その3「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」
その4「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」・・・「文學界」2019年8月号掲載。
その5「ヤクルト・スワローズ詩集」・・・「文學界」2019年8月号掲載。
その6「謝肉祭(Carnaval)」・・・「文學界」2019年12月号掲載。
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★ 私の感想
彼の遠き思春期の儚い恋愛経験や美意識を回顧しているようなフィクション。
さはさりながら、村上春樹ワールドを形成して来た、精神構造の変遷に訴求している。
育った阪神間(関西弁)、父(古文教師)からの巣立ち。
巨人阪神というメジャーからヤクルトというマイナーへの愛の軌跡。
尚、私も、プロ野球は巨人ファンからマイナーなオリックス・ファンへと変遷している。
■ その4 「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」
文藝春秋社月刊雑誌・文學界2019年8月号掲載。
村上春樹氏の青春譜とも言うべきエッセイ的(自伝的)短編小説。
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□ 主要人物
・ 僕:主人公、作者(村上春樹氏)を思わせる。
・ 「ウィズ・ザ・ビートルズ」のLPを抱えた美しい少女。
・ ガールフレンドのサヨコ。
・ ガールフレンドの妹。
・ ガールフレンドの引き籠もりの兄、記憶をときどき喪失してしまう。
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□ あらすじ
今は年老いた語り手の主人公(僕==村上春樹氏)が、神戸の公立高校時代の恋と、それにまつわる不思議なエピソードについて語る。
彼はガールフレンドを迎えに彼女の家に行くが、たまたま彼女は留守で、彼女の引き籠りの兄が出て来て、不思議な会話をする。
それから18年後、僕(35歳)は結婚し作家として東京で暮らしている。
或る日、渋谷の坂道で偶然ガールフレンドの兄に会い、ガールフレンドに起きたことが語られる。
芥川龍之介の遺稿の短編小説「歯車」六「飛行機」が、主人公と兄の会話に登場し、芥川晩年の 「誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?」 という最後の一文が、この作品に死のイメージとして木霊している。
1964年の秋、主人公は高校の時、ザ・ビートルズの2ndアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」を胸に抱えた美しい女生徒と学校の廊下で擦れ違い、目を奪われる。
社会的に熱狂されているビートルズにではなく、その女の子に惹かれ、出会った瞬間、主人公の耳に鐘の音が聞こえた。
その後、その子とは二度と会えず、何ら実を結ぶことはなかった。
一方、別の女生徒・サヨコと付き合い男女の関係を結ぶに至ったが、鐘の音は聞こえないまま。
そんな或る日、彼女との約束で家を訪れると、彼女の兄しかおらず、主人公は彼と会話して過ごしながら彼女の帰宅を待った。
彼はときどき記憶喪失するという病気で、家に籠りがちだった。彼女は自分の兄の話をしないので、それまでは知らなかった。
兄の求めに応じて、芥川龍之介の「歯車」(芥川の死後に発表されたほとんど遺書に近い作品) の最終章「飛行機」を朗読した。そこには「飛行機病」というものが出て来る。
ようやくガールフレンドから電話が掛かって来て、約束したのは次の週の日曜日だったでしょと言われた。
納得できなかったが、彼女がはっきりそう言うのなら多分そうなのだろう。うっかり予定を一週間違えたと謝った。
しかしもうひとつ納得できなかったのは、前夜に僕らは電話で話をして、そのことを確認したばかりだから。
実はガールフレンド・サヨコの兄は記憶が途切れる病を抱えていることを知るのだった。
彼女もまたそんな病気だったのかそうではなかったのか、不明のまま。
月日は経ち18年後くらいに、僕とガールフレンドの兄とは渋谷で偶然再会する。
彼は記憶が飛んでしまう病気から脱していて、記憶喪失中に父親の頭を金槌でどついたりする心配から解放されたといい、都内で働いていた。
ところが、兄の話によると、ガールフレンドは3年前に死んでいた。
未だ32歳のサヨコは、医者からもらった睡眠薬を貯めておいて、それをまとめてそっくり飲んだ。
自殺は計画的なものやったんやないと、東京弁に少し関西弁が交じる言葉で話してくれた。
その死に方は芥川龍之介みたいで、彼女は26歳の時に勤めていた損保会社の同僚と結婚。2人の子供たちを残しての自死だった。
その話から、僕はサヨコと最後に会ったときのことを思い出す。彼女は20歳だった。少し前に運転免許をとったばかりで、彼女は僕を父親が所有するトヨタ・クラウン・ハードトップに乗せて、六甲山の上まで連れて行ってくれた。
運転はまだ心許なかったが、それでもハンドルを握っている彼女は、とても幸福そうに見えた。
カーラジオからはやはりビートルズの歌が流れていた。曲は「ハロー・グッドバイ」。
2人が別れた場所は六甲山の上のホテル。
僕は東京の私立大学に進んでいたが、そこで一人の女の子を好きになってしまったことを打ち明けると、彼女はほとんど何も言わず、ハンドバッグを抱えて席を立って去って行った。
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□ 印象に残るセンテンス
p10~11
彼女は学校の廊下を一人で早足で歩いていた。スカートの裾を翻しながら、どこかに向けて急いでいるようだった。・・・ 彼女は一枚のレコードをとても大事そうに胸に抱えていた。「ウィズ・ザ・ビートルズ」というLPレコードだ。ビートルズのメンバー四人のモノクロ写真がハーフシャドウであしらわれた、あの印象的なジャケットだ。・・・ 彼女は美しい少女だった。少なくともその時の僕の目には、彼女は素晴らしく美しい少女として映った。・・・ 素敵な匂いがした (いや、それは僕のただの思い込みなのかもしれない。・・・) ・・・ 僕はそのとき彼女に強く心を惹かれた---LP「ウィズ・ザ・ビートルズ」を胸にしっかりと抱えた、その名も知らない美しい少女に。・・・ 高校の薄暗い廊下、美しい少女、揺れるスカートの裾、そして「ウィズ・ザ・ビートルズ」。僕がその少女を目にしたのはそのときだけだった。そのあと高校を卒業するまでの何年かのあいだ、彼女の姿を見かけることは二度となかった。・・・ 新しい女性に巡り会うたびに、僕はそのときの想いを---あの1964年の秋に僕が学校の薄暗い廊下で巡り会った輝かしい一瞬を---もう一度自分の中によみがえらせることを、無意識のうちに希求していたような気がする。
p14
しかし正直に言って、僕が熱心なビートルズのファンであったことは一度もない。・・・ 高校時代にも大学生になってからも、ビートルズのレコードを購入したことは一度もない。当時の僕はジャズとクラシック音楽に心を強く惹かれていて、真剣に音楽を聴くときには、もっぱらそういった音楽を聴いた。・・・ 僕がふとしたきっかけでビートルズのレコードを自ら買い求め、それなりに真剣に耳を澄ませるようになったのは、ずっとあとになってからのことだ。
p30
ガールフレンドのお兄さんは、僕が詠み終えた文章の余韻を味わうように、腕組みをしてひとしきり目を閉じていた。
< 僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか? >(芥川龍之介の遺稿『歯車 六 飛行機』)
p41
僕とガールフレンドはその日、六甲山の上にあるホテルのカフェで別れ話をすることになった。僕は東京の大学に進んでいたが、そこで一人の女の子を好きになってしまったのだ。思いきってそのことを打ち明けると、彼女はほとんど何も言わず、ハンドバックを抱えて席を立った。・・・それがサヨコを目にした最後になった。それから彼女は大学を出て、ある大手損保会社に就職し、会社の同僚と結婚して二人の子供をもうけ、やがて睡眠薬をまとめて飲んで、自らの命を絶ってしまったのだ。
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■ その5 「ヤクルト・スワローズ詩集」
文藝春秋社月刊雑誌・文學界2019年8月号掲載。
ヤクルト・スワローズのファンを自認する村上春樹の『ヤクルト・スワローズ詩集』にまつわるエッセイ。
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□ あらすじ
僕は野球が好きだという告白から始まり、ヤクルト・スワローズへの愛を語る。
彼は上京後、1968年にサンケイ・アトムズ(のちのヤクルト・スワローズ)を応援することを決めた。
1978年、ヤクルト・スワローズはリーグを初制覇し、日本シリーズも優勝した。
この年、彼は「風の歌を聴け」で群像新人賞を受賞。
しかし、それまでの10年間は、「実に膨大な、(気持ちからすれば)ほとんど天文学的な数の負け試合を目撃し続けてきた」 時代だった。
その10年間に彼は一人で神宮球場の外野席に座り、試合を観戦しながら詩のようなものをノートに書き留めていた。それが「ヤクルト・スワローズ詩集」。1982年に半ば同人誌のような形で自費出版した。
その中から「右翼手」「鳥の影」「外野手のお尻」の3編を引用。また、詩集出版後に書かれた野村監督時代の甲子園球場での阪神戦を描いた「海流の中の島」も引用している。
神宮球場の謙虚さ、ヤクルトの弱さ。神宮球場で野球を見ながら暇つぶしに書いた詩。どこかすっとぼけた、シュールな、でもジーンと来る。
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□ 印象に残るセンテンス
p50
人生は勝つことより、負けることの方が数多いのだ。そして人生の本当の知恵は「どのように相手に勝つか」よりはむしろ、「どのようにうまく負けるか」というところから育っていく。「我々の与えられたそういうアドバンテージは、君らにはまず理解できまい!」、僕は満員の読売ジャイアンツ応援席に向かって、よくそう叫んだものだ(もちろん声には出さなかったけれど)。
p54
僕と父親は、一塁側内野席の前の方に座っていた。試合の始まる前に、カージナルズの選手たちが球場を一周し、サイン入りの軟式テニス・ボールを客席に投げ入れていった。僕らは一塁側内野席の前の方に座っていた。人びとは立ち上がり、歓声を上げて、そのボールをとろうとした。僕はシートに座ったまま、ぼんやりとその光景を眺めていた。どうせサイン・ボールなんて小さな僕にとれるわけがない。でも次の瞬間、気がつくと、そのボールは僕の膝の上に載っていた。たまたまそれが僕の膝の上に落ちたのだ。ぽとんと、まるで天啓か何かのように。「よかったなあ」と父親は僕に言った。半ばあきれたみたいに、半ば感服したみたいに。
そういえば、僕が30歳で小説家としてデビューしたとき、父親はだいたい同じことを口にした。半ばあきれたみたいに、半ば感服したみたいに。
それは少年時代の僕の身に起こった、おそらくは最も輝かしい出来事のひとつだったと思う。最も祝福された出来事と言っていいかもしれない。僕が野球場という場を愛するようになったのも、そのせいもあるのだろうか?。
p62~63
なにはともあれ、世界中のすべての野球場の中で、僕は神宮球場にいるのがいちばん好きだ。・・・ チームが勝っていても、負けていても、僕はそこで過ごす時間をこよなく愛する。・・・ 試合の勝ち負けによって、時間の価値や重みが違ってくるわけではない。時間はあくまで同じ時間だ。・・・ 時間とうまく折り合いをつけ、できるだけ素敵な記憶をあとに残すこと---それが何より重要になる。・・・ まず最初に黒ビールを飲むのが好きだ。でも黒ビールの売り子の数はあまり多くない。見つけるまでに時間がかかる。ようやくその姿を認め、手を高く上げて呼ぶ。売り子がやってくる。・・・ 「すみません。あの、これ黒ビールなんですが」「謝ることはないよ。ぜんぜん」・・・ 黒ビール売りの男の子はその夜これから、きっとたくさんの人に謝らなくてはならないのだろう。・・・ 僕は代金を払い、彼にそささやかな祝福を送る。「がんばってね」と。