今日11/4(月・祝)は振替休日。
そして 「上弦の月」(半月、月齢7)でもある。
月の出12:38/月の入20:07。
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■ サンマの朗報
銚子漁港でサンマ初水揚げ、待望の“秋の味覚”到来
千葉日報 2019/11/01(金)
サンマの記録的不漁が続く中、銚子漁港(銚子市)で1日、今年初となる水揚げがあった。初水揚げは過去20年で最も遅かった2017年の10月6日より、さらに3週間程度遅くなったが、待ちに待った秋の味覚の到来に、市場は大いに活気づいた。この日、サンマを水揚げしたのは第1太幸丸(銚子市)、第36欣栄丸(岩手県)、第135豊幸丸(静岡県)の3隻で、銚子市漁協によると、3隻の水揚げ量は計約220トン。1キロ当たり352~150円(平均239.4円)で取引され、サンマは、零(こぼ)れ落ちる程いっぱいになるまでトラックの荷台に積まれ、次々と各地に運ばれた。
第1太幸丸は、10月27~29日に北海道・根室沖で漁獲したサンマを2日ほどかけて銚子まで運んで来た。小子内照治漁労長(59)は「今年はまるっきり採れなかったが、ここに来て量が増え(近くの漁港では)安値になってきたため銚子に来た。銚子での初水揚げがこれほど遅かったことは経験がない」と話した。
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■ 11月4日は「かき揚げの日」
「味のちぬや」(香川県三豊市豊中町本山乙708) が制定。同社は、冷凍食品の製造・販売を手がけ全国の量販店・コンビニ・外食産業などに流通させている。
記念日の日付設定は、「かき揚げ」が蕎麦やうどんなどの麺類に乗せて食べられることが多いことから、
「めんの日」の11月11日の1週間前(同じ曜日)となる11月4日をそう選定したという。
尚、「天ぷらの日」は夏の暑さにバテないよう天ぷらを食べて元気に過ごそうと、そもそも「大暑」の7月23日頃だったが、後に業界で毎月23日としている。
□「かき揚げ」について
蕎麦の研究家によれば、天ぷら蕎麦が考案されたのは江戸時代後期の文政年間(1818~30年)頃で、初めに使用されたのは芝海老のかき揚げ。店
現在では「かき揚げ」とは天婦羅の一種で、エビ・小柱・イカなどの魚介類、タマネギ・ニンジン・ゴボウ・春菊などの野菜類を小麦粉の衣でまとめ、食用油で揚げた日本料理。
その名前は、「かき混ぜて揚げる」ことに由来する。
江戸前の魚介類では、東京湾の小型の特産物である芝エビ(小エビ)・アオヤギ貝柱(小柱)が具材に使われる。
関東・東海では、桜エビ・シラスのかき揚げを出してくれる本格派の蕎麦・うどん店もあるが、
近年の都内では、タマネギに芝エビに似せた紅ショウガを加えたかき揚げを載せている、立ち食い店が多い。
□ お題 「うどんにかき揚げ乗せる派?乗せない派?」
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尚、これまで都内で利用した立ち食い屋さんの「かき揚げ」では、
□ 「カレー」の語源と略史を調べてみた。
日本では当初から「カレーライス」と「ライスカレー」の2つの言葉が使われていたようだ。
1860年、日本で初めて「Curry」という料理の名を紹介したとされる福沢諭吉の「増訂華英通語」には、「Curry コルリ」という表記がある。
1872年、北海道開拓使東京事務所で米国人ホーレス・ケプロン用の食事に「Rice Curry タイスカリイ」が提供され、同年にカレーライスのレシピを記した本「西洋料理指南」(敬学堂主人)と「西洋料理通」(仮名垣魯文)が出版された。
1875年、樺太の医師「三田村多仲日誌」の記録で「カレーライス」という語が使われた。1876年、札幌農学校の教頭として来日していたウィリアム・スミス・クラークが、「生徒は米飯を食すべからず、但し らいすかれい はこの限りにあらず」という寮規則を定めた。1877年、東京・両国の「米津凮月堂」が、初めて日本でライスカレーをメニューに載せた。
1903年、大阪・道修町の薬種問屋「今村弥」(現「ハチ食品」)が、日本初のカレー粉「蜂カレー」を製造販売した。1906年、東京・神田の「一貫堂」が、日本初の即席カレールウ「カレーライスのタネ」を発売した。
1908年、帝国海軍が配布した「海軍割烹術参考書」に、「カレイライス」のレシピが載った。1910年、帝国陸軍が配布した「軍隊料理法」に、「カレー、ライス」のレシピが載ったが、一般の呼び方としては「ライスカレー」。
一方、明治時代後期~大正時代にかけての新聞や雑誌では「ライスカレー」と呼ばれることが多かった。
1914年、東京・日本橋の「岡本商店」から「ロンドン土産即席カレー」が発売された。
1924年、東京・神田の「須田町食堂」(現「聚楽」)が、初めて廉価(8銭)カレーライスをメニューに載せた。
1926年、大阪・松屋町の「浦上商店」(現「ハウス食品」)が、インスタント・カレールウ「ホームカレー粉」を発売した。1927年、商品名を「即席ハウスカレー」に変更した。
昭和時代でも、一般市民の間では出身者が圧倒的に多い陸軍式の「ライスカレー」という名称が優勢であった。しかしデパートでは混在していて、大阪・阪急百貨店では大食堂には「ライスカレー」(70円)、グリルでは「カレーライス」(100円)として提供されていた。
高度成長期の昭和30年代(1955年~1964年東京オリンピック)頃から、家庭用の固形ルウが盛んに市販されるようになった頃から、企業広告やマスコミなどの影響により「カレーライス」という名称が国際化の一環として浸透して行った。

□「ハヤシ」の語源
「Hashed beef with Rice ハッシュドビーフ・ウィズ・ライス」や「Hashed and Rice ハッシュド・アンド・ライス」
⇒ 縮まって「ハッシ・ライス」「ハイシ・ライス」
⇒ 訛(なま)って「ハヤシライス」
1888年発行の「軽便西洋料理法指南」(マダーム・ブラン述、洋食庖人・松井鉉太郎著)に、「Hashed Beef ハヤシビフ」のレシピが掲載された。
1909年発行の「女道大鑑」(三八光商会編)や1912年発行の「洋食のおけいこ」(緑葉女史述)といった書籍に、「ハヤシビーフ」のレシピが掲載された。
1908年発行の「海軍割烹術参考書」にドライハヤシとしてハッシュドポテトのレシピが掲載されており、「Hashed ハヤシ」と表記した例が認められる。英語で「Hash」と言った場合、ハッシュドポテト系の料理を指す場合と、肉汁のスープ(デミグラスソース)で煮込む料理を指す場合とがあるが、この2つが明治時代に混同され、最終的に米飯に合う煮込み料理としてのハッシュだけがハヤシと呼ばれ普及していったのではないかと推定(ルポライターの澁川祐子氏)。
1907年、東京・神田の「岡島商店」の「固形ハヤシライスの種」という商品の広告が掲載された。
大正時代~昭和時代にかけて、料理書では「ハヤシライス」の名称が頻出するようになった。