NHK-E ETV特集「薬師寺 巨大仏画誕生~日本画家 田渕俊夫 3年間の記録~」
7/2(土)23:00~23:59、再放送7/8(金)24:00~24:59 [7/9(土)0:00~0:59]
語り: 松本紀保
奈良市西の京町の薬師寺では、今は亡き高田好胤(1924/3/30~98/6/22)和上が始められた写経勧進による伽藍復興、16世紀までに焼失した白鳳伽藍(がらん)復興事業が50年に亘り進められて来た。
現在、東塔は解体修理作業折り返しを迎え、伽藍北部に位置する食堂跡の発掘復元工事が進んでいる。
今その事業が大きな節目を迎えている。
2017年5月に落慶する伽藍最大の建築物である食堂(じきどう)の起工式が、2015年3月21日に行われ、収める本尊となる、前代未聞の6m四方の超巨大な仏画が姿を現わした(除幕式)。
本尊の阿弥陀如来は6×6mの巨大仏画 《阿弥陀浄土図》
手がけたのは田渕俊夫(1941/8/15東京市江戸川区生まれ、74歳)画伯。
玄奘三蔵院には、田渕の師・平山郁夫(1930/6/15~2009/12/2)画伯が描いたシルクロードを歩む玄奘三蔵の姿を描いた大壁画があり、
田渕は、その遺志を引き継ぐ現代日本画界最高の巨匠。
京都東山・智積院には、講堂に長谷川等伯の国宝《襖絵》60面がある。
田渕俊夫の《襖絵》四季墨絵(2011年)も収められている。
田渕の襖絵は、《爛漫》(2003年、今治市大三島美術館蔵)にも見られるように、桜が墨一色で描かれているはずなのに微かに薄いピンクに見えるのだ。
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番組は、「仏画とは何か」という根源的な問いに向き合い、生命の危機に晒(さら)されながらも挑んだ3年の格闘の記録である。
お手本となるインド・アジャンター石窟群の壁画、敦煌・莫高窟(ばっこうくつ)の壁画、
そして、法隆寺金堂壁画(国宝、7世紀末頃)
・・・1949年、不審火によって金堂が炎上し、壁画は焼け焦げてその芸術的価値は永遠に失われてしまった。1号壁=釈迦浄土図、6号壁=阿弥陀浄土図、9号壁=弥勒浄土図、10号壁=薬師浄土図。
田渕は、薬師寺東院堂の聖観世音菩薩立像(国宝、白鳳~奈良期)、三千院往生極楽院の阿弥陀如来及両脇侍坐像(国宝、1148年)、などなどの模写に励む。
仏像の顔を描くのは最後。
下書きをプロジェクターで投影して拡大する。
自然界にも人の身体にも、線は存在しない。線を書けるのはただ人だけの技。
最初に墨を入れるのは目。墨入れはまるで行だ。
□ 初公開のアトリエで3年に及ぶ制作に密着
□ 生命の危機に見舞われながら描く極楽浄土
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□ 田渕の歩み
1967年から10カ月間、アフリカとイタリアに滞在。
アフリカの大学に留学した頃の作品は、鮮明な色彩。
《ヨルバの花》1968年 名古屋市美術館
もっと強い絵をなどとも言われたが、迷うことなく、白と黒だけによる究極の表現ともいえる墨絵にも取り組む。
色彩を使うと絵が重くなるが、墨では虚像的なリアル感が出て来る。
顔料を膠(にかわ)で溶くという手間のかかる技法。
帰国後の1968年、先達である、菱田春草らに通じる描線の美しさを見せるようになる。
日本美術院による「院展」に初入選を果たす。
長久手や瀬戸の風景。
草木や雑草の生命力。
《青木ヶ原》1969年愛知県美術館蔵
《灼熱の夢》1970年 大川美術館蔵
《秋詩》1970年個人蔵
《叢叢(そうそう)讃歌》1985年、箱根・芦ノ湖成川美術館蔵
《朝顔》2006年
仏画に通じる日本画を強く意識。
永平寺不老閣《襖絵》24面、2002年
鶴岡八幡宮《襖絵》2002年
鶴岡八幡宮《縁起絵巻》2011年
薬師寺食堂
本尊の阿弥陀如来は6×6mの巨大仏画《阿弥陀浄土図》2015年3月
その脇に3mの高さの中国から平城京まで仏教伝来の道を14面描かれる《仏教文化伝来と薬師寺縁起大壁画》完成は2017年5月