昨日8/29(木)、最寄りの警察署で、「運転免許証の自主返納」を済ませて来た。
追って近日中に、「運転免許証」に代わって身分証明として使える「運転経歴証」が発行される。
間もなく72才になる私は、免許を取得した大学4年の初夏(22才)から数えて彼是半世紀になる。
近年は、マイカーを手放して埼玉から浅草に引っ越し(2007年)、レンタカーの運転もやらなくなり(2009年)、妻が先行して免許を手放した(2016年)。
これまでの運転歴の中では様々なドライブ旅行の思い出があり、この機会に懐かしみつつ整理してみた。
■ ドライブ旅行の思い出
□ スバルR2SS(優れもの)の時代・・・1970~73年
1970年の夏・・・免許を取って直ぐに名神・東名の初体験、金沢⇒米原⇒東京⇒京都⇒金沢。
1971年の春・・・社会人初のGWに、横浜⇒東京⇒千葉。横浜への帰途(京葉道路)で大事故。
1971~73年の各夏・・・独身期の夏休み帰郷(積雪の冬は帰らなかった)ルートは、横浜⇒京都⇒琵琶湖西⇒敦賀⇒金沢⇒米原⇒横浜。
□ マツダ・ニューファミリアBD(ハッチバック)の時代・・・1980~90年
1980~88年の各夏・・・埼玉移転後の家族の夏休み帰郷ルートは2つ。
南回りルート(東名⇔名神⇔北陸の700km)・・・埼玉⇔東京⇔米原⇔福井⇔金沢。
北回りルート(関越⇔北陸の600km)・・・埼玉⇔長岡⇔富山⇔金沢。
主には渋滞が少ない北回りルートを選んだが、子どもたちが数えると埼玉から金沢までのトンネルは25カ所もあり運転手にとっては渋滞と異なる疲労感があった。
□ トヨタ・カムリV20の時代・・・1990~2000年
1990~2000年の各夏・・・この頃の前半には関越と北陸が所々片肺(対向)ながら直結し、後半には東京外環が順次開通したので、
夏休み帰郷ルートは北回りルート(東北⇔外環⇔関越⇔上信越⇔北陸の500km)に固定され、疲労感は和らいだ・・・埼玉⇔美女木⇔藤岡⇔更埴⇔上越⇔金沢。
カムリは比較的車長が長いので走りそうに見えるが登坂力に劣るため、しばしば登坂車線のお世話になった。
1999年の夏・・・マイカーで初めて神戸までドライブ旅行したが、晩年?のカムリは六甲を下りたところで発煙故障。
□ トヨタ・マークⅡグランデの時代・・・2000~2007年
2001年の夏・・・夫婦二人だけの定年(1回目)旅行の一環として、浅草⇒小名浜⇒いわき⇒松島⇒石巻⇒仙台⇒浅草。思い出多き北茨城・東福島・南宮城の旅行となった。これから10年後に悲惨な「東日本大震災」に襲われてしまった。
2002~2006年の各夏・・・カムリの時代と同じく、夏休み帰郷ルートは北回りルート・・・埼玉⇔美女木⇔藤岡⇔更埴⇔上越⇔金沢。
2002年の夏・・・帰郷中に金沢駅から程近い大野港の宝生寿司を食べに出掛け、妻の制止を聞かずに内灘海岸へ波打ち際までダッシュで乗り入れた後の帰途に徐々に砂浜に沈んで行った(マークⅡの重量は1トン)が、波打ち際で遊んでいたサーファーさんに4駆(4WD)で牽引してもらったのは本当にラッキーだった。
2006年の夏・・・偶には--と、中央⇒長野⇒飛騨⇒富山南砺の近道ルートを選んだところ、神岡のスーパーカミオカンデの周辺で迷子になった。