昨日8/3(土)も炎天下の午前中、大切な "水" をキーワードに、繋がりのあるスポットを回ってみた。
■「浄土宗/用明山/四天王院/聖徳寺」(台東区松が谷2-3-3)
玉川兄弟顕彰碑
玉川清右衛門の墓
玉川上水の開削工事は、1653年に徳川四代将軍・家綱の代に着工され、翌1654年に多摩の羽村 (現在の東京都羽村市羽字玉川附741地先) から四谷大木戸(現在の新宿区四谷四丁目交差点付近)に至る43kmの導水部が竣工した。
その後は給水地域が順次拡大され、江戸城内はじめ四谷・麹町・赤坂の高台などの山の手から、芝・京橋の下町に及んだ。
江戸の水道施設建設の功績により、玉川庄右衛門・清右衛門の兄弟は200石の扶持を賜り玉川上水役に任ぜられ玉川という名字を与えられ帯刀も許された。
聖徳寺の創建は不詳だが、1453年に中興し、徳川家康が関東入国の翌1591年、「浄土宗/七大本山/増上寺」の末寺として「浄土宗/獅子吼山/専稱院/善徳寺」(現在は北区赤羽西6-15-21)などと共に江戸城西の局沢(坪根沢、現在の皇居吹上御苑) から、平河門口⇒日本橋大船町⇒日本橋馬喰町への移転を経て、1657年の「明暦の大火」後に当地・浅草新寺町へ移転した。
■「上野公園 不忍池」(台東区上野公園2~池之端3)
相変わらず「ハス池」はピークを過ぎれど人気は高い。
昭和通り ⇒ 昌平橋通り
■「神田神社」(別称「神田明神」「江戸総鎮守」、千代田区外神田2-16-2)
730年創建。 伊勢神宮のご領地「神田ノ宮」⇒江戸時代1616年に現在地へ遷座。「神田明神」と名乗り江戸総鎮守として神田祭は江戸三大祭りの一つ。正式名称は明治維新の1872年に「神田神社」に改称。
手水舎
奥に恵比寿神
恵比寿神(水神・海神・漁業の神)
■「国の史跡 湯島聖堂」(文京区湯島1-4-25)・・・日本の学校教育発祥の地。
江戸元禄期1690年に徳川五代将軍・綱吉は儒学の振興を図るため、この地に聖堂を創建、上野忍岡の林羅山家塾を移した。
1797年に幕府直轄学校として「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設した。
明治維新の1871年に我が国最初の博物館(現在の東京国立博物館)、72年に東京師範学校(現在の筑波大学)、我が国初の図書館、74年に東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)が設置された。近代学校教育発祥の地として1922年に国の史跡に指定された。
建築の荘厳さと樹木の鬱蒼(うっそう)さの相乗効果から、奈良天平の仏閣に近い雰囲気を醸している。
大成殿(孔子廟)の鴟尾(しび)は鬼犾頭(きぎんとう、想像上の魚神で、水神として屋根の頂上にあって火を防ぐ。鬼龍子(きりゅうし)は想像上の霊獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れる。
カイノキ(ムクロジ目ウルシ科カイノキ属、中国原産。楷樹、別名・学問の木で"楷書"の語源、別名クシノキ(孔子の木)・カイジュ・ランシンボク・ナンバンハゼなど。
ミンミンゼミ
咲き揃った八重咲きのムクゲが清楚
□「お茶の水おりがみ会館」(文京区湯島1-7-14)
涼しくなるディスプレイ
■「東京都水道局 本郷給水所公苑」(文京区本郷2-7)
園内マップ
眼下に神田川。セミたちの大合唱が続いている。
江戸幕府の神田上水~水道橋の設計思想を伝える公園。1930年に開園し、1982年に改修された。
東京都の現役「本郷給水所」の上部に構築されている。
1892年(明治25年)に給水場が、6年後に配水池がそれぞれ造られた。
和風庭園は、武蔵野の雑木林をイメージし、
隣接する「水道歴史館」(本郷2-7-1)の野外展示場として神田上水幹線水路の石樋が復原されている。
ハギ
ナツアカネ(ショウジョウトンボ)はやっぱり倒立姿勢。メスのアキアカネを惹き付けようとしているのでは??
スズメバチ
ノウゼンカズラはまだまだ
洋風庭園は、モニュメント(パーゴラや地球儀)が置かれ、バラ園(52種・300株)となっている。春(5~6月)と秋(10~11月)に楽しめる。
■「区立元町公園」(本郷1-1)
クサギ、フヨウ
ミンミンゼミ
昨日のサイクリング&ウォーキング3,600歩と軽め。