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5月21日は「小学校開校の日」。小学校といえば何を思い出す?

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■ 今日は「小学校開校の日」

明治2年(1869年)5月21日、京都市に日本初の近代小学校「上京第二十七番組小学校」、後の「柳池(りゅうち)学区小学校」⇒「御所南小学校」が開校した。

明治維新によって都が東京へ移ること(東京遷都)となり、京都は深刻な危機を迎えた。 

そこで京都の町衆は、再興は人づくりにあると考え、住民が自分達で資金を調達して開校したものだった。明治5年(1872年)の明治政府による学校制度(学制)の創設に先立つ、日本最初の学区制小学校であった。


■ お題「小学校といえば何を思い出す?」

 

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□ 私が昭和29~34年度(1954~59年度)の間に学んだ小学校は、石川県金沢市の北東郊外の集落に在った。
隣りの富山県との県境から少し離れた、「河北潟」(後に殆どが農地として干拓された)周辺に広がる、加賀平野有数の田園地帯に囲まれていた。
明治9年(1876年)の開校から95周年経った、昭和46年(1971年)に統合によって廃校となった。


□ 我が小学校の教育方針の特徴

・ "戦後民主教育"の一環として、学級委員は生徒の互選で男女1名ずつ選ぶこと。男子も針仕事(雑巾作り・ボタン付けなど)を経験すること。盆踊りに小学生から男子も参加すること。
・ 「こども信用組合」と称する自治会活動に高学年から参加すること。その組合組織は総務・貯金・購買・厚生・文化などで編成されていた。
・ 農村に相応しく、農業高校のように自主研究田を持ち稲作の全てを実行していた。落穂拾い大会、収穫祭などもあった。
・ その他、火の用心の夜回り、神社境内の掃除、夏休みの家庭学級(近所の上級生の自宅で集合学習すること)など。


□ 今でも強く記憶に残った小学生時代の思い出

・ 集落住民が挙って(班別に)参加する、海水浴(稲作用の舟に乗り河北潟を経由して日本海の海水浴場へ)、班対抗の運動会(縄ない競争、綱引き、年代別リレー)。
・ 運動会の高学年男子「棒倒し」種目で、先陣を切って敵軍の旗を奪う寸前に、太い竹の棒が倒れ頭から落下して気を失ってしまった、6年生時の苦い思い出。

 


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