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Channel: ちとちのなとちのブログ
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平成最後の新しい年を迎えつつあります。

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■ 1926年12月25日は「昭和改元の日」

1926年(大正15年)12月25日午前1時25分に大正天皇陛下が崩御(宝算47)。皇太子殿下の裕仁親王(迪宮様)が践祚(せんそ、即位)した。

東京日日新聞(現・毎日新聞)は、新元号は「光文」という内々の情報を得たとして、政府公式発表前に号外で「新元号は『光文』が選定された」と報じてしまった。

時事新報(後に東京日日新聞と合併)は、朝刊市内速報版で「『昭和』に決定した」旨の号外でスクープした。

そして政府は、元号を「昭和」と公式発表したため、東京日日新聞は大誤報となってしまい、主幹は引責辞任した。

後日談として、確かに多くの新元号候補の中に「光文」もあったが、宮内省の最終案は「昭和」「神化」「元化」の3種だった。
そして政府はそのうちの「昭和」に絞り込んでいたのだと言うのだが、東京日日新聞報道から政府公式発表までの時間が余りに短かったことから、「元々『光文』に決定していたものが、新聞で先に報道されてしまったため、『昭和』に急遽変更した」という噂まで生まれた。


*


■ 1989年1月8日は「平成スタートの日」

1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分に昭和天皇陛下が崩御(宝算87)。皇太子殿下の明仁親王(継宮様)が践祚(せんそ、即位)した。

東京日日新聞の後身である毎日新聞は、新元号を他社に先んじようと躍起になっており、1月7日の夕刊3版で全国紙唯一、「平成」に決定したとスクープ報道を遂げた。

このことは毎日新聞社130周年記念出版の社史『「毎日」の3世紀』において、「見事スクープ、63年ぶり雪辱果たす」として「光文」誤報事件のリベンジが行えたと記述している。

他紙は、同日14時36分の小渕恵三内閣官房長官(当時)の「平成改元」記者会見後に発行した号外及び夕刊(最終版)で掲載した。

かくして、元号法に基づき初めて政令による新元号が定められ、翌日を「平成元年1月8日」とする改元がなされた。

「平成」は最初の年号「大化」以来247番目の元号。


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■ 2019年5月1日は新元号スタートの日

2019年4月30日に平成天皇(今上天皇)陛下が生前退位(譲位)。皇太子殿下の徳仁親王(浩宮様)が践祚(せんそ、即位)する。

それに先立って政府は、新元号の公表時期は改元1カ月前の4月1日以降と発表した。

尚、「明治」「大正」「昭和」「平成」の頭文字をアルファベット表記にしたM・T・S・H 以外の文字になるのは確定している。

私見としては、憲法改正、オリンピック、等々・・・歴史に名を残したいと躍起の野心家総理の「安」「倍」「晋」の漢字が忖度されませんよう念じたい。


 


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