先ず、「昭和を感じさせる言葉」調査データをWebでチェックしてみた。
■ 「昭和を感じさせる言葉」に関するランキング
□ NTTレゾナントgooランキング「昭和を感じさせるものといえば?」(2013-10-04)
①黒電話②ブラウン管テレビ③カセットテープ④ちゃぶ台(丸い座卓・飯台)⑤80年代アイドル⑥駄菓子⑦フォークソング⑧美空ひばりの歌⑨ポケベル⑩赤チン(赤チンキ・マーキュロ)
□ マイナビ学生の窓口「昭和を感じる言葉ランキング」(2015-06-08)
①えもんかけ(ハンガー)②チョッキ(ベスト)③ちり紙(ティッシュ)④ズック(運動ぐつ・スニーカー)⑤背広(スーツ)⑥パーマ屋・床屋(美容室・理容室)、さじ(スプーン)、うで輪(ブレスレット)
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昭和といえば、なにを思い浮かべる?
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■ お題 「昭和といえば、なにを思い浮かべる?」
私の人生は、昭和22年(1947年)から始まり、昭和64年の終わり(ロクヨン、1989年正月)には41歳だった。従って、私にとっての「昭和」とは、人生の上昇期に当たり、常に"競争していた"記憶が強く残っている。
□ 我々ベビーブーマー(団塊世代)の試験漬けと受験競争。テレビを観たい欲求との葛藤・・・中学1年生(昭和35年度)~大学一浪生(昭和41年度)。
私の人生は、昭和22年(1947年)から始まり、昭和64年の終わり(ロクヨン、1989年正月)には41歳だった。従って、私にとっての「昭和」とは、人生の上昇期に当たり、常に"競争していた"記憶が強く残っている。
□ 我々ベビーブーマー(団塊世代)の試験漬けと受験競争。テレビを観たい欲求との葛藤・・・中学1年生(昭和35年度)~大学一浪生(昭和41年度)。
□ 70年安保と学園闘争。歌・映画との共存でもあった・・・大学生(昭和42~45年度)。
□ 技術革新と国際競争。子供の成長が嬉しかった・・・サラリーマン(昭和46~63年度)におけるコンピュータの自由化、情報通信機器の貿易摩擦。
■ 一番、思い出深い昭和年は?
□ ①位は、昭和50年(1975年)。
結婚した年である。27歳でのお見合い結婚だった。ハネムーンはハワイ。この費用だけは自分の貯金から支出した。当時は1ドル=291円(5/末)~296円(6/末)の時代だったので、2人4泊6日間で5,000ドル≒147万円も掛かった。1ドル=100円の今日ならば、1/3の50万円で済む。
因みに当時は、日本が敗戦期~高度成長期の約30年間続いた、円為替レートの固定相場制(1ドル=360円)から、遂に1973年、変動相場制(1ドル=308円からスタート)へと移行することを先進主要国から要求され、国際金融・貿易において開放経済世界の荒波へと船出した。かくして、1ドル=300円 →200円 →100円の円高が急速に進み、一方で、日本国家の国際競争・投資、日本人の海外渡航・購買が飛躍的に伸び、他方で、世界のバブル経済に飲み込まれて行き、約20年後の1993年までに破綻を迎えるに至った。
□ ②位は、"サンパチ豪雪"の昭和38年(1963年)。
平野部でも1月22~27日の6日間で降雪3m、うち1月27日の積雪1.8m(史上最高)。家の2階からの出入りが続いた。当時の私は、中学3年。3月上旬の高校入試受験を間近に控えていた。それだけに特別の緊迫感を覚えた。北陸・金沢の郊外、農村地帯に住んでいた我々中学生はバス通学しており、豪雪のため2月下旬までの1カ月間、1時間近く掛けて雪道を歩いたものだった。そして、何とか受験前には交通機関も正常化してくれた。