Quantcast
Channel: ちとちのなとちのブログ
Viewing all 2687 articles
Browse latest View live

"黄金の左"輪島さん死去。10/10(水)善福寺川を中野から杉並まで散歩。

$
0
0

 

一昨日10/8(月・祝)、元横綱・輪島関が亡くなった。

 

 

輪島氏は私と同郷かつ同い年。

私が社会人2年目(1972年)の歳の暮れのこと。会社では政府に申請する重要書類作成集中作業のため、銀座の某シティホテルの一室に閉じ篭(こも)っていた。駆け出しの私まで招集が掛かり、そのうち、上司から寿司を買いに行って来いとの指示があって有名な勘八本店に向かった。今で言うパシリ。何とチラチラと雪模様。革靴が滑らないように注意しながら歩いていたところで、豪華な米車・黒塗りのリンカーンコンチネンタルの中から付き人の番傘に、悠然と白い着流しのちょんまげ姿力士。「あれ! 輪島だ!」。高級クラブの山口洋子ママの「姫」へと消えて行った。

 

"黄金の左" 輪島関と、そんな行きずりエピソードがあった。

 

関連ブログ


大相撲・遠藤関---石川県出身の出世力士たち(2014-07-29)
私の会った有名人(2007-01-08)
 

 

☆ 輪島大士(わじま・ひろし)関


本名は輪島博、1948年1月11日七尾市石崎町(実家は理髪店)生まれ、市立香島中学校時代から頭角を現わして、金沢市の私立金沢高校に進学し先生宅に下宿、日本大学で2年連続学生横綱に輝く、花籠部屋、三役昇進前から私生活は派手、場所入りはリンカーン・コンチネンタルを乗り回す、史上初の学士・本名横綱誕生、第54代横綱(1973~81年)、左の下手投げを得意とし、トレードマークの金色の廻しと掛けて "黄金の左" と呼ばれ下手投げを得意とする力士は大成しないというジンクスを破った。幕内優勝14回、引退から4年目、年寄名跡を借金の担保にしたことが発覚し、日本相撲協会から処分を受けて廃業する。その後は全日本プロレス所属のプロレスラー、大相撲解説やタレントとして、日本テレビ系「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」に準レギュラーで出演し、いわゆる天然ボケタレントとして活躍した後、アメフト・Xリーグのクラブチーム「ROCBULL」の総監督に就任し、キューバの相撲ナショナルチーム監督も務めたのだった。


2013年秋に咽頭癌が判明し、切除手術を受け、その影響で声を失ってしまった。

そうして5年経過後の一昨日、2018年10月8日(月・祝)、衰弱のため都内の自宅で死去。70歳没。

 

 

◇-------------------------

 

 

今日10/10(水)午前中は、神田川の支流「善福寺川」沿いの「和田堀公園」などを散歩した。

 

JR中央線で神田駅⇒四谷駅、東京ロトロ丸ノ内線で四ツ谷駅⇒方南町駅下車。

 


「善福寺川緑地」/「都立和田堀公園」を上流に向かって遡(さかのぼ)った。

 

前回訪問のリブログ


 

 

以下、「橋」の順

 

和田堀~(環状7号線==都道#318)、
定塚(じょうづか)、堀之内、本村(ほんむら)、紅葉、熊野、武蔵野、済美(せいび)、二枚、大松、宮木、大宮、宿山(しゅくやま)、
宮下~(松ノ木八幡通り==都道#427)、
八幡、御供米(おくまえ)、大成、白山前、成園、成田下、成田上、
尾崎~(五日市街道==都道#7)。

 

 

*

 

 

環七地下貯水池

 

堀ノ内

 

どこにもコサギとカモが共存していた。

 

武蔵野橋

 

済美

 

都立和田堀公園第二競技場(済美山運動場、杉並区堀ノ内1-15)

 

大宮

 

 

ピラカンサの朱色の実

 

定番!! ハナミズキの赤い実

 

タイワンホトトギス、イヌタデ(アカマンマ)

 

マユミの赤い実

 

 

イチョウとハナミズキのコントラスト

 

区立郷土博物館(杉並区大宮1-20-8)

 

和田堀池(大宮2-25)

掻掘(かいぼ)り作業完了の案内板

 

 

紅葉の始まりが池面に映っていた。

 

松ノ木

 

イイギリの赤い実

 

黒猫が近付いてくれた。

 

成田

 

 

ミニストップでサンドイッチを買って食べた。

 

 

*

 

帰途は、成田西3-2からJR中野駅前まで関東バスに乗車。

JR中央線で中野駅から神田駅まで。

 

この日のウォーキング11200歩の大台突破。

 

 

 


10月12日は浅沼稲次郎暗殺事件の日。「木場公園」も秋色(PartⅡ)。

$
0
0

 

■ 記憶に残る10月12日

 

 

□ 1960年10月12日 「浅沼稲次郎暗殺事件が勃発」


日比谷公会堂で行われていた自民・社会・民社の三党立会演説会で右翼(反共・民族主義・大日本愛国党)青年の山口二矢(おとや)が当時の野党第一党・日本社会党の浅沼稲次郎委員長を刺殺 [1898年12月27日東京府(現・東京都)三宅村生まれ、61歳没] 。

当時の私は中1だったが、父が社会党支持の国鉄職員であったことから

激しい憤りを感じたことを覚えている。

11月2日、裁判を待たず、東京練馬区・少年鑑別所内で「天皇陛下万才、七生報国」との遺書を残して首吊り自殺した [1943年2月22日東京府東京市下谷区谷中初音町(現・東京都台東区谷中)生まれ、17歳没]。

 

□ 1974年10月12日 「讀賣巨人軍の長嶋茂雄選手が現役引退を表明」

当時の私は4年目の新米サラリーマンで大の長嶋ジャイアンツファンだったので、大いに寂しかった。



□ 1983年10月12日 「ロッキード事件裁判(丸紅ルート)の第一審で、元内閣総理大臣の田中角栄に有罪判決」

当時の私は、通産省(現・経産省)や業界との渉外活動見習いの仕事に携わっていたため、ハラハラする政財界の動静ばかりだった。

後にそんな仕事を離れてからは、城山三郎や山崎豊子の作品を懐かしく楽しんだものだ。

 

 

 

◇-------------------------

 

 

昨日10/11(木)午前中、江東区のよく訪れる「木場公園」に、秋を見つけに行った。

 

 

隅田川・駒形橋⇔浅草通り(都道#453)⇔三ツ目通り(都道#319)を往復。

 

サイクリング&ウォーキング4,300歩と軽目。やや汗が滲(にじ)んだ。

 

 

■「東京都現代美術館」(江東区三好4-1-1)

 

「都立木場公園」の北隣りに1995年に開館。2016年6月から大規模改修工事のため休館していたが、いよいよ来年2019年3月下旬にリニューアルオープンする運びとなった。

 

 

 

 

■ 「都立木場公園」

サービスセンターが江東区平野4-6-1に在るが、木場5・4丁目~平野4丁目~三好4丁目にまたがる広い公園。

 

紅葉が徐々に進んで色付いて来た。

 

 

 

 

名物のキバナコスモスは長く楽しませている。

 

                         木場公園大橋↓

 

クマンバチ

 

 

ケナフ(西アフリカ原産)

 

和綿(ワタ)

8世紀末にインドから初めて移入。その後は中国やポルトガルからも移入・栽培。16世紀末までには綿糸・綿織物として加工。
 

 

 

 

□「木場公園大橋」
木場公園の三つの地区を連結する公園のシンボル。全長250m・主塔の高さ60mの斜張橋。

パンパスグラス、 東京スカイツリーが幻想的↑

 


*

 


□ 公園付属の「都市緑化植物園」 (木場4-1-1) 

 

ガーデニング広場

庭をつくろう広場(洋風・和風)

帰化植物見本園

などのコーナーに分かれ、ボランティア「木場公園友の会」が維持・管理。

 



枯山水

 

コスモス

 


 

フジバカマ

 

メキシカンセージ

 

ホトトギス



センニチコウ

 

オオケタデ

 

ホオズキ

 

キク

 

シュウメイギク(赤紫)

 

シュウメイギク(白)

ミョウガ

 

キダチコンギク

 

ホウキギ

 

ソバ

 

ハナミズキの赤い実、ミニヒマワリ

 

 

10月14日は「鉄道の日」。昨日は「自然教育園」に秋色(PartⅢ)を探した。

$
0
0


■ 10月14日は「鉄道の日」


1872年10月14日(旧暦9月12日)、新橋駅(初代⇒1914年汐留駅と改称⇒1986年廃止)~横浜駅(初代⇒1915年桜木町駅と改称)を結んだ日本初の鉄道が開業した。
1921年10月14日、鉄道開業50周年を記念して東京駅の丸の内北口に「鉄道博物館(初代)」 が開館。1922年に「鉄道記念日」として制定。1994年に「鉄道の日」と改称。

 

 

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

あなたもスタンプをGETしよう

 

 

□ お題「最近乗った電車は?」

東京メトロ、都営地下鉄、JR山手線・京浜東北線は、毎週・毎月乗っている。JR上野-東京ラインや中央線(東京-新宿の区間)も比較的多い。
そんな中で最近、久しぶりに乗ったのが、10/7(日)に東武東上線(上板橋-池袋の区間)。


*



■ 10月14日は「PTA結成の日」でもある。

1952年10月14日、PTA(英語 Parent-Teacher Association) の全国組織「日本父母と先生の会 全国協議会」(現「日本PTA 全国協議会」)が結成された。


◇----------------------------

 

 

昨日10/13(土)は朝からまずまずの涼しさ(笑)だった。

 

そこで早春以来の「自然教育園」を尋ねることにした。

こちらは国の付属施設にも拘わらずシルバーは無料。

 

 

メトロ銀座線・溜池山王駅で南北線に乗り換えて白金台下車のルートで往復。ウォーキングは7,500歩と適度。


 「国立科学博物館附属 自然教育園」 (港区白金台5-21-5)


江戸期には1664年に高松藩主・松平讃岐守の下屋敷 ⇒ 明治期には陸海軍の火薬庫 ⇒ 大正期1917年に皇室の白金御料地 ⇒ 昭和期1949年に文部省「天然記念物及び史跡」に指定、「国立自然教育園」として一般公開。1962年、「国立科学博物館附属自然教育園」と改称。
ここは、「明治神宮の森」(渋谷区代々木)と「林試の森公園」(目黒区下目黒~品川区小山台)と並び、都区内では貴重な自然の宝庫と言われ、敷地内には「庭園博物館」もある。
港区の高級住宅地に、こんな武蔵野の自然が一杯!! 天然記念物の園と驚かされるパワースポット。
 

 

リブログ

 
 
関連ブログ
冬枯れの白金台「自然教育園」を散策した(2017-01-06)
白金台の「国立科学博物館附属 自然教育園」で花見(2016-04-01)
白金台の「自然教育園」で自然観察(2015-11-03)

 

 

 

□ 路傍植物園

 

カリガネソウ

 

フジアザミ

オオスカシバのホバリング

 

チャノキ

 

園内マップ

ウバユリ

 

ツリフネソウ


ムクノキ


大蛇(おろち)の松



シラヤマギク

 

ガマズミの赤い実



ホトトギス

 

 



ススキ

 

カラスウリ




□ 水生植物園

 

ゴンズイの黒い実、赤い萼(ガク)

 

ツリフネソウ

 

 


ワレモコウ

 

アキノウナギツカミ

 

不明??

 

写生中のパレット

 

写生家グループの姿が池に映った。

カエデは未だ紅葉していない。


マユミの赤い実


 

ユウガギク


ひょうたん池

トウカエデも紅葉は未だ


物語の松

 


□ 武蔵野植物園



ヤブマオ


イヌショウマ

 

 

 

 

「林試の森公園」で大樹、花壇の蝶を鑑賞した

$
0
0

昨日10/14(日)は、朝から肌寒いほど。
<追記>東京地方の天気
10/13(土)

曇り、気温:最高18.5/最低15.6℃、湿度65%、東北東の風: 平均2.6/最大5.1m/s

10/14(日)

曇り、気温:最高19.6/最低13.2℃、湿度85%、北西の風:平均2.3/最大5.0m/s

10/15(月)予報

曇り、気温:最高20/最低15℃



一昨日の「自然教育園」に続いて、東京メトロ・目黒線沿線の「林試の森公園」を訪ねた。
銀座線の溜池山王駅で乗り換えて、目黒線の武蔵小山駅を往復。

ウォーキング6,100歩とこの日も適度。

 



平素は平日の公園・庭園を狙っているが、今回は休日(土日)を選んだ。
そして、この公園は殆ど秋色が進んでいなかったので、大樹と花壇の蝶を中心に撮影した。


■「都立林試の森公園」


目黒区下目黒5丁目~品川区小山台2丁目に跨(またが)る。サービスセンターの所在地・・・品川区小山台2-6-11。
1900年、農商務省林野整理局「目黒試験苗圃」⇒1905年、林野庁「林業試験所」(後に試験場)⇒1989年、「都立林試の森公園」。品川用水(玉川上水の分水)~羅漢寺川(目黒川の支流)の名残の地。
総面積は12.7haと広くて、多種の巨木が多いことでは都内屈指の公園。




リブログ

 

 

関連ブログ
林試の森公園を散策し、目黒不動尊にもちょこっと寄る(2013-11-13)


10/14(日)は目黒区が主催した「第42回 林試の森フェスタ」を開催中。
コンサート・バザー・森の探検隊(ウォークラリー)・お抹茶席・など。

 




今回は「南門」から入り「水車門」から出た。

 

園内各所に、台風24号をはじめ一連の暴風雨の爪痕(つめあと)があった。

数百年に亘って生育された巨樹・大樹が一瞬にして倒壊した姿は痛ましい。

 

 

□「南門」

 

□「デイキャンプ場」

 

□「大きな広場」「西門」

 

□「プラタナスの並木」「北門」

 

モミジバスズカケノキ (別名・プラタナス)大樹の林・・・ヨーロッパ原産と北アメリカ原産をイギリスで交配した。

 

□「サービスセンター (品川区小山台2-6-11)

 

□「出会いの広場」・・・フェスタの「コンサート」会場

 

コウヨウザンの大樹・・・ベトナムから中国南部に分布。

 

□「ラクウショウの森」

 

□「せせらぎ橋」

四阿(あずまや)にて
フェスタの「森の探検隊」

 

シマサルスベリ林の大樹・・・台湾~奄美諸島~中国中部に分布。

 

ノグルミ・・・台湾~中国中部~西日本~南朝鮮に分布。

 

ボダイジュ・・・そのうちの中国原産種。

 

大樹の切り株に大きなキノコ

 

ヨコグラノキ・・・高知県横倉山で発見された珍種。日本~朝鮮半島~中国における石灰岩の地質を好んで生える。

 

ホオノキの大樹・・・日本列島に広く分布。下駄・俎板(まないた)の材料、朴葉は殺菌作用あり。

 

クスノキの巨樹

 

□「冒険広場」「東門」

 

ユーカリの倒木周辺に、花壇。

各種の蝶々が集まっている。

 

ルリシジミ

 

ミドリヒョウモン

 

ツマグロヒョウモン

 

ヒメジャノメ

 

クマンバチ

ゴマノハグサ/ トレニア

 

ツリフネソウ/ サンパチェンス

サルビア/ スプレンデンス

 

サルビア/ メドーセージ

センニチコウ

 

シュウメイギク

 

不明??

 

チンタオトゲナシニセアカシア (ハリエンジュ)・・・北アメリカ原産、ドイツが中国清朝から租借した青島(チンタオ)の防砂林として植えた。

 

尾が長いのでキジかと思いきや、ヤマバトの番(つがい)だった。

 

 

 

 

 

□「つくし門」

 

クスノキの大樹・・・ベトナム~中国南部~台湾の原産、古代に日本にも伝播。

 

 

□「水車門」

 

ウラジロガシの大樹・・・台湾~日本~韓国に分布。

 

アベマキ (コルククヌギ) の大樹・・・台湾~西・東日本~朝鮮半島~中国に分布。

 

 

水車門から出た。

 

ピラカンサ

パンパスグラス

 

ヤマトシジミ? 

タンポポ

 

 

富士山の初雪化粧。夕暮れの上野山散歩。

$
0
0

 

昨日10/15(月)朝、「富士山 初雪化粧」宣言があった。

 

実は、気象台が9月26日に一足早く「初冠雪」発表をしていた。

 

富士山「初冠雪」20180926

出典: 共同通信

 

 

しかし地元の富士吉田市は化粧と言えるほど雪に包まれていないとして10月15日の「初雪化粧」宣言となった。

 

富士山「初雪化粧」20181015

出典: 朝日新聞

 

 

 

 

◇-----------------------

 

 

昨日10/15(月)15時以降、いつものように上野山へとサイクリング。

 

途中、「昭和通り」(国道#4)の手前で、「上野学園」に隣接する「東京メトロ」の引き込み線踏切で降りて、初撮影。

 

■「東京メトロ 上野検車区」 (銀座線車両基地。台東区東上野4-25)

 

軌道遮断式踏切

 

 

 

 

*

 

 

■ 「JR跨線橋(こせんきょう) 両大師橋」(上野7)

 

15時半近く、手押しで上った。

 

京浜東北線

山手線

 

上野東京ライン

 

 

*

 

 

■「天台宗別格大本山東叡山輪王寺」(通称の変遷: 天海大僧正を祀る「開山堂」(1644年) ⇒慈恵と慈眼の二大師を祀る「両大師堂」(1656年)。上野公園14-5)

 

隣接する「輪王殿」(斎場)。

本堂

ハス池

 

 

金魚たち

 

 

参道の銅灯籠、鐘楼

 

手水舎/鉢

 

ススキ、龍

 

 

境内のホトトギスが満開

 

ホオズキと風鈴、ナンテン

 

 

*

 

 

 

■ 重要文化財「旧東京音楽学校奏楽堂」 (上野公園8-43)

 

1890年、「東京藝術大学音楽学部」の前身「東京音楽学校」の校舎として建造 ⇒ 1983年、台東区が譲受。 ⇒ 1987年、現在の地へ校舎を移築・復原し「旧東京音楽学校奏楽堂」として一般公開。 ⇒ 1988年、日本最古の洋式音楽ホールを擁する校舎として重要文化財の指定。⇒ 2014年4月、改修(保存活用)工事のため休館。⇒ 2018年11月、リニューアルオープン。
 

紅葉がマッチしている。

 

 

 

 

■ 「東京文化財研究所/ 黒田記念館」(上野公園13-9)

 

ハナミズキの赤い実とレンガの赤

 

 

「京成電鉄線 旧博物館動物園駅」(上野公園13-23)

 

こちらも間もなく、遂にホームの一部が一般公開される。


まぼろしの「博物館動物園駅舎」復活の舞台裏~京成電鉄と東京藝大が21年ぶりに扉を開けた

 

 

 

 

 

 

■「東京都美術館」(上野公園8-36)

 

井上武吉・作「my sky hole 85-2 光と影」(制作1985年)。

 

 

特別展「ムンク展―共鳴する魂の叫び」2018年10月27日(土)~2019年1月20日(日)

 

手前の作品は「芸術の散歩道」に展示中の菊池言美・作「雌蛸」(2018年春の藝大生卒業制作) 。

 

 

*

 

 

■「東京国立博物館」(上野公園13-9)
 

「竹の台広場/噴水池」 (通称「大噴水」。上野公園6) 
 

サンパチェンス (ツリフネソウ科インパチェンス属の多年草)

 

 

 

少しずつ紅葉が進むケヤキの林

 

 

 

何と!! 初サザンカ

                  「上野東照宮」の鳥居↑ 

 

 

■ 重要文化財「旧寛永寺五重塔」(上野公園9-88)

 

 

 

*

 

 

日没は17:06、雨がポツポツ当たって来た。

再び「両大師橋」から。今度は下り坂なので、点灯しながら慎重に。

昨日のウォーキング1,200歩止まり。

 

 

「荒川自然公園」の秋色(PartⅣ)を鑑賞。

$
0
0

昨日10/16(火)は漸(ようや)く秋らしい気候で過ごし易かった。
私の好きな「荒川自然公園」に秋色を求めたところ、落葉広葉樹が多いので紅葉が進んでいた。

いつものように昭和通り==日光街道(国道#4) ⇔ 三ノ輪交差点で明治通り(都道#306)を往復。
サイクリング&ウォーキング4,400歩と軽目。


■ 「区立荒川自然公園」(荒川区荒川8丁目、事務所は荒川8-25-3)


東京都下水道局「三河島水再生センター」の上下水処理場の上の人工地盤に造られ、新宿区の落合中央公園に次いで都内で2番目の規模。面積6.1ha。

1974年に中央部分が開園。79年に南側が開園し、公募により「荒川自然公園」と改称した。96年には北側が完成した。
都電荒川線・荒川二丁目停留場で下車して直ぐのところ。
西・都電荒川線、北・京成本線、東・隅田川、南・荒川1丁目・・・に囲まれた広大な区域。
1982年には「新東京百景」に選定された。自然観察やウォーキングの場としても楽しめる。
尚、今日10/17(水)は「上水道の日」である。1887年10月17日、横浜の市街地へ日本初の近代的上水道による給水が開始された。英国人技師ヘンリー・S・パーマー中佐の設計指導により、相模川と道志川の合流地点(現在の相模原市緑区三井)を水源に、野毛山貯水地へ引水し横浜市街地へ給水した。



□ リブログ



 

関連ブログ
今日は「虫の日」。「荒川自然公園」で昆虫を探した(2018-06-03)
「荒川公園」「荒川自然公園」を訪ねる(2018-04-28)
紅葉が進む「荒川自然公園」を訪ねた(2017-10-26)
 

 

*

 

□ 南側・・・白鳥の池・水辺広場・アスレチックコーナー・昆虫園

シンボル的存在の白鳥が9/12(水)に亡くなったとの悲報。

天国へと飛翔(はばた)け!!
20180428撮影


20160325撮影




オトコエシ


オミナエシ


ツツジの狂い咲き


ハナミズキの見事な赤い実



イロハモミジがいっぱいに広がっている。紅葉が楽しみ。



カキの紅葉



サクラの紅葉



カツラの紅葉はいつも美しい。



ラクウショウ、ケヤキ



ハゼノキの紅葉。未だ一部だけ。



クロガネモチの赤い実



落葉したナナカマドの赤い実?


東京スカイツリー




*


□ 中央・・・児童遊園コーナー・テニスコート・わいわいプール

こちらのイロハモミジは紅葉



コスモス




 


中でも真っ赤なドウダンツツジ



中でも真っ赤なニシキギ



*


□ 北側・・・交通園・ふれあい健康広場・さんさん広場

ジュウガツザクラ・・・中心が黄緑がかった色から赤みがかった色へと移ろい、仄(ほの)かな色気を感じた。


 

是枝監督作品「三度目の殺人」の真実を推理する!!

$
0
0

 

是枝裕和・監督作品「三度目の殺人」

 

 

 

フジテレビ「土曜プレミアム」10/13(土)21:00~23:30のテレビ放映されたので録画して鑑賞した。

是枝作品には稀な"法廷推理サスペンスドラマ"であり、実に難解な内容だった。

そこで私なりに"真実"と是枝氏の"訴求点"を推理してみた。


< 但し、内容に確信が持てませんので、コメントを受けることができません。>


*


裁かれる側の三隅高司(58才、役所広司)は、バブル経済真っ只中の30年前・1986年(28才時)、郷里の北海道留萌市で「放火強盗+2人殺害事件」を犯した。
死刑相当の犯罪ながら、初犯であること、被害者2人が経済弱者相手の悪質金貸しであったことが情状酌量されて、無期懲役の判決となった。
当時捜査した刑事の渡辺(品川徹)は三隅のことを「感情のない空っぽの器(うつわ)」のような人物 (怨恨からではなく衝動的な犯行の意)と評した。
また当時判決を出した裁判長の重盛彰久(橋爪功)は偶然にも、この映画の主人公である弁護士・重盛朋章(46才、福山雅治)の実父!!そして父・彰久は三隅のことを「獣みたいな人間」と評し、恰(あたか)も生まれつきの殺人鬼(DNA)のような印象を持っていた。
尚、この一度目の殺人は、物証、目撃証言、自白(自供)などの詳細は明らかにされていないので、それら証拠がこの映画の訴求点ではなさそう。


*


三隅は無期の刑期満了前、30年間服役後に仮出所(仮釈放)を許されて保護観察処分のまま、川崎市の食品加工会社・山中食品社長:山中光男(小野孝弘)に身元引受され、臨時雇の社員となった。
山中食品の会社経営は苦しく、社長の妻・美津江(斉藤由貴)は平素から夫の性欲を拒んでまで経営に四苦八苦していたため、夫は遂に娘・咲江(16才、広瀬すず)を手に掛けてしまった。
美津江は新たに雇い入れた三隅に格安材料仕入れによる偽装作業をやらせようと夫に持ち掛けた。
美津江は、三隅にロクでもない夫殺しをさせようと思い付き、色仕掛けで教唆し8000万円の保険金殺人の実行謝礼1000万円の前金50万円が銀行口座に振込まれた。

 




*



 

三隅は、足が不自由な咲江と出会ったことで、故郷の娘と過ごした日々、「4才(現在は36才)の娘と雪遊びをしたことを思い出している」。
三隅が多摩川の河原で焚き火をしている時、咲江と2人だけで出会った。その日は咲江の誕生日だったため三隅が提案して作った雪のケーキの前で、咲江は光明を感じ取った。
そして咲江は父から性的暴行を受けた事実を告白した。
三隅は偽装作業を拒んだため解雇を告げられた。
次は死刑と分かりながら山中社長の殺害を決め、身辺も整理したが、これは美津江のためではなく咲江に捧げるものと決心した。
彼は「空っぽの器」でも「獣のような人間」でも無くなっていた。

 




*


後日、咲江は三隅と共謀し、父または母が仕組んだ密会だと見せ掛けるため「例の件、よろしく頼む」というメールを送信した。
父を多摩川の河川敷へと誘って油断していたところを鈍器で撲殺した。
物陰に潜んでいた三隅は、咲江を犯行現場から引き離し、単独で現場に引返してガソリンを持ち込み咲江の犯行の痕跡を消そうと死体を焼却した。物取りの犯行に見せてガソリンを撒(ま)いた後で山中の財布を抜き取った。その際、自分の手に火傷(やけど)を負わせることも忘れなかった。


*


重盛朋章は、家庭を振り返らないで法廷闘争を繰り返す敏腕弁護士だ。
妻とは離婚調停中であり、娘・重盛結花 [16才、蒔田彩珠(まきたあじゅ)] ともうまく行っていない。
「真実は誰も分からないのだから、メリットのある結果を出す」というモットーで、「真実」は二の次で判決の勝敗に拘(こだわ)る弁護士。
「容疑者への理解や共感も必要ない」というポリシーで、依頼人の要求が減刑であれば、事件の「真相」は追求せずに減刑することだけを念頭に証拠集めや調査を行う。


*


重盛にとって、これは有り触れた裁判の筈だった。
重盛の弁護士仲間・ヤメ検の摂津大輔(吉田鋼太郎)、その部下で研修中の軒弁(のきべん)・川島輝(満島真之介)を引き連れての法廷。
被疑者の三隅が実行犯であると示す直接の物的証拠は無く、傍証と自白だけである。それは咲江が実行した証拠を隠滅したから、その筈である。


*


証拠調べの段階で早速、検察官の篠原一葵(ささばら・いつき、市川実日子)が掴んでいない、被害者・山中の財布はガソリン臭が残っていたことに気付いた。
これにより強盗殺人・遺体損壊の罪が、一気に殺人窃盗・遺体損壊の罪に落とせ、死刑を免れることになる。
身元引受人でありながら食品偽装作業を強要した、恨みによる殺人の後に "偶々(たまたま)" 財布を盗んだ窃盗であるというシナリオ。身勝手な金銭目的での殺人より、恨みのある殺人の方が罪が軽くなる。


*


更に有ろうことか、三隅が週刊誌記者の接見で「社長の妻・美津江に頼まれ保険金目的で殺した」と独占告白した。
これで「飽くまでも美津江が主犯格」と起訴事実を公判途中で変更できる。
「金銭目当てという動機」を怪しんでいた重盛にとって、それは「本当の動機」であるように思えた。
三隅には足の不自由な娘がいる。咲江に娘の姿を重ねて義憤に駆られたのかもしれないと。

 




*


若い篠原検事は「裁判やり直しだ」と叫ぶが、上司の公判部長検事と裁判長の小野稔亮(井上肇)は、談合と阿吽(あうん)の呼吸(公判前整理手続、司法と言う名の船)によって新たな証拠調べをネグった。
要するに二転三転する被告・三隅の証言に、最悪の心証となった判事の「訴訟経済性」という本末転倒の方針により、「犯人性」の真相究明が握り潰(つぶ)され、三隅の否認は全て合理性が無いと判断されてしまった。重盛も最重要な咲江の暴露を回避してしまった。
法廷は真実を解明する場所では無かったのだ。


*


敏腕の筈の重盛朋章弁護士は、今回の裁判だけは心を動かされ掛けた。
しかし、自分の娘・結花が見せた女の演技「嘘の涙」、元刑事の渡辺の三隅評「空っぽの器」及び元裁判長の父・彰久の三隅評「獣のような人間」---が引っ掛かって、真相究明の壁を乗り越えられず終い。
そのような主人公のモヤモヤ感、本作の後味悪い結末によって、福山さんの珍しい好演も吹っ飛んでしまい受賞を獲得できなかった。
そして相変わり無く現在の法廷体制では、人間性の追求も真実の解明もできないと再確認したに過ぎなかった。
たとえ「裁判員裁判制度」が導入されたとしても、それは刑事裁判の一審(地方裁判所)だけでしか開放されていず、しかも判事から指し示される過去の「判例」による結論誘導が厳然と有るのだ。


*


刑事裁判は戦前も戦後も変わり無く、警察・検察捜査の不備から物証に乏しくて、傍証・目撃証言・自白に依存しながら有罪を宣告し続けて来ている。
自白には誘導や強要が付き纏うし、プロ野球におけるリクエスト制度採用によって審判の眼も観戦の眼も如何に当てにならないかということが分かって来て、人間の目撃の曖昧さを知らされる昨今である。


*


最後に、「三度目の殺人」とは、一度目が留萌事件、二度目が川崎河川敷事件、三度目が司法と言う名の船で行われる死刑判決であろう。
だがしかし、私は死刑廃止論には反対である。
物証不足の起訴を警察・検察が続け、冤罪(えんざい)を裁判所が生み続けて来たから、死刑を廃止するのは本末転倒である。
人の生命を奪い取る殺人を犯すのは「絶対悪」であり、殺人DNAを摘み取って罰し続けねばならない。その代表が国家による"戦争""核開発""原発"という大量殺戮(さつりく)だ。

 

今日は「バーゲンの日」。昨夕は隅田川「桜橋暮情」。

$
0
0

 

■ 10月19日は何の日?



□「バーゲンの日」

リブログ:


 

 

 

由来:

1743年、大丸屋呉服店は、江戸日本橋大伝馬町三丁目に江戸店(えどだな)を開店した。越後屋・白木屋とともに江戸の三大呉服店と並び称された大店(おおだな)だった。
1895年10月19日、大丸屋呉服店が、東京駅上で冬物衣料の「大売出し」を催した。
1923年8月、東京・日本橋の三越百貨店(デパート)が、日本初の「バーゲンセール」を催した。
1954年10月、大丸百貨店(デパート)が、東京駅の鉄道会館八重洲本館内に東京店を開店したところ、初日に20万人が来店した。また、日本初のパートタイマー制を導入した。


英語「bargain」の意味は、①契約・取引・協定・約束・駆け引き、②掘り出し物・お買い得品・特売品・特価品・格安品。英語「bargain sale」のことを、日本では略して単に「バーゲン」「セール」「特売」などとも言う。

 

 

お題 「今年、バーゲンに何回行った?」

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 
妻は偶には行っていると思う。
私(夫)はバーゲンに付き合ってはいないが、最寄りの大型ディスカウントストア/ショップ(英語: discount store/shop)なら偶に行く。
「多慶屋 本店」(台東区台東4-33-2)「多慶屋SELECT 上野店」(台東区上野2-13-11)、「ドン・キホーテ 浅草店」(台東区浅草2-10)、など。


*
 

□ 語呂合わせの記念日がいくつかある。

「海外旅行の日」・・・「遠(10)くへ行く(19)」の語呂合わせで、海外旅行の楽しみ方などについて考える日。

「TOEICの日」・・・「トー(10)イッ(1)ク(9)」の語呂合わせで、世界共通の英語コミュニケーション能力検定「TOEIC」を日本で実施する「国際ビジネスコミュニケーション協会(IIBC)」(    千代田区永田町2-14-2 山王グランドビル) が定めた。

「イカ塩辛の日」・・・①10月はイカの旬である、②イカの足の数は10本である、③イカの塩辛はイカを熟(19)成させる---ことから、水産加工食品製造・販売を営む「小野万」(宮城県気仙沼市松崎馬場12) が定めた。

「住育の日」・・・「じゅう(10)い(1)く(9)」の語呂合わせと、10月が「住宅月間」である---ことから、住宅と住人の健康を守るための教育「住育」の大切さをアピールするため、「NPO法人 日本健康住宅協会(KJK)」(大阪市淀川区西中島5-7-19 第7新大阪ビル) が定めた。

「イクメンの日」・・・「父(10)さん」「育(19)児」の語呂合わせで、イクメンオブザイヤー実行委員会がこの日を「イクメンの日」とした。毎年この日に「イクメンオブザイヤー表彰」を行っている。
2018年 りゅうちぇる、中尾明慶、古坂大魔王、Mr.インクレディブル、杉浦太陽(2度目)
2017年 田中裕二(爆笑問題)、山中慎介、マック鈴木、バカボンのパパ、群馬県保育協議会
2016年 井上康生、水谷隼、ユージ、ジョージ・ホワイト(ハローキティの父)
2015年 織田信成、ヒデ(ペナルティ)、具志堅用高、鈴木英敬、ウルトラの父
2014年 石田純一、タカアンドトシ、東尾修、香山ピエール(リカちゃんのパパ)
2013年 村田諒太、品川庄司、市村正親、尾木直樹
2012年 杉浦太陽、佐々木健介、藤本敏史、西川きよし
2011年 中山秀征、つるの剛士、遠藤保仁
 
 
*


□ 主な出来事

1987年10月19日
ニューヨーク株式市場が大暴落。世界中に株式暴落が広がった。これを「Black Monday」(ブラックマンデー、暗黒の月曜日)と呼ぶ。
直前の10月15日、イラン・イラク戦争アーネスト・ウィル作戦で米軍の護衛を受けていたタンカーがイラン海軍の攻撃を受けミサイルを被弾する事件があった。米軍は報復として当日未明、イランがペルシャ湾に持っていた石油プラットフォーム2基を爆撃(ニムバル・アーチャー作戦)したため、原油市場に対する不安が沸き起こり原油不安は先進国を含む石油消費国のカントリー・リスクを引き上げた。

1988年10月19日
プロ野球パリーグの阪急ブレーブスをオリエント・リース(翌1989年に「オリックス」に社名変更)が買収すると発表した。
11月4日、阪急電鉄からオリエント・リース(オリックス)に球団を譲渡した。1991年より本拠地を西宮球場からグリーンスタジアム神戸に移転した。チーム名をブレーブスからブルーウェーブに変更し「オリックス・ブルーウェーブ」となった。監督は上田利治から土井正三に交代した。2004年6月13日、大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの球団合併が報じられた。正式に「オリックス・バファローズ」球団が発足し、両球団経験のある仰木彬が監督復帰した。

 
◇---------------------------
 
 
昨日10/18(木)夕方、隅田川の桜橋上から月や雲などを撮影し、相当涼しくなった風情を楽しんだ。
 
 
■ 月齢
 
10/17(水) 月齢 8 「上弦の月」
 
10/18(木) 月齢 9 
 
10/21(日) 月齢12 「十三夜」
10/25(木) 月齢16  「満月」
 
 
■「桜橋」の上から夕暮れの様子を眺めた。
 
(西詰は台東区今戸1、東詰は墨田区向島2/向島5)
 
 
右下は台東リバーサイドスポーツセンター(今戸1-1-10)
 
 
日の入りは間近
 
アサヒビル本社(墨田区吾妻橋1-23-1)
墨田区役所(吾妻橋1-23-20)
東武線隅田川橋梁
首都高速6号向島線
 
隅田川岸 (向島5)
 
東京スカイツリー(墨田区押上1-1-13)
墨田区立隅田公園(向島1/向島2/向島5)
 
 
 
夕陽が照っている東京スカイツリー
 
 
白鬚橋上空を通過するジェット機
 
アサヒビール墨田配送センター(墨田区堤通1-1-1)
 
左岸は陸上競技場(今戸1)
白鬚橋(右詰めは台東区橋場2/荒川区南千住3、左詰めは墨田区堤通1/堤通2)
右岸は首都高速6号向島線、リバーサイド隅田(堤通1-19-8)、横浜倉庫(堤通1-2-8)
 
 
■「台東区立隅田公園」 (台東区浅草7)から
 
東京スカイツリー
紅葉が進むメタセコイア
 
オオケタデ
 
狂い咲きしたクサボケ
 
 
 
 
 

今日は「頭髪の日」。

$
0
0

 

■ 10月20日は「とう(10)はつ(20)」の語呂合わせで「頭髪の日」。「日本毛髪科学協会」(新宿区新宿1-16-16 テェアーカテリーナ501)が定めた。


そして「ヘアブラシの日」でもある。これは「全日本ブラシ工業協同組合」(東大阪市高井田中1-5-3 東大阪市立産業技術支援センター)が定めた。


尚、「シャンプー記念日」は「いい(11)かみ(13)」の語呂合わせで11月13日。「ネイチャー生活倶楽部」(熊本市中央区神水2-7-10)が定めた。
 

 

□ お題「リンス、コンディショナー、トリートメント、どれ使ってる?」

 

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 
 
私の頭髪は白髪。20代から目立ち始め、40代からはほぼ毎月染めて来ている。そんなことでシャンプーに何が含まれているか? シャンプー以外に何を使うか?などには無頓着。
2018年夏から使っているシャンプーは「H&S FOR MEN スカルプEXシリーズ」・・・製造・販売元: P&Gジャパン(神戸市中央区小野柄通7-1-18)、原産国: タイ国。
妻が選んだ物だが、理由は訊いていない。

私がこれまで愛用して来たシャンプーの銘柄:

2012年、「オーガニックシャンプー アルジェラン」・・・製造元: ケアリングジャパン(静岡市駿河区国吉田2-5-67、旧・シャンソン油脂工業)、販売元: マツモトキヨシ。
2002年、「純薬(ジュンラブ) 炭シャンプー」・・・製造・販売元: ジュン・コスメティック(台東区浅草橋3-20-12 ニュー蔵前ビル)。
1987年、「花王 サクセスシャンプー」 
1968年、「サンスター トニックシャンプー」 


◇---------------------------------------------------
 
 
「旧中川水辺公園」を5/12(土)以来の5カ月振りで訪れた。

14時に家を出発。肌寒いのでウィンドブレーカーを羽織って。

隅田川/蔵前橋(西詰は台東区蔵前1/蔵前2、東詰は墨田区横網1/横網2) ⇒ ひたすら蔵前橋通り(都道#315)を東進。


□ リブログ


 

 

□ その他関連ブログ


「旧中川水辺公園」を訪れ河津桜や水鳥を鑑賞(2018-02-18)
「亀戸中央公園」の紅葉とサザンカを訪ねる(2017-10-24)

 

 
*


■「旧中川」は、くねくねと曲がっているが、

上流から見て右岸が「旧中川水辺公園」(墨田区東墨田3・1~立花6・5・4・3~江東区亀戸9/大島9)として整備されている。6.2ha、総延長2.8km、開園2011年4月。桜(カワヅ・ソメイヨシノなど)259本。


一方の左岸(江戸川区平井7・6・5・3・2~小松川3・2・1)も公園並みに整備されている。

これまでの訪問は専ら右岸であったが、今回は左岸を散歩してみた。


□「ふれあい橋」(江東区亀戸9~江戸川区平井3) 

東京スカイツリーの遠望とマッチ。
 
河岸に稔ったカリンの実。
 
ふと堤防下の草叢(くさむら)を見ると、黒白ネコがいる。周囲を電動草刈機で刈っているので緊急避難しているらしい。
私が「ああいい子だね」と声を掛けると甘えて見せた。
 

□「JR総武線 旧中川橋梁」(亀戸8/亀戸9~平井3)
 
タンポポ、美しい黄色い花。
 
釣り人の近くに白サギ(コサギorダイサギ)がちゃっかり待っている。

 
向こう岸==右岸の「都立亀戸中央公園」(江東区亀戸9-37)・・・日立製作所亀戸工場の跡地利用。面積10.3ha、開園1980年6月。江東区の花でもあるサザンカの名所。


□「江東新橋」=「蔵前橋通り」(亀戸8~平井6/平井5)
 
橋の下から「亀戸中央公園」が望める。紅葉は徐々に進行中。

「北十間川」が右岸==西の方から合流している。
 
黒いバン2羽とカルガモ1羽。


そのカルガモが河川敷に上陸して草を食(は)み始めた。声を掛けてみると何と!!愛嬌(あいきょう)を振り撒(ま)いたのだ。



□「平井橋」 (墨田区立花5/立花3~平井6)
 
東京スカイツリーが真西。
 
カラフルな建物が続く。
 
 
 



□「中平井橋」(立花5~平井7)

ポツリポツリ雨が降って来た。
 

□「ゆりのき橋」(墨田区東墨田3~平井7)
 

「すみだボート教室」(東墨田1-10 東墨田船着場)・・・旧中川を拠点に活動しているボートクラブ「NPO法人 隅田川ローイングクラブ」(略称:SRC、活動拠点:ゆりのき橋たもと)


「墨田清掃工場」(東墨田1-10-23)の大エントツとスカイツリー。




□「東京都建設局江東治水事務所 木下川排水機場」(平井7-34-25)・・・1977年に竣工、ディーゼルエンジンでポンプを動かし、電動ポンプで水質浄化運転を行い、「荒川」へと排水している。



*


帰途は、ゆりのき橋通り(都道#449)  ⇒ 鐘ケ淵通り ⇒ 墨堤通り(都道#461)  ⇒ 隅田川//桜橋(東詰は墨田区向島2/向島5、西詰は台東区今戸1)。
昨日のサイクリング&ウォーキングは4,500歩と軽目。

 

 

10月21日は「十三夜」。樋口一葉所縁の場所巡り。

$
0
0

 10月21日の月は「十三夜」
月齢11、月の出15:45。

 

昨晩は一日早い月齢10。

朧(おぼろ)月夜であり、ああ趣深い。

20181020  22:33

 

 

 


■■ 樋口一葉の短編名作「十三夜」が1895/12/10博文館「文藝倶樂部 ~臨時増刊 閨秀小説」に掲載。


樋口一葉「十三夜」の青空文庫

 

その抜粋
上「・・・ 今宵は舊暦の十三夜、舊弊なれどお月見の眞似事に團子いし/\をこしらへてお月樣にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に持たせて上やうと思ふたけれど、亥之助も何か極りを惡がつて其樣な物はお止よしなされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見に成つても惡るし、喰べさせたいと思ひながら思ふばかりで上る事が出來なんだに、今夜來て呉れるとは夢の樣な、ほんに心が屆いたのであらう、・・・ 」
下「・・・ お別れ申すが惜しいと言つても是れが夢ならば仕方のない事、さ、お出なされ、私も歸ります、更けては路が淋しう御座りますぞとて空車引いてうしろ向く、其人それは東へ、此人これは南へ、大路の柳月のかげに靡なびいて力なささうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奧も憂きはお互ひの世におもふ事多し。」


■「樋口一葉」所縁の場所

 

10/20(土)パリーグCSをテレビ観戦していたが、予想外に西武ライオンズが苦戦していた。

 

そこで気分転換に一葉スポットを巡回してみた。

サイクリング&ウォーキング1,400歩。余り運動にならなかった。

 

 

Mapion

 

下記の記念館で作成された略図





 

「樋口一葉」 (1872/5/2~96/11/23)の略歴

本名: 樋口奈津、ペンネーム: 樋口夏子。麹町区(現・千代田区)内幸町に在った東京府庁構内の長屋で生まれる。

 

 


24歳6月で肺結核により早世。墓所は樋口家の菩提寺となった「築地本願寺別院 和田堀廟所」(杉並区永福1-8-1)・・・1923年の「関東大震災」で「築地本願寺」が罹災、当時の陸軍省火薬庫跡地の払い下げを受けて築地から仮本堂などを移築し「和田堀廟所」として建立。

24年の短い生涯に12回も引っ越しした。内幸町 ⇒ (本郷元町小学校) ⇒ (私立吉川学校) ⇒ 御徒町 ⇒ (私立青海学校) ⇒ 小石川町 ⇒ (私立萩の舎) ⇒ 本郷菊坂町 ⇒ 下谷龍泉寺町 ⇒ 本郷円山福山町。

最後の本郷円山福山町で、1894年「大つごもり」、1895年「たけくらべ」連載、「ゆく雲」「にごりえ」「十三夜」などが書かれた。

 

 

 




「一葉記念館」

(竜泉3-18-4、「公益財団法人 台東区芸術文化財団」が管理運営。)

 



1893~94年、一葉は旧・龍泉寺町で荒物・雑貨・駄菓子を売る店を営んでおり、旧龍泉寺町と隣接する吉原遊郭とともに、名作「たけくらべ」の舞台となった。
従って、竜泉界隈には、「樋口一葉記念碑」、「樋口一葉記念公園」と「たけくらべ記念碑」、「樋口一葉旧居跡碑」、「樋口一葉記念館」などが目白押しである。

1951年、「一葉記念公園」に「一葉女史たけくらべ記念碑」を建設。1960年、一葉の旧居跡に「樋口一葉旧居跡碑」(竜泉3-15-2) を建立。


1961年、「一葉記念館」を開館。
2004/11/01、日本銀行券五千円紙幣に新渡戸稲造に代わり新デザインとして採用。
2006/11/01、「一葉記念館」リニューアルオープン。

 

外観

玄関

 

「一葉祭」

[11/23(金・祝)~11/25(日)]に開催。



■「一葉記念館」の隣に「一葉記念公園」(竜泉3-18-4)

 

 

 

記念館内から見下ろす。

 

 

*



■「一葉煎餅」(竜泉3-18-1)

 

 

 

 

■「飛不動尊」(正式名称「天台宗龍光山正宝院三高寺」、竜泉3-11-11)
 

「下谷七福神」のひとつ恵比寿神を祀る。

 

 

■「千束稲荷神社」(竜泉2-19-3)

16世紀後半の江戸時代寛文年間に北千束郷の氏神として創建⇒明治維新以降は龍泉寺村の村社。
樋口一葉の「たけくらべ」には当神社祭礼が舞台の一つになっており、境内には文学碑がある。


20170714撮影


 

 

■「一葉桜・光月通り」(台東区千束2/千束3/千束4~入谷2)


 

 

■「浅草鷲(おおとり)神社」(通称「鷲大明神(おとりさま)」、台東区千束3-18-7) 


主祭神は天日鷲命(あめのひわしのかみ)と日本武尊。「浅草酉の市」[2018年は11/1(木)一の酉、11/13(火)二の酉、11/25(日)三の酉] の発祥の神社。 隅田川七福神のひとつ寿老人を祀る。

 

境内に「一葉文学碑」がある。

台東区HP

 

 


 

 

■「浅草新吉原の「江戸町・揚屋町・京町・角町」の4町(現在の台東区千束3/千束4)のうちのひとつ、
「吉原揚屋町 木戸門」・・・元吉原時代の揚屋を一か所に集めたのに因んだ町名。

 

東京スカイツリーの遠望。



 

荒川土手から「富士山」を眺望できた!!

$
0
0

 

今日10/21(日)は朝から目の覚めるような青空。


そこで閃(ひらめ)いたのが富士山の撮影だ。


昨年冬(2017/02/12)、足立区鹿浜橋~江北橋の "スーパー堤防" から富士山が眺望できた記憶。

□ リブログ

 

 

*

 

 

日光街道(国道#4) 

 

「素盞雄(すさのお)神社」 (通称「天王様」、荒川区南千住6-60-1)

七五三の参拝客が多数。

 

 

境内のオトメツバキ、ハギが目を惹いた。

 

⇔ 隅田川=千住大橋 

 

北千住市街地のプチテラス(花壇)

ワレモコウ、フウセンカズラ、ホウキギ

 

⇔ 荒川=千住新橋 

 

 

⇔ 荒川土手北詰(上流から見て左岸)。


荒川土手に沿って首都高速中央環状線=新荒川葛西堤防線(都道#450)が走る。

 

 

河川敷「西新井緑地」の枯れススキやセイタカアワダチソウが風に戦(そよ)いで美しい。

南方向には東京スカイツリーが覗(のぞ)く。

 

 

よく見ると向こう岸に長蛇のランニングする人々が続いている。何と延々としたことか。

 



そして千住新橋を渡っている時に、もしかしてと南西方向を見遣(みや)ると、"富士山の姿だ!!"

 

ビックリマーク 今日の一枚

 

 

"スーパー堤防"まで行く手前での発見に、大いに満足した。

今日のサイクリング&ウォーキングは近場の2,400歩と軽かった。

 

そして今日はとうとう一日中、360度雲一つない快晴だった。

今時の若者流に表現すれば "ヤバイ"。

 

 

六本木「ボナール展2018」を鑑賞し赤坂TBS~山王日枝神社を散歩した。

$
0
0

10/22(月)も快晴が続いた。

午前中、東京メトロ・銀座線で溜池山王駅乗り換え、千代田線で乃木坂駅まで。

「国立新美術館」で開催中の「ピエール・ボナール展」を鑑賞した。


メトロで一駅移動し赤坂駅で下車して、「赤坂サカス」の地下で中華弁当を買い、散歩道のベンチで食べた。

それから「TBS」の横庭まで散歩後、山王下へと移動し「山王日枝神社」に参拝した。

 

 







■「国立新美術館」(港区六本木7-22-2)

 

「オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展」

 

 


19世紀末のフランスでナビ派の一員として出発した画家ピエール・ボナール (Pierre Bonnard, 1867/10/3~1947/1/23,79才没)。浮世絵の影響が顕著な装飾的画面により、「日本かぶれのナビ」の異名を取った。20世紀に入ると、目にした光景の印象をいかに絵画化するかという「視神経の冒険」に身を投じ、鮮烈な色彩の絵画を多数生み出した。
本国フランスでは近年、ナビ派の画家たちへの評価が高まり、2015年にオルセー美術館で開催されたピエール・ボナール展では51万人を魅了。油彩72点、素描17点、版画・挿絵本17点、写真30点、合計136点の様々なジャンルを通じて、謎多き画家ボナールの魅力に迫る。


□ オルセー美術館館長が語るボナール展の見所

 

 

□「Art Immersion Technology (AIT)」セクション


画家が感じ取った風景は、作者のタッチによってキャンバスに描かれている。しかし画家が絵を描くために立っていた場所には、キャンバスのなかに描かれきれなかった風景もあったはず。その「描かれきれなかった風景」を観賞することができれば、「作者の視界へと没入している状態」になり、なぜその風景の中から画家がその場所を切り取ったのかを体感できるのではないか。

日本経済新聞社とカヤックは共同で、作品を描く上で画家が見ていた世界を仮想現実(VR)で再現する技術「Art Immersion Technology」を開発。その技術を採り入れたのが今回の「オルセー美術館特別企画展」。

 

今回の展示ではピエール・ボナールの作品の中から6点の絵画を厳選。絵画と同じ場所で360度撮影を行い、描かれなかった部分の風景は、ピエール・ボナールが実際に暮らした北フランスの家/南フランスのアトリエ/散歩した道/ニースの岬などを訪れ、絵が描かれた場所を探し出した。
展示された風景画だけでなく部屋全体に、「作者が目にしたが描かれなかった風景」 の実写映像を、日経イベーション・ラボが開発したAIでボナールのタッチで描いた絵画の映像に変換した。

人工知能が画家の「その時の風景」から得た思考を追体験し、風景を画家のタッチを再現して、展覧会の「AIT」セクションで展示室全体にプロジェクションマッピングによって360度に投影し映し出すので、作品に対する理解を深めることもでき、何より芸術・アートの世界に入り込むことができる。

 

 

 

 






*


□ 1章 日本かぶれのナビ

印象派に続く世代に属すピエール・ボナールは、ゴーギャンの影響のもと結成されたナビ派の一員として、繊細かつ奔放なアラベスクと装飾モティーフが特徴的な絵画を多く描いた。ナビ派の画家たちは、 1890 年にパリのエコール・デ・ボザールで開かれた「日本の版画展」にも衝撃を受けた。ボナールは浮世絵の美学を自らの絵画に積極的に取り込み、批評家フェリックス・フェネオンに「日本かぶれのナビ」と名付けられる程だった。また、同時代の象徴主義演劇とも呼応する、親密な室内情景を描いた作品もこの時期に集中して制作された。

1《アンドレ・ボナール嬢の肖像、画家の妹》1890年 油彩、カンヴァス 愛媛県美術館

2《庭の女性たち》1890-91年 デトランプ、カンヴァスで裏打ちされた紙(4点組装飾パネル) オルセー美術館

3《黄昏(クロッケーの試合)》1892年 油彩、カンヴァス オルセー美術館

4《格子柄のブラウス》 1892年 油彩、カンヴァス オルセー美術館

5《白い猫》1894年 油彩、厚紙 オルセー美術館

10《黒いストッキングの少女》1893年 油彩、カンヴァス オルセー美術館

13《ランプの下の昼食》1898年 油彩、板で裏打ちされた厚紙 オルセー美術館

17《大きな庭》1895年 油彩、カンヴァス オルセー美術館


□ 2章 ナビ派のグラフィック・アート

芸術家としてのキャリアをスタートさせる切っ掛けとなった《フランス=シャンパーニュ》をはじめ、初期のボナールはリトグラフによるポスターや本の挿絵、版画集の制作にも精力的に取り組んだ。とりわけ、ナタンソン兄弟が創刊した雑誌『ラ・ルヴュ・ブランシュ』は、ボナールが独創的なリトグラフを試みる舞台となった。雑誌の挿絵だけでなくポスター制作も手掛けており、大胆なデフォルメと意表を突く構図が際立っている。また、即興的なデッサンに象徴されるボナールのリトグラフの特徴は、油彩作品にも見ることができる。

19《フランス=シャンパーニュ》1891年 多色刷りリトグラフ 川崎市市民ミュージアム

20《ラ・ルヴュ・ブランシュ》1894年 多色刷りリトグラフサントリーポスターコレクション(大阪新美術館建設準備室寄託)

24《作家クロード・テラスと二人の息子》1892年 油彩、カンヴァス オルセー美術館

27《博物誌》(ジュール・ルナール) エルネスト・フラマリオン社、パリ 1904年刊書籍 個人蔵illust

28《入院したユビュおやじ》(アンブロワーズ・ヴォラール) ジョルジュ・クレ社、パリ 1917年刊書籍 個人蔵illust


□ 3章 スナップショット

コダックのポケットカメラを購入したボナールは、1890 年代の初めから写真撮影を行うようになった。ボナール家の別荘があったル・グラン=ランスでは、水遊びに興じる甥っ子たちをはじめ、家族がめいめいに余暇を過ごす様子が撮影されている。また、ボナールが恋人マルトと住んだパリ郊外のモンヴァルの家では、庭の草木のなかに佇むマルトのヌードを写した美しい写真の数々が生まれた。これらの写真には、中心を外した構図やピントのボケなどにより、生き生きとした効果がもたらされている。

49《陽光を浴びて立つマルト》1900-01年 モダン・プリント オルセー美術館

56《ル・グラン=ランスの庭で煙草を吸うピエール・ボナール》1906年頃 モダン・プリント オルセー美術館


□ 4章 近代の水の精たち

ボナールの画業全体において最も重要な位置を占めるのが裸婦を描いた作品の数々。壁紙やタイル、カーテン、絨毯、小物、鏡などが織り成す重層的な室内空間の中で、ボナールの描く女性たちは無防備な姿を露わにしている。生涯の伴侶であったマルトをはじめ、ボナール家の医師の妻であったリュシエンヌや、マルトの友人でボナールの愛人となるルネ・モンシャティら複数の女性がモデルを務めた。ボナールの描く彼女たちの顔は曖昧で、モデルが特定できない作品や、複数の女性の特徴がみられる作品もある。

66《化粧室 あるいは バラ色の化粧室》1914-21年 油彩、カンヴァス オルセー美術館

68《浴盤にしゃがむ裸婦》1918年 油彩、カンヴァス オルセー美術館

69《バラ色の裸婦、陰になった頭部》1919年 油彩、カンヴァス オルセー美術館


□ 5章 室内と生物「芸術作品ー時間の静止」

「親密さ」というテーマは、ナビ派の一員であった 1890 年代から晩年までボナールを魅了し続けた。一見するとありふれた室内には、人工的な照明や独特のフレーミングによって、親密さと同時にどこか謎めいた雰囲気が漂っている。そこでは、燃え上がる色彩によって、慣れ親しんだモティーフが未知のものへと変貌を遂げているようだ。日常世界の微細な変化にも目を向け続けたボナールは、それをカンヴァス上に定着させることを「時間の静止」と捉えていた。

85《桟敷席》1908年 油彩、カンヴァス オルセー美術館

86《猫と女性 あるいは 餌をねだる猫》1912年頃 油彩、カンヴァス オルセー美術館

87《バラ色のローブを着た女》1918年 油彩、カンヴァス ヤマザキマザック美術館

93《ル・カネの食堂》1932年 油彩、カンヴァス オルセー美術館 (ル・カネ、ボナール美術館寄託)

94《テーブルの片隅》195年 油彩、カンヴァス オルセー美術館 (ポンピドゥー・センター、国立近代美術館寄託)

96《果物、濃い調和》1930年頃 水彩、グアッシュ、紙 オルセー美術館 (ルーヴル美術館保管)


□ 6章 ノルマンディーやその他の風景

ボナールは柔らかな光の中に壮大な風景が広がるノルマンディー地方の自然に魅了されていた。1912 年には、モネが住むジヴェルニーに近いヴェルノンという街に、セーヌ河岸の斜面に建つ小さな家を購入した。テラスから空と水のパノラマを一望できたこの家での暮らしは制作意欲を大いに刺激した。庭には野生の植物が生い茂り、その重なりは精妙なグラデーションとして描き出されている。そしてボナールが頻繁に訪れたアルカションやトルーヴィルでは、表情豊かな空が大きな空間を占める海景画が生み出された。

105《ボート遊び》1907年 油彩、カンヴァス オルセー美術館

112《日没、川のほとり》1917年 油彩、カンヴァス オルセー美術館

113《アルカションの海景》1911年 油彩、板で裏打ちされた厚紙 オルセー美術館

116《トルーヴィル、港の出口》1936-45年 油彩、カンヴァス オルセー美術館(ポンピドゥー・センター、国立近代美術館寄託)


□ 7章 終わりなき夏

自らを画家=装飾家と見做(な)していたボナールは巨大な装飾壁画も手掛けた。そこでは生の喜びを謳い上げ、「アルカディア」を出現させようとした画家の創意が見てとれる。また 1909 年、画家アンリ・マンギャンの誘いで南仏のサン=トロペに初めて長期滞在し、母に宛てて「色彩に満ちた光と影」が織りなす「千夜一夜」の体験を書き送った。その後、彼はコート・ダジュールを毎年のように訪れ、1926 年にはル・カネの丘の上に建つ、地中海を一望する家を購入した。第二次世界大戦中もこの地に留まり、1947年に亡くなるまで、輝く色彩に満ちた終わることのない「夏」を描き続けた。

117《水の戯れ あるいは 旅》1906-10年 油彩、カンヴァス オルセー美術館

118《歓び》1906-10年 油彩、カンヴァス オルセー美術館

120《にぎやかな風景》1913年頃 油彩、カンヴァス 愛知県美術館

121《地中海の庭》1917-18年 油彩、カンヴァス ポーラ美術館

125《南フランスの風景、ル・カネ》1928年 油彩、カンヴァス オルセー美術館(ポンピドゥー・センター、国立近代美術館寄託)

127《アンティーブ(ヴァリアント)》1930年頃 油彩、カンヴァス オルセー美術館

132《花咲くアーモンドの木》1946-47年 油彩、カンヴァス オルセー美術館(ポンピドゥー・センター、国立近代美術館寄託)








■「赤坂SACAS(サカス)」

□ 超高層(39F)ビル「赤坂Bizタワー」(港区赤坂5-3-1)
博報堂などが入居。

 




□ ライブハウス「赤坂BLITZ」(赤坂5-3-2)

□ エンタメ劇場「赤坂ACTシアター」(赤坂5-3-2)

 



*

 


□「TBS放送センター」(赤坂5-3-6)



横庭「TBS南公園」

 

ウルトラマン銅像

 

ウルトラセブン銅像、BooBo&BooNa

 

白いハギ、オブジェ

 

完熟カキの実

 

ミズヒキ

 

 




■「山王日枝神社」(別称「江戸山王大権現」など、千代田区永田町2-10-5)
1478年に勧請した「川越日枝神社」に始まる。

 

 

 

後方の超高層(38F)ビルは「プルデンシャルタワー」(永田町2-13-10)

 


狛犬ならぬ"狛猿"

 

七五三の参拝

 

 


隣接する右の超高層(44F)ビルは「山王パークタワー」(永田町2-11-1)
NTTドコモ本社、内閣府消費者庁などが入居。
左の高層(29F)ビル「ザ・キャピトルホテル東急」(永田町2-10-3)






帰途は、東京メトロ・銀座線の赤坂見附駅から。
今日のウォーキングは5,800歩と程良く。

 

 

NHK-BSP「アナザーストーリーズ」#74「オードリーとローマの休日」紹介

$
0
0

NHK BSプレミアム「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」


#74「オードリーとローマの休日 ~秘めた野心 貫いた思い~」

 

 



初放送

2017/11/14(火) 21:00~21:59
再放送

2017/11/20(月) 18:00~18:59、

2018/10/16(火) 21:00~21:59、2018/10/22(月) 23:45~24:44。


2代目MC: 沢尻エリカ

ナレーター: 濱田岳

 


「オードリーとローマの休日」予告映像

 





■ 関連するリブログ


 

 

 

 

■ 概要

オードリー・ヘップバーン主演の名作「ローマの休日」をテーマにした、ドキュメンタリー「オードリーとローマの休日 ~秘めた野心 貫いた思い~」がNHK BSプレミアム「アナザーストーリーズ」で放送され、日本初公開となる極秘のプライベート映像も放送された。

1952年に撮影された「ローマの休日」。
初主演のオードリー・ヘップバーンが世界的スターになった伝説の現場だ。
今回、その現場を見た少年少女がオードリーの素顔を詳しく証言!!
10歳の少年が見たオードリーの美しさ、プロ根性、秘めた野心。
監督の娘が見た優しさ。
さらにオードリーの息子が極秘のプライベート映像を日本初公開。
自分の人生を自分で切り開く、オードリーの信念の生き方と知られざるエピソード!!





■ 詳細 

□ 出典

 
「Hatena Biog yachikusakusaki's blog 1」(2017-11-21)」
「Hatena Biog yachikusakusaki's blog 2~4」(2017-12-13)」

世界で最も愛された女優とは誰か?それはきっとあの人でしょう.

オードリー・ヘップバーン。エレガントな佇(たたず)まいと,少女のような愛くるしさ。亡くなって24年たった今も世界中で愛されている。そんな彼女の初めての主演映画となったのが、そう、ローマの休日。

マリリン・モンロー、エリザベス・テイラー。ザッツ・アメリカンな女優が人気を博した時代に公開された「ローマの休日」。主人公は、これが初主演のオードリー・ヘップバーン演じるアン王女。退屈な公務に嫌気が差し、1人でローマの街へと脱出する。そんな彼女を偶然見つけた記者が、身分を偽って密かに取材するうちに、2人は恋に落ちてしまう。

公開されるや否や大ヒット。オードリーは初主演にしてアカデミー賞主演女優賞(第26回)に輝いた。映画を観た観光客が世界中からローマに殺到。日本の街角にはオードリーと同じヘアスタイルの女性が溢(あふ)れた。以来,60年経っても愛される「ローマの休日」。こんな映画、他にはない。

「運命の分岐点」は1952年6月23日。ローマの休日の撮影が始まった日である。今から65年も前だが、この時、オードリーを間近で見ていた人物に貴重な話を聞くことができた。


*


□ 視点1. メイクの息子ジャンネット・デ・ロッシ「映画の獣 オードリーの野心」


当時10歳だった少年、ジャンネット・デ・ロッシ。両親がオードリーにメイクを担当していた。メイクは俳優の一番近くにいる存在。少年は、オードリーの成功に賭ける密かな野心を目の当たりにしていた。

オードリー・ヘップバーンの大出世作「ローマの休日」。名作の影に秘められたアナザーストーリー。

イタリアの首都ローマ。「ローマの休日」は1952年の夏、この町で3カ月掛けて撮影された。その現場に、夏休み中、足繁(しげ)く通った少年は今も同じ街に住んでいる。ジャンネット・デ・ロッシ (75歳)。イタリアのみならずハリウッドの大作を多数手掛けるメイクの第一人者だ。「スイートだね。彼女。何てスイートな演技をするんだろう」。

4代続く映画一家のデ・ロッシ家。「ローマの休日」には父がメイク、母がヘアスタイリストとして参加した。当時10歳のジャンネットは撮影現場でオードリーの並々ならぬ覚悟を目の当たりにした。「彼女だって映画の獣さ。映画の世界じゃ獣じゃなければ生きていけない」。

ローマの休日でデビューする前、オードリーは何処で何をしていたのか? 1929年5月4日生まれ。オランダの裕福な家庭に育った。その頃の夢はプロのバレリーナ。しかし11歳の時に、ナチス・ドイツがオランダに侵攻。バレエどころではなくなる。戦後練習を再開するもブランクは大きくプロの道は諦めざるを得なかった。それでも表舞台には立ちたい。彼女はロンドンに渡り下町の劇場で女優の道へと進んだ。

一方その頃、米国ハリウッドで史上空前のプロジェクトが立ち上がる。全編海外ロケを行う初の映画「ローマの休日」。監督は巨匠ウィリアム・ワイラー。ワイラーはイタリアが誇るスタジオ・チネチッタに「最高のスタッフを集めて欲しい」と要請。ジャンネットの両親には、いの一番に声が掛かった。「そりゃそうさ。ワイラー監督は『イタリアで最高のメンツを揃えてくれ』って言ったんだろ? メイクアップでうちの親父を超える人はいないし、ヘアでうちのおふくろを超える人はいないよ」。

主演男優にはハリウッド切っての人気スター、グレゴリー・ペックが決定。だがヒロインのプリンセス役だけはなかなか決まらず、欧米各地でオーディションが行われることになる。それを耳にしたオードリー。密かな野心を滾(たぎ)らせた。新米で未熟だけどオーディションを受けたいと思った。「私に好意を持ってくれる人をもっと見つけたかった」。

 



各地でカメラテストが行われフィルムはワイラー監督の元へ送られた。オードリーは如何にして大役を手に入れたのか? テストの様子が数コマだけ残っている。お題はベッドで寝て起きるだけの極シンプルな演技。だがワイラーはスタッフに1つ秘密の注文を付けていた。「『カット』と言った後もカメラを回しっ放しにして欲しい」。アクション! 寝そべるオードリー。カット!の声が掛かる。ここからが見物だった。「まだ回してるんでしょ?」とばかりにカメラ目線でニヤリ。そのまま飛びっ切りの笑顔。胸元は直す恥じらいは忘れず笑顔で去って行く。回しっ放しのカメラに誰もが戸惑う中、自然に演技をしたのはオードリーだけ。映像を見たワイラーは、まだ無名のこの女優に賭けることにした。

ローマにやって来たオードリーが撮影の前に訪れた場所がある。ルイゼッラ・フォンタナ。ここは彼女が2代目を務めるローマの老舗ブティック。「実は、オードリーは『ローマの休日』の撮影前から、何度かうちに来ていたの。素敵なウェディングドレスも作っていて、撮影の後に結婚する筈だったんだけど。ええ、イギリスの大金持ちと結婚する筈だったんだけど、直前で取り止めになったのよ」。オードリーはロンドンの舞台に出ていたところを財閥の御曹司に見初められて婚約。撮影後に結婚する予定だったが破棄したのだった。全ては映画のために・・・。「当時私はまだ10歳だったから詳しいことは分かりませんでしたが、家の人たちがガッカリしていたのを覚えています。『あんなにかわいい花嫁姿が見られないなんて』って。でも誰も怒ったりはしなかったんです。だって、彼女、代金は自分でちゃんと払ってくれましたから」。

並々ならぬ覚悟で撮影に臨んだオードリー。実はその現場、途轍(とてつ)もなく過酷な状況だった。(新聞見だし)猛暑襲来!熱中症の被害者続出中!そう、その年のローマは平均気温36℃の記録的猛暑だった。屋内のシーンでも熱中症が続出。俳優陣も大汗を掻(か)いてはメイクのやり直し。だがオードリーだけは違った。「親父が『汗を掻くから水を飲み過ぎないように』って言ったら、彼女、一滴も飲まないんだ。『すっげえな~!これがプロってやつだな』と思ったよ。

猛暑の撮影現場。オードリーにはもう1つ、乗り越えなければならない壁があった。監督のワイラー。彼の渾名(あだな)は---ナインティーテイクマン(90 take-man)。つまり、同じシーンを90回も撮り直すということ。それは決してオーバーではない。こちらのシーン。後(うしろ)の時計台に注目して欲しい。グレゴリー・ペックが話し掛けるカットは、13時40分。だが次のカットでは15時45分。その次のカットは11時25分。最後は15時50分と、てんでバラバラ。2分程度のシーンにワイラーは何と6日間も掛けたと言う。

 

 

 


監督の異常な完璧主義の前にロケは延びに延び、カメラマンも交代するという異例の事態。だがオードリーは一切弱音を吐かない。この子は何処まで行けるのか?ワイラーは或る悪戯(いたずら)を仕掛けた。それがこの「真実の口」だった。元々、台本には無かったこのシーン。ワイラーは相手役のグレゴリー・ペックにこう指示した。「オードリーには内緒だ。腕を食われた振りをしろ」思わず抱き付く最高のリアクション。「90テイクマン」のワイラーも、ここは一発OKを出したのだった。

 



オードリーの本当の覚悟を示すのは髪型ではないと言う。「眉毛(まゆげ)を見てごらんよ。オーディションの時と映画の時では随分違うでしょ?これが全ての鍵なんだよ」確かにオーディションの時は殆ど太さが変わらない真っ直ぐな眉。映画の時は眉頭(まゆがしら)から眉尻に掛けて少しずつ細くなっている。この違いはオードリーの経(た)っての願いで、ジャンネットの父アルベルトが生み出したものだと言う。「彼女は,現場でプロデューサーに,1つだけ我が儘(わがまま)を言った.『メイクは全てアルベルト・デ・ロッシでお願いします』って。自分に必要なのは,親父のメイクだと一目で見抜いたんだよ」そして彼女はこう言った。「『眼よ。眼は心を表すから。眼のメイクが一番大事なの』って」。こうして生まれた新しい眉はGULL WING(カモメの翼)と名付けられた。このカモメの翼が齎(もたら)したものとは---「眉尻が細くなることで眼の外側(眉尻側の眼と眉の間)に余白ができる。その余白にだけアイシャドーを施す。これが効くんだ。これはあの頃流行(はや)っていた。マリリン・モンローとかド派手なメイクとは大違いだ。シャドーをべったり塗り拓(たく)れば、誰だってエロく見える。別にマリリン・モンローじゃなくてもね。でもオードリーは元々、完璧な顔を持っているから、メイクは眼の外側だけでいい。あの大きな眼を際立たせてやれば後は皆イチコロさ」。当時のスターとは違い、決してグラマーとは言えない体型だったオードリー。だが彼女は体型ではなく「眼力(めぢから)」で勝負すると決めた。「私には女らしさを証明するのにベッドルームは要らない。グラマーが自慢のスターが裸で表現することを、私は服を着たままで表現できる」。 

 

 

 



3カ月に亘る撮影の末、映画は無事完成。完成試写会の後、監督のワイラーはこう言った。「彼女を見ていたら、自然と涙が出て来た。面の皮が厚くなったこの私がだ。私には分かっていた。あっという間に世界中が彼女に恋してしまうって。この映画に関わった我々全てがそうだったように」。後の結果はご存じの通り。オードリーは初主演にしてオスカーを獲得した。彼女は一言「でき過ぎです」と述べた。演技をどれだけ絶賛されても謙遜し続けたオードリー。だが記者に「あなたは世界一美しい眼の持ち主だ」と称賛された時には、こう答えた。「いいえ、世界一美しい眼のメイクです。それもみんなアルベルトのお蔭よ」。オードリーがこの映画で得た最大の武器こそ。「眼」だった。 「ローマの休日」以降、次々ヒット作を連発する中、髪型が変わっても衣装が変わっても、この眼のメイクだけは生涯変えなかった。そして、その現場には常にデ・ロッシ一家の姿があった。「俺たち一家にとっては『ローマの休日』こそ一番大事な映画なんだ。あの時オードリーが指名してくれたことが、ハリウッドや他の世界への大きな扉を開いてくれた。もし神様が完璧な女優を作ろうとしたらさ、美しくて頭もいい、そしたらできるのはオードリー・ヘップバーンさ!」と。


*


□ 視点2. 監督の娘ジュディ・ワイラー “90テイクマン”ウィリアム・ワイラーの願い


ジュディ・ワイラー。当時十歳、子役として撮影に参加していた。今では映画祭のプロデューサーとして、忙しく働くジュディ。数多くのスターと会って来たが、10歳で出会ったオードリーは別格の存在だ。ジュディ・ワイラー「だって彼女、こんな子どもの私も気遣ってくれたのよ。みんな仕事の事ばっかりに夢中なのに、彼女だけは私の目を見てキチンとお話ししてくれたの」。

彼女は父の背中を見つめる中で、この作品に父が込めた強いメッセージを感じ取っていた。「ローマの休日」は単なる甘いラブストーリーでは無かったのである。当時、全米で吹き荒れていた共産主義者排斥運動(マッカーシズムMcCarthyism)。ジュディ・ワイラー「父はあの頃、ハリウッドにかなり嫌気が差していました。『赤狩り』の所為(せい)で御上の認める映画ばかりになっていましたから。連中の目が届かない外国に出たい!って何時も言ってましたよ」。ジュディ・ワイラー「映画会社の出資が決まると直ぐに父は『赤狩り』で疑いを掛けられた人を何人も雇ってローマに連れて行ったのよ」。例えば、アカデミー賞助演男優賞にもノミネートされたカメラマン役のエディ・アルバートは、妻の共産主義者疑惑で騒がれた人物。ジュディ・ワイラー「最初、父は『新人』ってことに拘(こだわ)っていただけなの。誰も見たことのない人、とにかく映画会社の連中が口出しして来ない新人がいいって。でもそこに、あのオードリー・ヘップバーンが来たのよ。私だけじゃなく皆が見とれちゃった。現場に新鮮な風が吹いて太陽みたいに皆を照らしたの。まさにパーフェクトなマッチングだったわ」。ジュディ・ワイラー「空襲から逃れた人々が祈りを捧(ささ)げた壁。これを見て父の心は動きました。『赤狩り』から逃げることよりもっと大切なことがあるって気づいたの。だから、このシーンを入れた。伝えたかったのは夫々の立場で戦争の記憶を持つ私たちだけど、手を携えて未来へ進もうということ。『せっかく戦争が終わったのだから』ってね」。

 

 

ワイラーの願いが最も色濃く表れているのは、終盤のこの場面だと言う。記者「国と国との友好の見通しについてどうお考えでしょうか?」。オードリー・ヘップバーン「必ずなし得ると信じます。人と人との友情を信じるように」。

 

 

 

グレゴリー・ペック「恐れながら、自社を代表して申し上げます。妃殿下のご期待は決して裏切られることはないと」。ジュディ・ワイラー「このシーンは、父の一番大事な願いを伝えています。国のレベルの結び付きだって結局は全て人と人との友情によるものだと。どんな状況でも友情だけは失ってはいけないと。でもなかなかいないわよ、その願いをこんな風に表現できる女優は。本当に美しくて完璧な瞬間だと思います」。
 
オードリーにはその後も名監督から出演依頼が殺到。彼女は瞬く間に世界一のスターとなる。

 

 

 

1968年、まさにキャリア絶頂の時、彼女は突如映画界から身を退(ひ)いた。果たして、そこにはどんな決意があったのか?


*


□ 視点3. 息子ルカ・ドッティ 「引退」の無い生き方


彼女は実に8年もの間、映画出演を断った。だがそれを「引退」と書いたマスコミに、厳しくこう返した。「私は引退などしない.私には引退もカムバックもない」。それは一体どんな意味なのか? 答はローマの日々にある。「いろんな場所で母のことを話すんですけど、皆さん一番驚くのは母が料理をしていたって所なんですよね。『痩(や)せてるから食べないと思ってました』なんて。そんな訳ないでしょ? 実際は母はよく食べる人だったんですよ。パスタなんて3皿くらい食べていたんですから」。


39歳でローマの医師アンドレア・ドッティと再婚。前の夫との間の子ども(ショーン・ヘプバーン・ファーラー)も引き取った。彼女は結婚後の抱負を問われてシンプルにこう答えた。「私はローマの主婦になる」。かつて自分をスターにしたローマの街に家を構え、映画出演を全て断り続けたオードリー。結婚の翌年にルカ・ドッティが誕生。

 

 

ますます映画界からは遠ざかった。映画にこそ出なかったオードリーだが、身を隠した訳ではない。今回ルカが見せてくれたホームビデオには、ルカを連れて堂々とローマの街を歩く姿が映っている。パパラッチ達の格好の被写体になったが逃げも隠れもしなかった。ルカ・ドッティ「小さい頃は,僕はパパラッチとケンカばかりしていました。でも母は『逃げるより、撮らせちゃった方が早く済むわよ』なんて、実に慣れたものでした。今となってはパパラッチのお蔭で母との写真がたくさんあって、有り難いと思ってますよ」。

 



このまま、ずっと主婦を続けるのか? そう世間が感じ始めた1976年、突如、彼女は映画界に復帰する。ジャンネット・ロッシ「『何で今になって復帰するんだ』って言う人もいたけど、実はベストのタイミングを計っていたんだと思うよ」。自分にしかできない使命のために、王宮に戻ったアン王女のように、今の自分にしかできない役柄を演じるべく、再び映画に出演した彼女。復帰後、立て続けに4本の映画に出演する。

 

 

だが、そこで立ち止まる彼女では無かった。


*


□ 視点4.  「オードリーとローマの休日 ~秘めた野心 貫いた思い~」


ルカ・ドッティ「驚きましたよ。まさかあんなこと、し始めるなんて」。59歳の時、映画の現場を離れ、向かったのは世界の紛争地帯。1988年、ユニセフの特別大使となったオードリー。スターが大使を務めることはそれまでもあったが、現場に乗り込んだのは彼女が初めてだった。ルカ・ドッティ「母が大使を務めることで、アフリカの発展途上国への援助額は2倍にも増えたんですよ。2倍です」。ルカ・ドッティ「母はとても明快に言っていました。『私の手に負えないことはある。例えば麻薬とか核戦争の危機とか。そういうことに私が一人でできる事は殆ど無い。でもアフリカの問題は違う。私が動けばお金が集まるし、それで解決できる部分も多いから、やり甲斐があるのよ』」。自分の居場所は自分で決める。「ローマの休日」で世界のスターになって以来、ずっとそう生きて来たオードリー。亡くなる4カ月前も銃撃戦が続くソマリアの紛争地帯に向かった。ルカ・ドッティ「流石(さすが)に引き留めようとしたんだ。『母さん、そんな所に行ったらボロボロになっちゃうよ』って。でも、そうしたらこう答えた。『なに言ってるの。貴方が小さい頃は大分、貴方の所為でボロボロにされたわ。そのお返しだと思って、今は私の好きにさせて』って」。

 

 

1993年1月20日、オードリー・ヘップバーン、この世を去る。63歳での死。

 

 

誰もが余りに早過ぎると嘆いた。だが、息子のルカはそうではないと言う。「人生って単なる年月の積み重ねではないと思うんです。息子の僕にとっても世界中のファンの皆さんにとっても、彼女の生涯は決して物足りないものでは無かったと思います。だって、ハリウッドであれだけの名作に出て、子育ても立派にして、そして世界の国々も巡った。その間、一度も立ち止まることは無かった。僕は十分、母から与えられるだけのものを与えてもらったと思うし、ファンの皆さんにも全てを与えて行ったと思います。母ほど充実した人生を送った人は、きっといないんじゃないでしょうか」。

確かに濃密。確かに彼女でしか有り得ない63年の生涯。その中で最も長い日々を過ごしたのが、息子と暮らしたローマだった。ルカ・ドッティ「一番好きなのはラストシーンですね。だって、『どこの街が好き?』って聞かれて、『ローマが最高』って言うから」。アン王女「ローマ。何と言ってもローマです。私はここでの思い出を生涯忘れることはないでしょう」。

 





 

今日は「文鳥の日」。スズメ目の小鳥を調べた

$
0
0

 

10月が手乗り文鳥の雛(ひな)が出廻る時期であることと、「て(10)に(2)し(4)あわせ」(手に幸せ)の語呂合せとで、10月24日は「文鳥の日」と制定された。

 

 

リブログ


 

 

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 
 
■ お題「好きな鳥は?」

日頃、東京下町の公園・庭園、河川などの散歩を趣味にしていると、昆虫類・鳥類・犬猫類との出会いが多い。

そのうち鳥類に関しては、①にカラス、②にハト・スズメ。③にメジロ・ムクドリ・ヒヨドリ、そしてダイサギ・コサギ・アオサギ。

敢えて好きな鳥を選ぶならば、スズメ、メジロ。そしてウグイスの声に偶に遭遇すると嬉しい。富士の姿を見つけたように。

以下、馴染みの小鳥をWebでチェックしてみた。


□ メジロ
 


漢字名: 目白、繍眼児
学名: Zosterops japonicus
英名: Japanese white-eye
分類: スズメ目/メジロ科/メジロ属
分布: 東アジア~東南アジアの留鳥または標鳥。

全長は10~12cm前後で、日本で見られる野鳥の中ではミソサザイなどに次いで小さい。鶯色掛かった背と暗褐色の羽を持ち、目の周りの白い輪が特徴。
花の蜜を大変好み、特に早春はツバキ・梅・桜などの花に群がって「チーチー」と鳴き交わしたり、スズメやヒヨドリと競っている。ヒナを育てる時期には虫も捕食する。
その目の白さや背の鶯色からウグイスと混同し易いが、ウグイスは警戒心がとても強く、木の虫や木の実などを食べるが花の蜜を吸うことは滅多に無い。


□ スズメ

20171221浅草にて撮影


漢字名: 雀
学名: Passer montanus
英名: tree sparrow, Eurasian tree sparrow
分類: スズメ目/スズメ科/スズメ属
分布: ユーラシア大陸の広汎な留鳥または標鳥(西はポルトガル~東は日本)だが、極北帯や赤道帯には少ない。

全長は10~15cmで、シジュウカラとほぼ同じ大きさ。頭~背は褐色で背には黒色の縦斑、頬~腹は白色。
地上では両足で飛び跳ねて(ホッピングして)移動したり、砂浴びが大好きだったりする一方、鳴き声は「チュン」を基調としているので、可愛いがられる。
元々はイネ科などの穂を食害する反面で害虫も食べる益鳥。都市部では花の蜜から生ゴミまでの広汎な雑食性によって繁殖を可能にした。しかし危険も多く、カラス・猫・猛禽類など捕食者で溢れている。
人懐(ひとなつ)こくて賢い所があることから、日本(飛鳥・奈良・平安の朝廷)では縁起物などで神聖扱いされて来た歴史がある。


□ ホオジロ
 


漢字名: 頬白
学名: Emberizidae
英名: bunting, meadow bunting 
分類: スズメ目/ホオジロ科(29属173種と多い)
分布: オセアニア・南極を除く、世界中に分布する留鳥または標鳥または渡鳥。

全長は15~20cmで、頭~背は赤褐色で背には黒色の縦斑。頬が大きい白色のシジュウカラと間違えやすい。
地鳴きは「チチッチチッ」と二声を出す。
農耕地・草地~林の縁の平地に生息。
雑食性で、植物の種や昆虫類が大好物。


□ ムクドリ
 


漢字名: 椋鳥
学名: Sturnus cineraceus
英名: white-cheeked starling, grey starling
分類: スズメ目/ムクドリ科/ムクドリ属
分布: 東アジア(やや北部)の留鳥

全長は20~25cmで、ヒヨドリより一回り小さい。雄は黒色っぽく雌は褐色っぽい。
夜は一か所に集まって塒(ねぐら)を形成し大群となることが多い。
元々は、農作物に害を及ぼす虫を食べる益鳥とされていた。その後、都市に適応して大量に増殖すると、騒音や糞害などがしばしば社会問題化し、日本国内では1994年から狩猟鳥に指定されている。
日本では、文学の中にしばしば登場し冬の季語となっている。江戸時代、冬季に集団で江戸へやって来る奥羽や信濃からの出稼ぎ者を喧(やかま)しい田舎者集団という意味で「椋鳥」と呼んで揶揄(やゆ)していた。


□ ヒヨドリ
 


漢字名: 鵯
学名: Hypsipetes amaurotis
英名: brown-eared bulbul
分類: スズメ目/ヒヨドリ科/ヒヨドリ属
分布: 東アジア(やや南部)の留鳥または漂鳥または渡鳥

全長は25~30cmで、ムクドリやツグミより細長。灰色の羽毛に覆われるが頬に褐色の部分がある。
鳴き声は「ヒーヨ!」と甲高く聞こえ、和名はこの鳴き声に由来するという説がある。
ツバキやオオカンザクラなどの花の蜜を好み、庭先に果物の半切れを置くと直ぐにやって来るが、気が荒くメジロやウグイスなどを追い払う。
飼い主を見分ける能力があることから、平安時代は貴族の間で盛んに飼われた。しかし餌付けをするのは良し悪しで、時に集団で畑に現われ農作物を食い荒らすこともあり、狩猟鳥および農業害鳥に指定されている。


◇---------------------------
 
 
この記事の投稿を終えて、丑三つ時の夜空を見遣ると----
 
限りなく満月に近い月齢15の月が西の空に浮かんでいた。間もなく(05:20に)月の入りである。
 
20181024  03:34
 
そして今夕は満月を迎える。
 
 

中秋の向島を味わう。

$
0
0

昨日10/24(水)は午後には晴れて来た。

 

そこで年間パスポートを持っている「向島百花園」へと向かった。

 

こちらは毎月のように訪れているのに、都度、季節の移ろいを感じ取ることができ、大好きだ。

 

往きは言問通り(#319) ~橋場通り(#314) ~隅田川=白鬚橋 ~明治通り(#306)。

 

 

■ 都立「向島百花園」(墨田区東向島3-18-3)

 

前庭のコギク


向島百花園「菊(古典菊)が彩る江戸屋敷」[11/1(木)~11/25(日)]

 

季節の鉢植えはササリンドウ

 

 

クロガネモチの赤い実と白い雲と青い空

 

ツタの絡まるクロガネモチノキ、

咲き終わったフジバカマ

 

サザンカ

 

お化けユウガオの実

サザンカ

 

ヘチマとヒョウタン

 

チャノキの白い花

 

チャノキ

釣瓶(つるべ)式井戸「梅洞水」

 

御成座敷前のコミムラサキシキブ、ツワブキ、シュウメイギク

コミムラサキシキブ

ツワブキ

シュウメイギク

 

ザクロの完熟した実

更に進んでハロウィン

 

ピークを終えたハギのトンネル

 

キキョウは未だがんばっている

 

秋咲きのクサボケ

 

 

周りも一層、秋が高まっている

 

ススキ

コブクザクラ

 

ススキ

ノイバラの赤い実

 

ニシキギの紅葉も進んだ

 

ホトトギスにオオスカシバが何匹も

 

 

*

 

 

墨堤通り(#461)

 

 

■「墨堤植桜之碑(ぼくていしょくおうのひ)」(向島5-1)

 

ジュウガツザクラ

カキの実

 

 

■ 黄檗宗(おうばくしゅう)牛頭山「弘福()」(向島5-3-2) 

 

天高く

 

ビワが台風被害!!

 

ナツミカン

 

オトメツバキ

 

 

帰途は、また桜橋の夕暮れを見たくなった。

 

 

ハロウィンの仮装をした母子連れが夕方の浅草の街を行く。

 

サイクリング&ウォーキング3,100歩。

 


伊坂幸太郎の絵本「クリスマスを探偵と」 紹介

$
0
0

昨晩10/25(木)はこれまでも触れたように、「満月」(月齢16)

 

浅草の東の夜空

20181025  21:41

 

一方、南南西の空には、明晩に「内合」(地球と太陽の間に入る)となる

火星が赤味を帯びていた。

20181025  22:12

 

 

◇---------------------------

 

 

一昨日10/24(水)、久し振りに区立図書館へ行った。

そこで伊坂幸太郎氏の棚で、「クリスマスを探偵と」および東野圭吾氏の「危険なビーナス」をゲット!!

 

早速、前者の絵本に目を通した。

 

 

■ 伊坂幸太郎の絵本「クリスマスを探偵と」あらすじ・感想


文: 伊坂幸太郎、絵: マヌエーレ・フィオール

初出は特集ムック「文藝別冊 伊坂幸太郎」河出書房新社2010年11月
単行本「クリスマスを探偵と」河出書房新社2017年10月
 

Amazon

 

 

□ 伊坂幸太郎「生まれて初めて完成させた短篇が元となった作品です」。

大学1年生の時(1991年20才)に著者が初めて書いた小説(初出は「文藝別冊 伊坂幸太郎」)を自身の手により完全リメイク。

舞台はドイツ。探偵・カールがクリスマスの夜に出会った不思議な男とは……?伊坂幸太郎が贈る聖夜の奇跡の物語。


伊坂作品にはお馴染み、あのキャラクターの元祖とも言える人物も登場。デビュー以来の伊坂作品のモチーフ、「探偵」「男2人」「親子愛」「巧妙な構成」「ラストのどんでん返し[龕灯(がんどう)返し、英訳surprise (twist) ending」・・・などのエッセンスが全て凝縮された珠玉の物語。


□ マヌエーレ・フィオール「お話の最後ではいつも呆然となり、もう一度読み直したい気持ちで胸がいっぱいになりました」。

フランス在住のバンドデシネ[フランス語bande dessinée (BD)] 作家マヌエーレ・フィオールによる描き下ろしイラスト付オールカラー絵本。

マヌエーレ・フィオール (MANUELE FIOR)の略歴: 1975年イタリアのチェゼーナ生まれ。2000年建築学の学位をヴェニスで取得後、2005年までベルリンで漫画家、イラストレーター、建築家として働く。2011年『秒速5000km』(“Cinq mille kilomètres par seconde”)でアングレーム国際漫画祭最優秀作品賞を受賞。他の作品に『エルザ嬢』(“Mademoiselle Else”)など。バンド・デシネ作家として松本大洋をはじめ日本の漫画界からも大きな注目を集めている。





□ 概要


ドイツ南部バイエルン州フランケン地方の大都市ローテンブルク(Rothenburg)は、中世都市の代表的なシンボル都市として日本の"小京都"のように全国各都市の冠(かんむり)になっている。そして、マルクト広場(Marktplatz)ではクリスマスシーズンには世界有数の「クリスマス市場」が盛んに立つ。特にローテンブルクは町の規模こそ小さいけれど、市の人気はNo.1でロマンチック街道のハイライトとなっている。

そのローテンブルクを舞台とした本作は、伊坂幸太郎氏が東北大学法学部1年生の時に初めて完成させた短編作品であると言う。この処女作をクリスマスの時期に合わせて、2010年11月---映画「ゴールデンスランバー」公開の年---に初出、7年後の昨2017年10月に絵本化した。

この第一作にはしっかりと、後に伊坂ワールドを形成するキャラクターたちが登場して来る。
「チルドレン」(2004)、「サブマリン」(2016)の家裁調査官・陣内の元祖と思しき主人公・探偵カール。
「死神の精度」(2005)、「魔王」(2005)、「死神の浮力」(2013)の死神・千葉(あるいは安藤)の元祖と思しき謎の男(サーカス曲芸師を仮の姿にしたサンタのひとり)、2人の同僚男クランプス。

サンタクロースの起源は---
トナカイに乗って空を飛ぶ妖精は古くから贈り物を届けて来た ⇒ サンドラ・クロス(Sandra・Cross)。
一方、三世紀に贈り物をして子供を守る謎の男・聖ニコラウスに因んで ⇒ シンタークラース(Shinterklaas) 。
世界中の貧しい家庭の子供をリストアップし、複数分担制のサンタクロースにトナカイを割り当てて、離陸して行く壮大なプロジェクト計画。






□ 詳細


主人公は探偵カール。
カールが画材屋家族3人で暮らしていた頃のこと。
サンタクロースを信じて待っていたカールは、毎年父に欲しいものをそれとなく告げていて、父はそれを叶えてくれていた。
或る年、家計が厳しいことを承知で、試しに高価な自転車を希望してみた。ところが何とそれがプレゼントされたのだ。
しかし、その費用は、母が大事にしていた指輪を売って父が捻出したらしく、母親が激怒して激しい夫婦喧嘩になってしまう。
それ以後、カールは自分を悔み家を飛び出し、両親とは音信不通になった。だが随分、経ってカールの行方が母に知られるところになり、今は探偵の仕事をしていると、時々電話で話すようになった。
母から父の素行調査を頼まれる。父が時折り長い髪の抜け毛を付けて帰宅することがあるため、不倫を疑っていた。3人で暮らしていた時にもそんなことがあったようなので、長く続いている素行らしかった。
ローテンブルグの街を、弛(たる)んだ腹の途或る50過ぎの男を尾行し、浮気調査をしている。調査対象の男が、投資家の中年女性の豪邸へ入って行くのを見届けて、カールは暫く出て来ないだろうと公園で休憩する。
と、公園のベンチに偶然、居合わせた先客の若い男に声を掛けられ、探偵であることを見透かされて驚く。カールは観念したかのように浮気調査中であることを明かす。
その後は、ドイツ統一やワールドカップなど、色々な話をし、クリスマスやサンタクロースの話へ展開して行く。
そして「嫌な経験があるんだ」と、カールはクリスマスの経験を明かし、男は「よければ僕に話してみてくれませんか」と聞き返す。
カールは身の上話を始める。父が常に機嫌が悪く母に当たっていたこと、浮気の気配があったこと、家が裕福でないのにクリスマスに高い自転車を頼んだことなど・・・。
クリスマスプレゼントをもらうことはできたが、父が母の大事な指輪を売って自転車を買ったことに母が激怒している姿を見て、カールは家出し探偵になったことまで明かす。
更に今、尾行している男が "カールの父親"であることも明かしてしまう。
そこで男は切り出す。「こじつけ、というのは嫌いですか?」。男はカールに「可能性のゲーム」を持ち掛ける。「カールさんのお父さんが、本当のサンタクロースだと考えたら、どうでしょう?」
と、男のこのセリフから物語は急展開して行く。そして最後には心温まるドンデン返しが待っている。
謎の男は、「もしかしたら、お父さんはサンタクロースで、つけて帰ってきた長い毛はトナカイの毛だったのかもしれません」「お父さんがこの家を訪ねた理由も、探し回っていたあの指輪を取り戻すことだったかもしれない」。仮説から仮説へ。
職業柄ネガティブな思考を持つ探偵カールの感情が、公園にいた若い謎の男によって解きほぐされて行く。
華やかなクリスマスらしさはないが、最後にドンデン返しがあり、心温まる展開でとても優しい気持ちに成れる。
サンタクロース、2人の鬼クランプス(日本のナマハゲ)。
表紙のキャッチコピー「かつての子どもたちへ これからの大人たちへ」にもあるように、大人向きの絵本である。
 

 





■ 伊坂幸太郎氏の著作リスト

 

□ 私のブログ(2010~2013年)


「重力ピエロ」
「ラッシュライフ」
「アヒルと鴨のコインロッカー」
「フィッシュストーリー」
伊坂幸太郎ワールドが求めるもの
「陽気なギャングが地球を回す」
「ゴールデンスランバー」
「グラスホッパー」
「チルドレン」
「終末のフール」
「魔王」---伊坂幸太郎ワールドのまとめ
「あるキング」
映画「ゴールデンスランバー」感想
「SOSの猿」
「AX」(アックス)
「死神の浮力」
殺し屋シリーズ「グラスホッパー」「マリアビートル」「AX」「BEE」の整理
「僕の舟」
「死神の浮力」Ⅱ
「PK」
「残り全部バケーション」
「ガソリン生活」
「死神の浮力」


*



□  私のブログ(2014年~)

 


「首折り男のための協奏曲」(新潮社2014年1月、新潮文庫2016年11月)
 

「アイネクライネナハトムジーク」(幻冬舎2014年9月、幻冬舎文庫2017年8月)
 

「キャプテンサンダーボルト」(阿部和重との共作、文藝春秋2014年11月)
 

「火星に住むつもりかい?」(光文社2015年2月、光文社文庫2018年4月)
 

「ジャイロスコープ」(新潮文庫2015年6月)
 

「陽気なギャングは三つ数えろ」(祥伝社ノン・ノベル2015年10月、祥伝社文庫2018年9月)
 

「サブマリン」(「チルドレン」の続編、講談社2016年3月)
 

「クリスマスを探偵と」(河出書房新社2017年10月) ・・・全国学校図書館協議会選定図書

 

 

「AX」(KADOKAWA2017年7月) 未読
 

「ホワイトラビット」(新潮社2017年9月) 未読
 

「フーガはユーガ」(実業之日本社2018年11月) 未読

 

 

 

ドラフト明けの10/26(金)は「浜町河岸」サイクリング。った

$
0
0


昨日10/26(金)の日中は雲の多い日。


プロ野球ドラフト明けなので、珍しくコンビニからスポーツ紙(日刊)を買った。
我がオリックスは、相変わらず派手好みでなく地味な選択だったので、スポーツ記者たちの評価は高くなかった。
禅譲に近いとは雖(いえど)も指揮官が交代してくれたんだから、勝って優勝を競うチーム(少なくともCS進出)になってもらわないと---と当たり前のことを思う。
でも、弱くっても有望な新人と交渉できて多数入団してくれる、ドラフトは有り難い制度。


一方、高校野球ででっかい朗報があった。
我が春日部共栄高校が関東大会で、あの横浜高校にコールド勝ちしベスト4となった。
これにより不祥事さえ起きなければ、春の選抜は当確となった。


◇--------------------------


午後、浜町河岸方面へとサイクリング&ウォーキング2,300歩と軽過ぎ。

江戸通り(国道#6) ⇒ 靖国通り(国道#14=都道#302) ⇒ 浜町河岸通り 
⇒ 隅田川=清洲橋 ⇒ 清洲橋通り(都道#474) ⇒ 清澄通り(都道#463) 
⇒ 隅田川=両国橋 ⇒ 柳橋大川端通り ⇒ 江戸通り。

 

 

*

 

 

台東区柳橋1-9付近

ハナセンナ(カッシア・コリボサ)

 



*

 


■ 浜町河岸通り


□ 両国橋西詰

東京スカイツリー、NTTドコモ墨田ビル、ライオン、江戸東京博物館




□「薬研堀(やげんぼり)不動院」
(正式名称「真言宗智山派川崎大師平間寺東京分院」中央区東日本橋2-6-8)



「やげん堀移動商店街」[2018/10/26(金)~27(土)]の開催中。

 

チンドン屋さんの前でハロウィンの仮装





籠(かご)と人力車が到着






*



□ 遊歩道

枝垂れ柳が似合う

 

手前はロンセラ(ツキヌキニンドウ)
向こう岸は東京スカイツリー、

「NTTドコモ墨田ビル」(墨田区横網1-9-2)のアンテナ

 

停泊中の警戒船が見えた



*

 


■「区立浜町公園」(中央区日本橋浜町2-59)

 

 

ジュウガツザクラの向こうに

「明治座」(日本橋浜町2-31-1)

 



赤い実の成る木が集中している

クロガネモチ・モチノキ・ピラカンサスなど

 



ハコネウツギの狂い咲き


 

ハギ、ツワブキの補色関係

 

 

ウメモドキの赤い実

 


 

□「区立総合スポーツセンター」(日本橋浜町2-59-1)の裏手

 

クサギの赤い萼(がく)と白い花

 

 

クリスマスを期待させるモミノキなど針葉樹が並ぶ

 


そこにオナガの群れが留まった

 

 

 

 

一方、茂みにブス可愛いネコ

 

 

ハトとスズメが餌の奪い合い

 

白い尾のハトも

 

 

*

 

 

日本橋浜町3-28付近

ギンモクセイが香っていた

 

 

 

 

 

 

□ 新大橋西詰

 



■ 隅田川テラス

 

 

ここにもネコ

 

清洲橋の橋桁、キバナコスモス

 

箱崎~新川~佐賀の超高層マンション群、

隅田川大橋、永代橋

 

紅葉したツタ

 

ニシキギの赤い実


向こう岸に「区立芭蕉記念館分館」(江東区常盤1-1-3)

                                  ↓


2016/06/11撮影したもの

 

 

 

10/27から読書週間。不忍池~東大本郷を散歩。

$
0
0

 

■ 10月27日は「読書の日」

「読書週間」10月27日~11月9日
の1日目。


□ 改めて、私の心に残っている文芸作品をリストアップしてみたら、20冊になった。


<初出(出版時期)順>


フョードル・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」(1880)

夏目漱石「坊っちゃん」(1906)
サマセット・モーム「サミング・アップ」(1938)
太宰治「走れメロス」(1940)
アルベルト・カミュ「異邦人」(1942)
アーネスト・ヘミングウェイ「老人と海」(1952)

松本清張「砂の器」(1961)
遠藤周作「私が・棄てた・女」(1964)
柴田翔「されどわれらが日々」(1964)
高橋和巳「孤立無援の思想」(1966)

山崎豊子「不毛地帯」(1976~1978)
山崎豊子「大地の子」(1991)
高村薫「マークスの山」(1993)
司馬遼太郎「街道をゆく」(1971~1996)

東野圭吾「トキオ(時生)」(2002)
伊坂幸太郎「重力ピエロ」(2003)
東野圭吾「容疑者Xの献身」(2005)
伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」(2007)
村上春樹「1Q84」(2009~2010)
横山秀夫「64(ロクヨン)」(2012)


◇--------------------------

 

 

昨日10/27(土)午後は何時の間にか快晴となっていた。


15時過ぎから上野池之端方面へと散歩に出掛けた。


浅草通り(都道#463)⇒「不忍池」⇒不忍通り(都道#437)⇒「東京大学/本郷キャンパス」
⇒「不忍池」⇒動物園通り⇒かっぱ橋本通り。

サイクリング&ウォーキングは2,000歩ジャストと軽過ぎ。


□「上野恩賜公園 不忍池」(台東区上野公園2)

 

 

弁天島(上野公園2-1)

「上野精養軒」(上野公園4-58)

 



紅葉が部分的に進んでいる。




□「無縁坂」(台東区池之端1 / 文京区湯島4) を自転車の手押し。

 

 

「旧岩崎庭園」(池之端1-3-45)と「講安寺」(湯島4-12-13)の間

 

 

ツバキ

 

 


*



□「東京大学 本郷キャンパス」(文京区本郷7-3-1)

 

 

クリックして拡大




いつものように鉄門から入った。

 

池之端にまた超高層マンションが天高く。

 


東大附属病院
医学図書館(休館)
医・薬・理・経済の各号館

赤門

 

 

「赤門そば」(本郷5-27-8)が覗(のぞ)く。

落葉が進む。



教・文の各号館

総合図書館

 



書籍部・第二食堂

三四郎池

安田講堂

連隊を求めて孤立を恐れず

 



購買部・中央食堂
法文1・2号館

サザンカ

 

 



工・列品館
正門

広場

 



工1号館

池之端門から出た。

 

*

 

 

今度は裏(スワンボート池の方)から

「弁天島」へと移動。

 

□「東叡山寛永寺弁天堂」(上野公園2-1)

 

 

 

参道にサクラの狂い咲き

 


□ 「シタマチ.ハロウィン」10/1(月)~31(水) が、宵の帳(とばり)も下りて盛り上がっていた。

 

ポスター

 

「弁天門ハロウィン屋台村」・・・10/27(土)~28(日)弁天門前広場「東北物産展をはじめとする約40店舗のグルメ市」。

 

10/27(土)メインイベント「仮装パレード&コンテスト」。

 

 

 


 

 

仮設ステージでライブ





紅葉が進む「大横川」「清澄白河」。

$
0
0


昨日10/28(日)も午後になってから、「大横川」~「清澄白河」方面へと散歩。

浅草通り(#453)⇒大横川親水公園⇒清洲橋通り(都道#474)。


■「区立大横川親水公園

□「万華池」(墨田区石原4-13)

・・・親水公園の中央部に位置し、水辺を求めてやって来る生き物の休息・採餌・繁殖の場となっている。

 

サルスベリ(濃黄)

ハナミズキ(紅)

 

スイレン、ヨシ、ヤブミョウガなど

 

 

サルスベリ、ハナミズキなどの紅葉と東京スカイツリー

 

 

カロリナポプラ

 


 


□「パレットフラザゾーン」(墨田区東駒形4-14)・・・清平橋~長崎橋跡~総武線鉄橋。

 

ハゼノキの紅葉と黒い実



北斎通りを挟んで、「アルカウエスト」(墨田区錦糸1-2-4)

 

トウカエデ

 




■「浄土宗道本山東海院 霊巌寺」(江東区白河1-3-32)

・・・1624年、霊巌島(現・中央区新川1/2)に創建。1657年、「明暦の大火」により延焼。1658年、現在地に移転。

 

 



「江戸六地蔵」第5番

銅造地蔵菩薩坐像

 

 

幕末江戸7大火葬場[荼毘所(だびしょ)のひとつ。

 

プラタナスの大木

石造地蔵菩薩立像が六体。

 



■「区立深川江戸資料館」(白河1-3-28)

・・・管理・運営は「公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団」。

 

入口に、ネコの江戸町火消

 



1Fに昭和の名横綱・大鵬関(名誉区民第一号)の顕彰コーナー。

柏戸関と大鵬関の手形

 


2Fに「深川小劇場」「レクホール」。


■「都立清澄庭園」(江東区清澄3-3-9)

・・・1891年、回遊式築山林泉庭園として完成。1932年、「清澄庭園」として開園。

 

前庭にサザンカ

 



大正記念館・枯山水

左は中村学園


 

大磯渡り

ザクロの実がパックリと

 


芦辺の浜

 

逆さイチョウ

 


中の島・鶴島

 

カモたちの休息

 

富士山の遠望

 

 

各所で見るオオスカシバのホバリング

ツワブキ

 

 


自由広場・花菖蒲園
フジバカマの終期

 

涼亭

 

名物アオサギの定点観測

東京スカイツリー

 

 

 

 

日本画の世界のようだ


磯渡り・傘亭
長瀞峡

 




□ 1977年、開放公園「区立清澄公園」(清澄2-2)を開園。

 

 




帰途は、清澄通り(都道#463)⇒新大橋通り(都道#50)⇒隅田川=新大橋
⇒浜町公園通り⇒清杉通り⇒江戸通り(国道#6)⇒浅草通り(都道#463)。

 

各所でピークを迎えているハロウィンに対する警視庁の警戒態勢。

昨日のサイクリング&ウォーキングは4,200歩と軽め。

 

10/29(土)am日比谷・有楽町へ買い物、pm浅草繁華街を巡回。

$
0
0

昨日10/29(月)は
午前に日比谷~有楽町へ買い物、午後に地元・浅草繁華街の夕べを回った。

 

トータルでウォーキング7,300歩と適度。



■「東京ミッドタウン日比谷」(有楽町1-1-2)

 

ジャン・フランソワでランチを買った。


「日比谷公園」(千代田区日比谷公園1)


リブログ(3カ月前の訪問記)


 

 

 

有楽門

□ 第一花壇/ペリカン噴水


 

ラベンダーにアオスジアゲハ


 

東京ミッドタウン日比谷、東京宝塚劇場、帝国ホテル

オキナヤシ、キミガヨラン、ケイトウなど



□ 心字池

 

シダレヤナギが幻想的



祝田門

内堀通り/日比谷濠に沿った・・・


ユリノキ並木の葉っぱが、涼風にチラチラと踊る

 

日比谷通り(国道#1)/日比谷濠に沿った・・・・

明治生命館・国際ビル・帝国劇場・第一生命。
シダレヤナギ並木




■「ザ・ペニンシュラ東京」(有楽町1-8-1)

 

前庭がいつもながら美的




◇----------------------------


■ 浅草六区ブロードウェイ商店街

 


「浅草演芸ホール」(浅草1-43-12) 

 

 

「浅草フランス座演芸場 浅草東洋館」(浅草1-43-12) 

 

 

 

■ 観音裏通り商店会 

 

「助六の宿 貞千代」(浅草2-20-1) 

 

 

 

■ 奥山おまいりまち商店街 

 
第8回「弘前ねぷた浅草まつり」2018年11月3日(土・祝)~4日(日)
 

 

ポスター

  

「リッチモンドホテル浅草」(台東区浅草2-7-10)前で準備開始。 

 

 

 

 

 

■「浅草寺」(浅草2-3-1)  
 

「平成中村座 十一月大歌舞伎」公演 2018年11月1日(木)~26日(月)
 

ポスター  

 

 

 

本堂裏に仮設劇場を建設中。

 

 

 

 「九代目市川団十郎『暫』像」 も開幕を待ち望んでいる様子

 

   ↑

 

 

■ みちびき花の辻商店街 

 

「東京浅草組合/浅草見番」(浅草3-33-5 浅草三業会館)  

 

 

 

Viewing all 2687 articles
Browse latest View live