最近、ラジオの深夜番組を聴いていると、クミコさんのニューシングル「最後だとわかっていたなら」のキャンペーンが多い。
終活に入った私にとっては、原点に立ち返らせるような歌である。
これは米国ケンタッキー州出身の女性詩人ノーマ・コーネット・マレック(Norma Cornett Marek, 1940 ~2004年)が、1989年に10歳の息子サムエルを亡くした際に綴(つづ)った一編の詩をもとにした作品「Tomorrow Never Comes」の日本語訳。
原詩はあの2001年9月11日(火)に勃発した「アメリカ同時多発テロ事件」で亡くなった消防士の手帳に残されていたことからチェーンメールなどによって広まり、世界中で知られた。
日本語訳は、日本人女性・佐川睦が米国留学中に最愛の母を事故で亡くした際に、米国人の友人から送られてきた同詩を訳したものを自身のサイトに公開したことから話題を集め、2007年に書籍化された。
クミコさんは昨2017年に同詩を知り歌うことを決意。
11月にゲスト出演したイベント「日本うたごえ祭典」で歌唱し、観客からCD化を望む声が多く集まったことからこのたびのリリースが決定した。
同曲について彼女は「今この時に、大切な人に伝えるべきことを伝えたい。そういう前向きな希望の歌なのです」とコメント。
日本語訳した佐川さんは「なかなか素直になれない私達が、大切な存在である人に『ありがとう』『ごめんね』『だいすきだよ』と言えるよう背中をそっと押してくれるような、そんな曲だと思います」と語っている。
クミコさんは、本作のリリースを記念して来月6/30(土)に東京・EX THEATER ROPPONGIにてコンサート「クミコ コンサート2018」を開催する。
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「最後だとわかっていたなら」 2018/3/7日本コロムビアより発売。
作詞:ノーマコーネットマレック、 訳詩:佐川睦、歌詞構成・作曲: 都志見隆、編曲: 武部聡志。
詩の一部紹介---
♫ 今日という日が
最後だとわかっていたら
一言でいい「あなたを愛してる」と
私は伝えただろう
・・・
あなたがドアから出るのを見るのが
最後だとわかっていたら
キスしてそしてまたもう一度
呼び寄せ抱きしめただろう
・・・
「ごめんね」「許してね」「ありがとう」そんな気持ちを
時を惜しまず伝えられたら
きっと今日を後悔しなかっただろう
・・・
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[クミコ 略歴]
1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ(63才)。
本名:斉藤久美子、芸名の変遷: 斉藤久美子⇒高橋久美子⇒高橋クミコ⇒クミコ。
少女時代に親の関係から東京都世田谷区⇒埼玉県川口市⇒静岡県藤枝市⇒埼玉県浦和市と移住し、高校から大学時代を埼玉県越谷市で暮らして、埼玉県立春日部女子高校⇒早稲田大学教育学部を卒業した。
所属事務所はプエルタ・デル・ソル、所属レーベルは日本コロムビア。
演劇を志して早稲田大学に入学。学生劇団「木霊(こだま)」に属して不条理演劇で歌うと、歌で表現することに目覚めて劇団を退団。卒業前にバンドへピアニストとして参加し後にボーカルを担当。舞台芸術学院の「シャンソン・カンツォーネ教室」で学ぶ。
1978年(24才時)、第16回ヤマハポピュラーソングコンテストの関東甲信越大会を経て、つま恋本選会に出場。ボーカルを務めたホンキートンクの「どしゃぶり ずぶぬれ しどろもどろ」 (作詞:大谷有史、作曲:高橋明生) は優秀曲に入選。日本代表の1人に選ばれ、第9回世界歌謡祭にソロ歌手・斉藤久美子として出場したが予選で落選。
1981~82年、埼玉県大宮市にあった後楽園グループ(現・東京ドーム)のドイツレストラン「ラインゴールド大宮店」でピアノとシャンソンの弾き語り。
1982年6月(27才時)、日本におけるシャンソニエの老舗だった銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロデビューした。オリジナル曲で合格したのは前代未聞のことだったが、合格後は越路吹雪のレパートリー曲などでシャンソンを猛勉強した。ZABADAKでデビュー前の吉良知彦らと組んだロックバンド「びわ」などでも活動。
1987年6月(32才時)、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の日本初演にアンサンブルの一員として出演。
作曲家・高橋明生氏と結婚・入籍(推定)、高橋久美子の芸名でLPアルバム「POKKOWA PA ?」をリリース !! 32才の遅いデビュー盤だった。
1980年代後半~1999年、「渋谷ジァン・ジァン」に出演、10時劇場「六輔七転八倒九百円十時」に出演、「音楽図鑑」「世紀末コンサート」 「ステキな唄」シリーズなどを続けた。
新橋「アダムス」などのシャンソニエ、青山円形劇場、南青山MANDALAが主な活躍の場所。パントマイムのマルセ太郎、俳優の篠井英介との共演も行った。
1996年4月、「茶目子の一日」「お定のモリタート」などを歌うアルバム「世紀末の円舞曲(ワルツ)」を東芝EMIよりリリース !!
1999年6月、作家の中島梓と南青山MANDALAで「SYAPPO!」と銘打ったライブを行った。
2000年9月、アルバム「AURA」のリリースは一般に知られる切っ掛けとなった。「世紀末の円舞曲(ワルツ)」とライヴを聴き「街角の歌姫」クミコの歌に感動した作詞家・松本隆のプロデュース・全編作詞になるアルバムだった。1999年に出会った松本から「あなたの歌声には言霊がある」と言われ、また、松本氏の「別れた亭主の名前をいつまでも付けているから売れない」との助言を受けて、姓を取って現在の「クミコ」に改名した。
レコード会社から予定されていた収録済みのデビュー盤はボツになり、挫折を味わい、その後も長い間、小さなスペースで少数の熱心なファンや永六輔などの支援者に支えられながら歌い続けた。ホール・コンサートがメインの活動となるのは2003年秋以降である。
2002年11月、さらなる大きな転換点としてavex io移籍後の初アルバム「愛の讃歌」に収録された、バルバラのシャンソンに詩人の覚和歌子が原詞を離れて作詞した「わが麗しき恋物語」という曲。
2003年9月、ニッポン放送の上柳昌彦アナが「うえやなぎまさひこのサプライズ!」で取り上げたり、ラジオやテレビの番組で紹介されると、偶々聴いて涙してしまったと評判が広まり、急きょシングルカットされたのであった。
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2004年11月「わたしは青空」(作詞: 覚和歌子、作曲: 三木たかし)、2005年11月「さよならを 私から」(作詞: 覚和歌子、作曲: 荻原慎太郎・佐々木聡作)、2006年3月「ハウルの動く城」メインテーマ曲の「人生のメリーゴーランド」(作詞: 覚和歌子、作曲・久石譲)などの話題作が続いた。
2007年2月、「十年 〜70年代の歌たち〜」をリリース。イッセー尾形・江國香織・大石静・残間里江子・椎名誠・立木義浩・筑紫哲也・弘兼憲史・藤原美智子・吉永みち子たちが選出した“クミコに歌わせたい思い出の70年代の歌たち”10曲をクミコ流の解釈で表現。また中島みゆき書き下ろしの「十年」も話題となった。
7月、それまでの集大成となる「コンプリート・クミコ・ボックス〜二十五年〜」をリリース。絶版になっていたかつての音源も復刻された。
9月、映画「エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜」公開に合わせて「クミコ meets ピアフ」をリリースし、エディット・ピアフの歌を本格的に取り上げた。
2008年3月、「友よ! 〜あの出発ち(たびだち)を“青春”と呼ぼう〜」をリリース。1970年代中心の男歌10曲をカバー、福岡の同世代の主婦・智子がクミコに提供した新曲「ブラボー!」も収録されている。
2009年2月、手紙の朗読と歌で綴る舞台『ミュージカル仕立ての歌語り「届かなかったラヴレター」Vol.1』をミュージカル俳優・井上芳雄と二人で共演した。同公演に合わせて新曲「届かなかったラヴレター」と「車輪」(デュエット曲)が、作詞・覚和歌子、作曲・三木たかしによって作られた。同曲は2009年5月11日に亡くなった三木たかしの遺作となった。
2009年-2012年、NHKラジオ深夜便「特集・ロマンチックコンサート」で不定期のゲストパーソナリティー。
2010年2月、「届かなかったラヴレター」コンサートを開催(渋谷オーチャードホール、井上芳雄・徳光和夫・上柳昌彦と共演)。同時にミニアルバム「届かなかったラヴレターソングブックをリリース。
ニューシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースしTwitterとのコラボレーション企画 "「INORI〜祈り〜」プロジェクト "を立ち上げた。広島平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデル・佐々木禎子さんと甥・滋さんが平和への想いを綴った歌で、クミコに歌って欲しいと申し出た。4月、「週間HIT 演歌/歌謡曲 USENチャート」で1位になった。
そして遂に念願の「NHK紅白歌合戦」出場を叶えたのだ !!
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2011年4月、NHKラジオの長寿番組「ラジオ深夜便」の「深夜便のうた」で新曲「合歓の孤悲」(ねむのこい)が採用された。
2011年3月11日 コンサートで石巻に訪れた際、東日本大震災に遭遇し被災。石巻市民会館におけるコンサートのリハーサル直前で地下控え室にいた。津波が押し寄せて来る中でホール近くにある裏山へ必死に避難し命からがら助かったことをブログやインタビューで明らかにしている。機材は全て失われ身一つで日本海側経由で東京に戻ったと言う。
2012年10月~2017年3月、ニッポン放送「クミコの笑顔で乾杯」レギュラー出演。
2013年、日本コロムビア・レコードに移籍。同社はかつての歌謡曲版権を数多く保有しそれを取り上げ自由に歌う(録音して発表する)ことができるからだ。
2014年7月、NHK連続ドラマ「花子とアン」「マッサン」で劇中に流れ話題となっているスコットランド民謡「The Water Is Wide」の日本語版「広い河の岸辺〜The Water Is Wide〜」 (訳詩: 八木倫明、編曲: 栗山和樹) をリリースし"希望の歌"としてロングヒット中。合唱バージョン (合唱指揮: 辻秀幸、合唱: 東洋英和女学院OG有志、その他のバージョン) も唄われ広がりをみせている。
2015年3月、戦後70年のメッセージソングとして「先生のオルガン」( 訳詞:古賀力、作詩・作曲: シャルル・トレネ、編曲:フェビアン・レザパネ) をシングルリリース。
9月、NPO法人日本子守唄協会創立15周年記念歌として作曲・プロデュース: つんく、作詞: 協会会長・湯川れい子、編曲:前嶋康明の「うまれてきてくれて ありがとう」をリリースし、 2015年レコード大賞作曲賞を受賞した !!
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2016年3月 7回忌を偲んだ三木たかし未発表曲「純情」(作詩: 友利歩未、編曲: 周防泰臣) をリリースすると、発売前からUSENでリクエストが殺到。
9月、松本隆とのプロジェクト「クミコwith風街レビュー」第1弾が、秦基博やハナレグミの永積崇が作曲を担当するという豪華な作曲家陣とのコラボ--「さみしいときは恋歌を歌って」(作詞:松本隆、作曲:秦基博、編曲:冨田恵一)、「恋に落ちる」(作詞:松本隆、作曲:永積タカシ(ハナレグミ)、編曲:冨田恵一)---に加え、
2017年11月、松本隆の紫綬褒章受章のトピックスもあり大きな話題となった。
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