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1月7日は「七草粥の日」「千円札の日」

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星野仙一氏が亡くなった。

私より1才年上の享年71(満70才)。

この御方は、私が巨人ファンだった若い頃には国鉄の金田とともに中日のエースで巨人キラー、私がオリックスファンになった頃には(阪神⇒サムライジャパン⇒)楽天の監督となって、何かと敵方にいらっしゃった。

ところが実は、私の顔が御方によく似ていると夜の酒場ではしばしば言われたもの。そればかりか、大阪へ出張する度に電車の中や駅の構内で、ギャルにひそひそと・・・。そのうち本人も意識し始めてしまい、新大阪に着くや周囲を・・・。

リタイアしてからの私は、引き続き輝いていらっしゃった御方に比べて、年々みすぼらしくなっていたように思う。

なのに、先に逝ってしまわれ、ただただ寂しい。

 

<追記> 20180107 7:30頃

 

南西の空 下弦の十九日月が沈みつつ。

南東の空 巻層雲が広がる。

 

 

*

 

 

七草、言える?

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1月7日(日)

■「七草粥」 (「七種粥」、ななくさがゆ)
 
毎年頂いている。今年も散歩の終わりにスーパーに寄って購入した。
 
 
□ 関連ブログ

 

 

 

□ 「セリナズナ ゴギョウハコベラ ホトケノザ スズナスズシロ これぞ七草」(左大臣・四辻善成の歌)で覚えられる。
 
「春の七草」とは以下の7種類である。

分類    名前  現代の表記            
---------------------------------------------------------
セリ科     芹    せり      (別名・白根草)    
アブラナ科 薺      なずな  (別名・ぺんぺん草)    
キク科    御形   ごぎょう(別名・母子草)
ナデシコ科 繁縷  はこべら(別名・はこべ)
キク科    仏の座 たびらこ(田平子、シソ科のホトケノザとは別物)
アブラナ科 菘     すずな  [別名・蕪(かぶ)]
アブラナ科 蘿蔔  すずしろ(別名・大根]
----------------------------------------------------------
 
 
□ 「春の七草」を刻んで入れた「七草がゆ」を作り、今年の邪気を払い無病息災を願ってお呪(まじな)いとして食べる。

石川県の田園地帯に生まれ育った頃は、家族で七草狩りに出掛けたものだった。今や、食材の「春の七草」はスーパーのセットを買う。

七種は、前日の夜、俎(まないた)に乗せ囃(はや)し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。呪術的な意味ばかりでなく、おせち料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能がある。


□ 「人日」(じんじつ)

古来中国では、正月の1日を鶏(ニワトリ)の日、2日を狗(イヌ)の日、3日を猪(イノシシ)の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。
 
そして、7日目を人の日として、犯罪者に対する刑罰は行われないことにした。
また、7種類の野菜を入れた羹(あつもの)を食べる習慣があり、
 
これが日本に伝わって「七種粥(七草粥)」となった。日本では平安時代から始められ、江戸時代より庶民に定着した。
 
 
□ 昨日1/6(土)午後の散歩中、
「東京都復興記念館」(墨田区横網2-3-25)の玄関に生けられていた「春の七草」を
再掲。
 
 
<追記>

我が家の七草粥 20180107 7:44



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■ 「千円札の日」

初の千円札は1945年に流通開始した日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の肖像のものであったが新円切替により1946年に失効していた。
1950年1月7日、1946年の新円切替後初の千円紙幣「B号券」が発行され、肖像画は聖徳太子であった。


□ 甲号券

表面: 日本武尊と建部神社(滋賀県大津市)、裏面: 彩紋
1945年8月17日~1946年3月2日(半年)


第二次世界大戦後は、紙幣を発行する権限が大蔵省から日本銀行へ移管されるため、その直前に形式的に大蔵省が発行を宣言したが、甲号券はそんな事情で発行されたため日銀に死蔵された。その直後に改めてインフレ金融緊急措置令などの新円切替に伴って失効した。


□ B号券

表面: 聖徳太子、裏面: 法隆寺夢殿
1950年1月7日~1965年1月4日(15年)


高度経済成長期とともに流通した。私の2才~17才(高2)の時期であり、高額紙幣の感覚だった。

大規模な偽札事件はコードナンバーが付けられる。千円札はチ-、五千円札は利-、一万円札では和-。尚、二千円札については現在のところ大規模な偽造が発覚していないためコードナンバーが公表されていない。
このB号券(聖徳太子の千円札)は、「チ-37号事件」(※)という偽札未解決事件により、紙幣の権威と信頼の維持のため肖像を伊藤博文に変更した新千円紙幣(C号券)を発行した。

(※)1961年12月、日銀秋田支店で発覚。1963年までに343枚発見された。警視庁刑事部捜査第三課が捜査するがチ-37号は巧妙化して行った。真券との差異が報道される毎に偽札の精度が高く改良された。1973年11月に公訴時効が成立し捜査打ち切りで迷宮入りとなった。チ-37号は "日本の偽札史上、最高の芸術品"!? と言われている。


□ C号券

表面: 伊藤博文、裏面: 日本銀行本店
1963年11月1日~ 1986年1月4日(22年)

 
元々は越前國で生まれた和紙の「黒透(くろす)かし」と呼ばれる特殊な透かし技法を、偽造防止のために採用し、以降、現在の紙幣に至るまで採用継続されている。この技法によって、一般的な透かしとは逆に透かしの部分を厚く漉(す)き上げることができ、絵画のような濃淡グラデーションを表現することが可能となっている。

「東京オリンピック1964」による好景気~昭和末期のバブル経済期とともに流通した。私の16才(高1)~39才(企業戦士)の時期であり、最もお世話になった紙幣だった。


□ D号券

表面: 夏目漱石、裏面: 丹頂鶴
1984年11月1日~2007年4月2日(22年半)


平成バブル経済期~バブル崩壊期とともに流通した。私の37才~59才(管理職⇒定年扱い⇒再就職)の時期であり、千円札の価値が下がるばかりだった。


□ E号券

表面: 野口英世、裏面: 逆さ富士(本栖湖からの富士山の眺め)と桜
2004年11月1日~(現在のところ13年)


私の57才(再就職)~現在==70才(シルバー)の時期であり、再び千円札の有難味を感じ入っている。
年々、カラーコピー機が高精度となっており、危険との背中合わせに在る。
 

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