12/26(火)も冬型天候で寒風の日が続いた。
都区内
12/26(火)晴れ、気温:最低3.6/最高12.6℃、湿度43%、北北東の風4m/s
12/25(月)晴れ、気温:最低5.4/最高15.0℃、湿度36%、北西 の風5m/s
午前中、年の瀬の神楽坂~富士見~三崎町~本郷一丁目の神社を訪れた。
この辺りは区界が入り組んでいる。
神楽坂・・・新宿区 ・・・飯田橋駅・牛込神楽坂駅・神楽坂駅
富士見・・・千代田区・・・飯田橋駅・九段下駅
三崎町・・・千代田区・・・水道橋駅
本郷一・・・文京区 ・・・水道橋駅・後楽園駅
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都営地下鉄大江戸線・上野御徒町から牛込神楽坂駅へ。
昨年末のリブログ
その他関連ブログ
冬の神楽坂~富士見台を歩く(2014-12-24)
■ 「赤城神社」 (通称「牛込総鎮守」、新宿区赤城元町1-10)
1300年、牛込早稲田の田島村に創建。1460年、太田道灌により牛込台に遷座。1683年、江戸幕府により江戸大社に列するが、1842年、社殿が全焼。1868年、明治維新に際し「赤城神社」と改称した。
□ 境内社の「出世稲荷神社」
□ 境内社 「蛍雪天神」
2005年、戦災で焼失していた境内社「北野神社の菅原天神」を、旺文社によって「蛍雪天神」(蛍雪時代に由来)として再興。
■「筑土(つくど)八幡神社」 (別称「筑土八幡宮」、新宿区筑土八幡町2-1)
9世紀前半、藤原秀郷らによって討たれた平将門の生首を納めた首桶を、密かに武蔵国豊島郡上平河村津久戸(現在の千代田区大手町付近)の観音堂に祀って「津久戸明神」と呼称したことに始まる。15世紀後半、扇谷上杉家によって社殿が建てられた。
1616年、隣接して江戸城田安門付近に在った「田安明神」が遷座したため、「津久戸明神」の方は、戦後1945年、九段に再び遷座し「築土神社」(千代田区九段北1-14-21)と改称。さらに1954年、九段中学校建設のために現在地に遷座したのである。
神社裏に住んでいた作曲家・田村虎蔵氏の「金太郎」歌碑。氏は「浦島太郎」「一寸法師」「花咲か爺」なども作曲した。
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散歩しながら神楽坂を下って、JR総武線・飯田橋駅前の富士見へ。
■ 「東京大神宮」 (千代田区富士見2-4-1)
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今日は「縁結びの日」。縁結びのスポット行ったことある?【ブログネタ】(2016-11-05)
1880年、東京における伊勢神宮の遥拝殿として、有楽町の大隈重信邸跡に落成した皇大神宮遙拝殿が起源、「日比谷皇大神宮」と称された
関東大震災後の1928年、現在地に移ってからは「飯田橋大神宮」と呼ばれ、戦後は「東京大神宮」と改称した。
出典 http://www.tokyodaijingu.or.jp
九代目市川団十郎が信仰。神前結婚式はアターブル松屋が運営し「東京大神宮マツヤサロン」の名称を用いている。
JR総武線・飯田橋駅から水道橋駅へ。
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■ 「金刀比羅神社」(正式名称「讃岐金刀比羅宮東京分社」、文京区本郷1-5-11)
1819年、江戸における高松藩主松平家の私祭祠宇として創建。1888年、「金刀比羅宮境外末社」と改称し神田区和泉町~1893年に深川区古市場に遷座し「深川のこんぴらさん」として親しまれていた。
しかし戦災で焼失。1956年、再び元高松藩主松平家より寄進された現在地のJR水道橋駅前(文京区本郷1丁目)に再建した。
□ 境内社の「水道橋稲荷神社」
□ 「宝生能楽堂」(本郷1-5-9)
ここを訪れると加賀宝生のことが懐かしく蘇える。
学生時代に、我が映画研究会の向かいに宝生会のサークル部室があり、いつも尺八の練習をしていた。
■ 「三崎稲荷神社」(通称「三崎神社」、千代田区三崎町2-9-12)
1182年、神田山の山麓(現・駿河台の千代田区本郷1丁目)に三崎村総鎮守として創建したと推定される。1860年、水道橋に移転した。
三代将軍家光が参勤交代制度を定めた時より、諸大名にも参拝を促したため、参勤交代による江戸入りの際に参拝し身を祓い清めることが慣例となり「清めの稲荷」と称されていたという。
JR総武線の高架を挟んで、水道橋駅の反対側へ。
□ 後楽園風景
「東京ドームホテル」 (文京区後楽1-3-61)
が壁面に映ってモザイク模様を描いていた。
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今日のウォーキングは13,100歩と久々の大台越え。