1673年の今日、インゲンマメを中国から持ってきたとされる隠元禅師が亡くなったみたいだよ。
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1673年4月3日は、いんげん豆を日本に齎(もたら)したとされる隠元禅師が亡くなった命日。
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□ 隠元禅師
俗名・林曽炳(りん・そうへい)⇒林隆琦(りん・りゅうき)。
1592年12月7日、福建省福清県万安郷で生まれた。
29歳で、生地である福清県の古刹・黄檗山萬福寺で得度した。後に住職となった。
1654年7月5日、長崎へ来港した。
1661年、山城国宇治郡大和田に賜った寺地に、黄檗宗大本山萬福寺を開創した。
中国・明朝様式の美術・建築・印刷、煎茶・普茶料理、隠元豆・西瓜・蓮根(レンコン)・孟宗竹(タケノコ)などの食品、木魚などを齎した。
江戸時代における臨済宗・曹洞宗の戒律復興運動に貢献した。
1673年5月19日(旧暦・寛文13年4月3日)に京都府宇治市五ヶ庄の萬福寺松隠堂で死去した。
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■ インゲンマメ(隠元豆)
マメ目 Fabales / マメ科 Fabaceae / インゲンマメ属 Phaseolus
学名: Phaseolus vulgaris L. (Linnaeus リンネ)
英名: common bean
夏に白色やピンク色の花を付け、秋に長い鞘(さや)を付ける。
日本では北海道が主産地となっている。
古代から南北アメリカ大陸での主要作物。
ヨーロッパにはクリストファー・コロンブス(伊 Cristoforo Colombo, 1451年頃~1506年5月20日) の2度目の航海(1493年)の後に持ち込まれた。
16世紀、育てやすく食べやすい作物として栽培されるようになり、特にギリシャなど地中海沿岸地域ではソラマメのように中毒にならない健康に良い豆として受け入れられた。
16世紀末、ヨーロッパ経由で中国に伝わった。
1654年、中国・明朝からの帰化僧・隠元禅師が日本に持ち込んだ。
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我が家では若い鞘(サヤインゲン)を煮て食べる。