3/23(木)「お彼岸明け」は朝から冬型の晴れた日で、
墓参り。
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午後は、東京新聞3/18(土)の「東京どんぶらこ」#764「碑文谷(目黒区)」を参考にして散策した。
JR上野-東京ラインで品川駅⇔山手線で渋谷駅⇔東急東横線で都立大学駅(往路き)・学芸大学駅(帰路)。
平町1丁目⇒碑(いしぶみ)さくら通り: 碑文谷3丁目。
■「すずめのお宿緑地公園」(目黒区碑文谷3-11-22)
孟宗竹(モウソウチク)の竹林が多く筍(たけのこ)産地。
1981年に開園。
三毛猫の出迎え。
園内に、目黒区古民家・・・旧・東京府荏原郡碑文谷村+衾(ふすま)村⇒碑衾(ひぶすま)村に在った江戸中期建築を移築・復元。
園内に、諸喝采(ショカッサイ、通称・ハナダイコン)の群生。
■「碑文谷八幡宮」(碑文谷3-7-3)
かつての碑文谷村の鎮守様。境内社: 稲荷社。
桜の時期になると一の鳥居~二の鳥居が桜の花で溢れる。
今週末からの桜まつり準備に余念がない。
10輪ほど開花していたよ!!
「碑文石」(左奥)・・・呑川(のみかわ)の川床の石。
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■「目黒星美学園小学校」(碑文谷2-17-6)
右手にサレジオ教会。
1954年、聖ドン・ボスコによる聖母会により創立。
一帯は美観。
■「サレジオ教会」(碑文谷1-26-24)
1954年、"江戸のサンタ・マリア聖堂"としてサレジオ会により建立。
正式には「カトリック東京大司教区碑文谷教会」と、36m余の鐘塔を備えたロマネスク様式の大聖堂。
1985年6月24日に神田正輝と松田聖子が、1993年8月1日に当時のヴェルディ川崎キャプテン・三浦知良と設楽りさ子がそれぞれ挙式した。
■「旧・日本オリベッティ」[碑文谷1-20-10。1961年に設立
⇒1985年に東芝が出資⇒2000年に「ジェトロニクス・オリベッティ」
⇒2007年から現在のNTTデータ・ジェトロニクス(千代田区内幸町1-1-7 NBF日比谷ビル7階)]
■ 天台宗経王山文殊院「円融寺」(碑文谷1-22-22)
(伝)853年、円仁(慈覚大師)が「法服寺」として建立。1283年、日蓮の弟子・日源により日蓮宗に改宗し妙光山「法華寺」と改称。
徳川幕府の弾圧により1698年、天台宗に改宗し、1834年に「円融寺」と改称。
都区内最古(室町初期の14世紀半ばに建立)の木造建築「釈迦堂」・・・重要文化財(国指定)。
山茱萸(サンシュユ)、奥に椿。
サレジオ通り
日向水木(ヒュウガミズキ)が街路沿いに植えられている。
雪柳と共に美しい。
サレジオ通りを目黒通りに向かって進んでいたところ、向こうから羽織袴姿の卒業式を終えた女子大生らしき妙齢の女性が次第に近づいて来た。
目が大きくて私好みの女性(笑)。私はカメラを向けたかったが当然に断られるので思い止まったが、擦れ違う際に僅かなアイコンタクトがあった。
私は心の中で「ご卒業おめでとうございます」と呟いた。
■ 旧「ダイエー碑文谷店」(碑文谷4-1-1)
サンウエーブ工業の工場⇒経営破綻⇒横井英樹率いる「トーヨーボール」
⇒1975年、中内功率いる「ダイエー碑文谷店」「碑文谷ショッパーズプラザ」
日本有数の大型スーパー、SCの奔り。かつての碑文谷のランドマーク。
私も1970年代のサラリーマン新人時代~80年代に継続して、前述の日本オリベッティと関わっていたため、
目黒通りの都営バスで長嶋茂雄選手引退セレモニー(1974年)をラジオで聴き、山口百恵の日の出女子学園・目黒消防署付近の実家(彼女は1980年に引退、三浦友和と結婚)、神田正輝と松田聖子のサレジオ教会挙式(1985年)、などの話題性を孕んだ地域だった。
ダイエーを見ると左折し、サレジオに向かうとその手前に瀟洒(しょうしゃ)なオリベッティが在った。
2016年、イオンリテールによる「イオンスタイル碑文谷」。
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⇒目黒通り: 柿の木坂陸橋⇒環七通り
⇒東横線に沿って北上⇒碑文谷6丁目。
■「碑文谷公園」(碑文谷6-9-11)
1933年に東京市が開園。1950年に目黒区へ移管。
「弁天池: 厳島神社」・・・その昔は荏原郡碑文谷村の水田灌漑用溜池"三谷の池"。清水池公園に在る"清水池"と共に立会川の水源になっている。
ハト1羽だけの参道。
ここにも桜の下に諸喝采。
まもなく開花。
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この日のウォーキング12,300歩と大台突破。