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寒緋桜の「荏原神社」「品川神社」など北品川寺社めぐり~天王洲アイル

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1/20(金)、東京新聞に「荏原神社」の寒緋桜が開花しているとの報道があったので、
この際、品川区の「東海七福神」などを巡った後、久しぶりに天王洲にも行ってみようと出掛けた。


 

☆ 旧品川町の「東海七福神」

 

大黒天・・・「品川神社」(品川区北品川3-7-15、京急北品川駅or新馬場駅)
布袋尊・・・「養願寺」 (北品川2-3-12、京急新馬場駅)
寿老人・・・「一心寺」 (北品川2-4-18、京急新馬場駅)
恵比寿・・・「荏原神社」(北品川2-30-28、京急新馬場駅)

 

毘沙門天・・・「品川寺」(南品川3-5-17、京急青物横丁駅)
福禄寿・・・「天祖諏訪神社」(南大井1-4-1、京急立会川駅)
弁財天・・・「磐井神社」(大森北2-20-8、京急大森海岸駅)

 


JR上野東京ラインで品川駅乗り換え、京急新馬場駅で下車。

 


「品川神社」 (北品川3-7-15)

 

 

 

安房國の洲崎神社(洲崎明神)から1187年に勧請・創建した海上交通安全祈願の女神・天比理乃咩命(天比理刀賣命)、
1319年に勧請した五穀豊穣祈願の女神・宇賀之売命(宇迦之御魂神、稲荷)、

1478年に勧請した男神・須佐之男命(素盞嗚尊、牛頭天王と習合)。

 

社殿、紅梅

「東京十社」の案内、ボケ

 

「東海七福神」の大黒天。

石段脇に黄緑の梅(月影?)、

             メジロ↓                       

 

富士塚と浅間神社。


社殿の裏庭に板垣退助の墓所。  「板垣死すとも自由は死せず」の碑↓

 


■ 臨済宗大徳寺派萬松山「東海寺」 (北品川3-11-9)

 

1639年、徳川3代将軍家光が但馬國出石(現・兵庫県豊岡市)の沢庵宗彭を招聘(住職・沢庵和尚)して創建。

 

仏殿「世尊殿」、梵鐘

白梅

 

大山墓地の方は閉まっていて、沢庵和尚・賀茂真淵・渋川春海、そして島倉千代子らの墓所は見れなかった。

 

 

*

 

 

■ 臨済宗大徳寺派「清光院」 (南品川4-2-35)

 

1650年、肥後國熊本藩支藩の国字土藩主・細川行孝が建立。東海寺の塔頭⇒明治維新以後に独立。
日本庭園。

奥平家(豊前國中津藩主)、永井家(摂津國高槻藩主)などの墓所。
 

 

 

■ 曹洞宗瑞雲山「天龍寺」 (南品川4-2-17)

 

越前福井藩の第3代藩主・松平忠昌の母・清涼院が開基。

一庭氷見和尚が1582年に創建、後に下谷に功徳山天龍寺(出張所として)。

 

京浜工業地帯における工場跡の赤煉瓦(レンガ)塀が今も遺されている。

 

ロウバイ


 

 

■ 黄檗宗(おうばくしゅう)瑞雲山「大龍寺」 (南品川4-2-16)

 

1463年、時宗寺院の明王山「東光院」として創建したが衰微。

1703年、黄檗宗寺院として復興。

 

ここにもロウバイる

左の花の名前は不明、右下は白梅・紅梅。

 

 

*

 

 

「荏原神社」 (旧称「品川貴船社」「貴布禰(きぶね)大明神」など。品川区北品川2-30-28)

 

目黒川の「天王洲南運河」が旧・東海道と交差する「品川橋」。

 

 

女神・・・豊受姫之神(豊宇気毘売神)、天照皇大神。
男神・・・須佐男之尊(素戔男尊。牛頭天王)、高龗神(淤加美神、タカオカミノカミ。水神=龍神)、手力雄之尊(天手力男神、タヂカラオノミコト)。


709年、大和國「丹生川上(にうかわかみ)神社」(雨師明神、現・奈良県吉野郡東吉野村大字小968)より高龗神の勧請を受け創建。
1029年、「伊勢神宮」より豊受大神・天照大神を勧請。
1274年、京都「祇園社」(八坂神社)より牛頭天王を勧請。
1875年、「品川貴船社」から「荏原神社」に改称。

 

 

1月上旬~2月上旬、御神木の寒緋桜2本。小さいメジロとそれを蹴散らす大きいヒヨドリ。

 

                   「東海七福神」の恵比寿↑

 

本殿のガラス戸にも寒緋桜が映えている。

 

6月初旬、例大祭「天王祭」・・・天王洲沖で神面(牛頭天王)をつけた神輿が海に入る「御神面神輿 海中渡御」が行われる。「天王洲」の地名はこれに因む。
9月、「貴布禰祭」。

 

午前中なので、私のような年齢のカメラマンが多かった。

 

 

 

□「六行会」 (りっこうかい、北品川2-32-3)

 

1994年、品川区と協力して新ビル建設、「区立図書館」、「六行会ホール」「荏川(えがわ)倶楽部」 (品川宿六行会寄席など の事業体) を新設した。

江戸幕末の頃、南品川宿は東海道第一の宿場として賑わい、住民は宿場の仕事で繁忙を極め自分たちの家事に従事することもままならない。それを互助するとともに凶年や不慮の災害時に対応できるよう地主たちが基金の積立てを始めた。

 

私は再就職したミレニアムの頃、このビルに入居していたシステム会社に出入りしていたことがある。

 

 

裏庭に---

■ 「稼穡(かしょく)稲荷社」 (「荏川稲荷」、北品川2-32-3)

 

御神木のイチョウ(樹齢600年超)は、品川区天然記念物に指定。

 


■ 浄土宗臨海山遍照院「法禅寺」 (北品川2-2-14)

 

1390年に開山。

石造の供養塔「板碑」(秩父産の緑泥片岩=青石)・・・品川宿には農村などから流浪し附近で病や飢餓で倒れる人々が多く、法禅寺と海蔵寺に葬られた。
東海三十三観音霊場として布袋尊(品川区の東海七福神には入らない)。

                                                                      ↓


 

 

□ 境内社(習合)として「杉森稲荷」

 

兄弟ネコか?

 


■「一心寺」 (北品川2-4-18)

 

「東海七福神」の寿老人。1855年、井伊直弼により開山。

 

 

 

■「養願寺」 (北品川2-3-12)

 

「東海七福神」の布袋尊 (弥勒菩薩の化身、円満の神様)。

1299年、虚空蔵菩薩 (明けの明星・金星の化身、智慧・福徳の仏様)。 

 

隣接の「正徳寺」墓地の紅梅も見える。

 

 

*

 

 

☆ リブログ 

 

 

☆ 関連ブログ 

「しながわ花海道」を行く。コスモスがきれい!!(2016-09-10)

 

 


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山手通り⇒海岸通りへと進む。

 

この辺りは運河域であるとともに倉庫街密集域でもある。

1990年代後半~2000年代に、音楽のネット配信、放送のデジタル網などマルチメディア化実験ハウスがロケートしていた。

 

 

□「テレビ東京天王洲スタジオ」 (東品川1-3-3)

 

天王洲橋⇒新東海橋(天王洲運河を渡って、品川埠頭方面へと進む)

 

 

□ 「寺田倉庫G1ビル」(東品川2-6-10)

 

デヴィッド・ボウイ大回顧展「DAVID BOWIE is」・・・2017/1/8(日)~4/9(日)

 

 

バブル経済末期の東京臨海副都心(ウォーターフロント)開発プロジェクトの一環・・・

 

 

■「天王洲アイル」 (三菱商事の再開発プロジェクト、1992年完成)

 


□「シーフォートスクエア」(東品川2-3-10~16)

シーフォートは"海の砦"の意で、第四台場跡地を指す。

 


「東京フロントテラス」(東品川2-3-14)・・・センタービルディング、JTBビル。

 

「シーフォートタワー」 第一ホテル東京シーフォート(東品川2-3-15)。

 

「天王洲銀河劇場」(東品川2-3-16)。

 

 

□「スフィアタワー天王洲」(東品川2-2-5)

遅いランチを「讃岐製麺 麦まる」で摂った。掻き揚げ天うどんが旨かった。

 

 

 

■ 帰途は、「東京モノレール羽田線」天王洲アイル駅 (東品川二丁目、1992年開業)、

JR浜松町駅から京浜東北線で上野駅まで。

 

                 

            モノレール↓

 

モノレール車中からレインボーブリッジを写す。

 

 

今日は14,900歩と行き過ぎた。明日は休もう。

 


 


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