SF界の鬼才・宮内悠介氏(37歳)の創作
「半地下」
文芸誌初小説となる書き下ろし中編(150枚)私小説。2001年(22歳)頃の作に加筆。
文藝春秋「文學界2016年2月号」(発売2016年1月)のp10~p57。
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★ 日本語と英語、少年と青年、生と死 --- 何もかもが混沌としたボーダーライン。
主人公・祐也(ユーヤ)の人格を形成して行くのは、数々のズレ。
これらズレを描き切ることこそ、芸術表現なのだ。
◇
【「半地下」 あらすじ】
なぜ、彼が海を渡ったのかといえば「運送屋の社長だった父が或る時、大きな借金を作り、姉と僕を連れてはるばるニューヨークまで逃げて来た」からである。
その父親はすぐに(5歳の時)、失踪してしまい、アップタウンの狭いアパートに姉と弟だけが残される。
幼少から少年期までをアメリカ・ニューヨークで過ごした「僕」の、甘酸っぱくも残酷な少年時代の回顧譚。
主人公の祐也(ユーヤ)は、子どもの頃、ニューヨークで暮らしていた。アメリカでの主に小学校時代の話。語り手である主人公が回想するような形で進む。
覚え始めの日本語から、或る日突然に英語の環境へと移動させられた「僕」は、周囲の人々との関わり合いの中で少しずつ成長して行く。
*
小学校に通い始めた主人公は、慣れない英語が次第に上達し、友人もでき、夏休みのキャンプにも出掛けるようになる。
低学年の時にヤケに写実的な絵を描き続ける少年ユースケ。
「姉が見せ物にされ消費されることから救い出したい思いにかられ、突発的に鉄アレイをつかみ飛び出すとリングに這い上った。・・・ 僕の人生のおそらく最初で最後の計算のない怒りだった。なにかが狂っている。ヘンだ!この世界はヘンだ!」(p14-15)
生活は、女子プロレスラーとして働く姉・京(ミヤコ)の命懸けの稼ぎに支えられて行く。
姉はやがて個性的なレスラーになる。姉がプロレスラーとなって生計を支え始める。プロレスの興行師エディ・オーチャードが姉のことを気に入って二人を養育する。姉が成長した時、プロレスラーとしてデビューさせ彼女の生涯毎ショーとするためでもある。
女の子が殺す蜘蛛。親しくなったが虐待を受けていたことに何も気付けていなかった少女・ナオミ。
女の子が殺す蜘蛛。親しくなったが虐待を受けていたことに何も気付けていなかった少女・ナオミ。
フロストバレーでのサマーキャンプ、他の学校の子どもとの交流。
そこでは日本人の少年もいて、聖闘士星矢の話で親しくなったりする。
その時に出会った、ペンシルバニアの田舎のお嬢さん学校に通っている子が、時々、家出して来る。
レーガン政権の頃、ドラッグにノーをというキャンペーンが行われていた。ドラッグも普通にやっていた。
学校の模擬大統領選挙。そこで「ノー」と言ってしまったがために刺されて死んでしまったクラスメイトの少年のこと。
小学校でのナオミの虐待事件。
小学校でのナオミの虐待事件。
暴力もあり、子どもたちの大人びた感覚を掬い上げる。
「『二回死ねたらいいのにね。一回目に感覚をつかんでおくの。で、二回目にはうまくコントロールしながら、好きな男か誰かと一緒にいてさ、それで意識や自我が薄らいでいくなかで、<ああ、みんないる、ここにいる>とか適当なことを悟っちゃったりなんかしながら死にたい』・・・
打てば響くような反応を返してきたのはナオミだけだった。・・・僕はナオミにそばにいて欲しい。そのとき毅然とした人間らしい態度がとれれば、過程はどうあれ僕の一生はきっとそれでオッケーだ。」(p42)
「ここには表現があった。自分と世界との間にあるズレこそを、臆することなく描こうとしていた。だから僕は彼女の絵が好きだったのだ。」(p49)
時々、ふっと英語のセリフが紛れ込んだりもする。
時々、ふっと英語のセリフが紛れ込んだりもする。
「英語と日本語の混じり合った姉の混乱は、なにかエロスを感じさせもした。・・・まったくのノイズだ。・・・しかし、そこに入り込むことには意味があるように思えた。だから僕は死に瀕した姉の体験を擬似的に作ろうと思った」 「二重写しの世界のように、英語と日本語の意識が同時に立ち現れる。『ニルヴァーナ』」・・・涅槃。煩悩の火を吹き消した状態。カルマ(宇宙原理)の呪縛からの最終的な開放。(p53)
様々な人種が暮らす街は、貧困や幼児虐待、薬物の誘惑も、当たり前のように転がる。
見えないボーダーライン・・・言語・人種、性や生の境目の曖昧な感覚、この世とあの世の淡い感覚。それらが切なく描かれる。
*
姉・ミヤコが死んで、日本に戻ることになる。死んだ際の試合の映像はいまだにネットに残っている。
英語はもう使えなくなった。だけど、まだ夢の中で英語が出て来る。5歳から行っていたクセに、バイリンガルになれなくて頭の中は日本語だ。
大人に守られた温かな無垢に浸ることを許されなかった。帰国後、青年となっても、健やかな心を育めないで居る。
時間が経つに連れて一層、子供時代に捕らわれる。子どもと大人たちの間の「半地下」のような場所に閉じ込められている。
◇
【宮内悠介氏 略歴・著作】
1979年1月東京生まれ。37歳。
1983年(4歳)~1992年(13歳)までニューヨークに在住。その間も夏休み毎に日本に帰っていた。
1989年頃、DOS-BASICとの出会い。1991年(小6,11才)、MSX2+ を買ってもらい内蔵音源で作曲。
1992年、中1(13才)途中に帰国。東京都の区立中学校に転入。
1995年、早稲田の付属高校(練馬区上石神井の早稲田大学高等学院か?)。PC-9821、MSX TurboRネAmiga。小説を書き始めたのはWindows3.1に「メモ帳」が入っていたから。高校時代に新本格ミステリ(綾辻行人・法月綸太郎・麻耶雄嵩)を読み小説を書き始めた。
1998年、早稲田大学第一文学部英文科言語学(自然言語処理・3D処理)。
大学在学中はワセダミステリクラブに所属、後にOBで構成する2001年に結成された創作同人誌「清龍友之会」に参加。
2003年の卒業後は、インド・パキスタン・バングラディッシュ・アフガニスタン、イエメン・モカ・エチオピアなど約30カ国を放浪。帰国後、麻雀プロの試験に補欠合格、早稲田の古いゲームセンターでアルバイト。
2004~05年? ソフトハウスに入社し組込みのカーナビソフトなどのビジネスアプリのプログラマー(2年間)。ギターのエフェクターの組込み、WinもMacも。趣味ではNintendo DSや3Dアプリを書いてみたり・・・。
2010年、身体を壊してプログラマーの仕事を辞め、本格的なSF作家活動に入る。
■ アンソロジー「原色の想像力(2010年12月 東京創元社)に
短編「盤上の夜」を掲載。第1回創元SF短編賞で選考委員特別賞(山田正紀賞)を受賞。
短編「盤上の夜」を掲載。第1回創元SF短編賞で選考委員特別賞(山田正紀賞)を受賞。
宮内コメント
「SFとの境界作で、従来SFが培って来た回路のようなものを取り込んだ」 「題名はエラリー・クイーンの「盤面の敵」を、北村薫の「盤上の敵」をさらに踏まえている。ジャンル小説への眼差しと伝言ゲーム性のようなものの両方を示したかった」。
■ アンソロジー「NOVA 5 書き下ろし日本SFコレクション(2011年8月 河出文庫)に
「スペース金融道」を掲載。第43回星雲賞(日本短編部門)参考候補作。
■ アンソロジー「NOVA □ 書き下ろし日本SFコレクション(河出文庫)に
「スペース地獄篇」(2012/2), 「スペース蜃気楼」(2013/1), 「スペース珊瑚礁」(2014/10)などを継続的掲載。
■ 連作短編集「盤上の夜」東京創元社・単行本2012年3月を刊行し、SF作家デビュー。
第147回直木三十五賞候補。第33回日本SF大賞受賞。
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■ 連作短編集「盤上の夜」東京創元社・単行本2012年3月を刊行し、SF作家デビュー。
第147回直木三十五賞候補。第33回日本SF大賞受賞。
宮部みゆきの選評
△43「歴史ある種々の盤上ゲームに、人間は娯楽以上の何かを求める。その「何か」とは何だ?(引用者中略)そこに、そうしたゲームを生み出さずには進歩し得なかった人類の存在意義もあるのではないか。神の領域へとつながるものが見えるのではないか。小説を読みながらこんなことを考えるのは、ぞくぞくするほど愉しい経験でした。ただ、なにしろこれがデビュー作の宮内さんですから、直木賞という輝かしい栄冠の持つ重い責任を背負わせるのは、まだ申し訳ない気がしました。」
△43「歴史ある種々の盤上ゲームに、人間は娯楽以上の何かを求める。その「何か」とは何だ?(引用者中略)そこに、そうしたゲームを生み出さずには進歩し得なかった人類の存在意義もあるのではないか。神の領域へとつながるものが見えるのではないか。小説を読みながらこんなことを考えるのは、ぞくぞくするほど愉しい経験でした。ただ、なにしろこれがデビュー作の宮内さんですから、直木賞という輝かしい栄冠の持つ重い責任を背負わせるのは、まだ申し訳ない気がしました。」
伊集院静の選評
△34「大変興味深く読んだ。SFの分野からの候補作である点にまず期待感が増した。「人間の王」と「象を飛ばした王子」が秀逸の出来上りだった。」「しかし作者が力を注ぎ込んだと思われる巻頭、巻末の短篇は設定の奇異な点は仕方ないとしても勝負事は人間の業欲をいかに書き切るしかないと私は思っているので、その点が今ひとつ踏み込めてないと思った。」
■ 「ヨハネスブルグの天使たち」(ハヤカワ文庫JA 2013年5月を刊行。
再び、第149回直木三十五賞候補。第34回日本SF大賞特別賞受賞。
純SF作品が2度も直木賞候補になること自体が画期的であり、受賞はしなかったものの一躍注目を浴びた。
宮部みゆきの選評
◎86「DX9は、楽器として流通させるために〈歌う〉機能を持たされ、少女の外見をし、甘ったるい声で舌っ足らずにしゃべる量産型のロボットです。」「人間が神に問いかけるように、DX9が人間に、「かほどの試練を与えるならば、なぜ我らを創り賜うたか」と問いかけてきても、何の不思議もありません。」「その問いへの答えを、私は見出せませんでした。この作品は、答えを求めて読むものではない。「我々は何者で、どこへ行こうとしているのか」を考えるためにあるのです。直木賞にこういう受賞作があってもいい――むしろあるべきだと思いましたので、強く支持しました。」
伊集院静の選評
◎33「小説の可能性という点で(引用者中略)推した。」「テーマへの挑戦がまず大前提にあり、民族衝突、人種差別、テロリズム、格差社会といったテーマと日本人、日本という国家がどう関っているのかを近未来という設定で挑んだ点を私は評価した。」「全体は行きつ戻りつ手探りの感はあるが、私たちが安易に目指している社会が壊れるという予兆は描けていると思った。」
■ 「エクソダス症候群」(東京創元社・単行本2015年6月を刊行。
■ 「アメリカ最後の実験」新潮社「yom yom」2013年冬号~14年秋号(2016年1月)に掲載。
新潮社・単行本2016年1月を刊行。