外国人の友達いる?
▼本日限定!ブログスタンプ
太平洋戦争後の日本政府による外国への資金援助、
「政府開発援助 (ODA: Official Development Assistance)は、
1954年10月6日、ビルマ(現・ミャンマー)に対する賠償という形で開始した。
その後、アジア各国へと広げられ、1960年代の高度経済成長期に入ってから拠出額も増大の一途を辿った。
1964年、「経済協力開発機構」(OECD)に加盟。
1974年、「国際協力事業団」(JICA)設立へと発展。
1987年、外務省とJICAが10月6日を「国際協力の日」として制定。
■ 情報通信業界の海外協力
私は、1970年代後半のOAブームが始まった頃、オフコン(パソコン開発前)を韓国企業へ輸出する商談があり、研修生のお世話を指示された。
80年代前半になると、日本が得意な超小型の周辺端末装置の輸出に果敢に挑戦するようになって、欧米との国際商談が急増。超円高にも拘わらずである。
80年代後半に入り、将来のソフトウェア・クライシス(SE不足)に備え、基本ソフト生産性の向上(Σ計画)という通産省(現・経産省)の野心的な国家プロジェクトや、
アジア企業とのアプリソフト開発協力(海外外注)を指向するようになった。
その一環として、再び韓国企業の研修生受け入れ窓口を指示され、ソウルオリンピックが迫った初冬、初めて韓国に出張した。
業界挙げて国際交流が活発な時代が到来した。
90年代は、対米貿易摩擦を回避するための海外現地生産、インターネットの飛躍的な普及などに伴って、ますます外国人との交流が激しくなって行った。
*
■ お題 「外国人の友達いる?」
以上のように、現役サラリーマン時は何かと外国人との交流があった。
しかしながら私は、日本人でも密に交際する友達を作らないタイプだと思うし、
英語はじめ外国語には関心が強い癖に、
外国人とは尚更のこと親しい間柄を続けてはいない。