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8月19日は「俳句の日」。名句の研究。

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■ 8月19日は「俳句の日」「俳句記念日」。


「は(8)い(1)く(9)」の語呂合せから、俳句の楽しさ・奥深さ・季節感の大切さなどを知ってもらい、夏休み中の子供達にも俳句に親しんでもらうため、正岡子規研究家・俳人の坪内稔典氏らが提唱し、俳句作家の上野貴子氏が主宰する「おしゃべりHAIKUの会」(世田谷区三軒茶屋2-54-3-204) が1991年に制定した。


江戸時代に俳諧が流行し、松尾芭蕉(1644年~1694年11月28日)によって五・七・五の発句を重要視した。作品のうちでも有名な句として「古池や蛙飛びこむ水の音」[1685年「深川芭蕉庵」[杉山杉風(さんぷう)の生け簀(いけす)番屋を改造した草庵で詠まれ、「清澄庭園 内庭」(江東区清澄3-3) に句碑がある] などがある。


明治時代に正岡子規(1867年10月14日~1902年9月19日)によって近代の俳句が確立された。作品のうちでも有名な句として「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」[1895年「東大寺」近くの宿で詠まれた。「法隆寺 鏡池」(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1) に句碑がある] などがある。


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□ 俳句の歴史(補足説明)


俳句は、季語及び五・七・五(十七音)を主とした日本が生んだ世界最短の定型詩。
和歌や俳諧連歌(連句)の発句 (ほっく、季語・切れ字・完結表現性) から生まれた。
江戸時代前期の17世紀に、松尾芭蕉が芸術性を高めた。
明治時代中期1893年に、正岡子規が『芭蕉雑談~連俳非文学論』を発表し、「発句は文学なり、連俳は文学に非ず」と述べ、俳諧から発句を独立させた。これ以降「俳句」という語が広まった。尚、俳句を詠む(作る)人を俳人と呼ぶ。


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□ 季語


俳句にとって季語は大きな役割があるが、それについて様々な意見がある。

有季派 (季語絶対派)・・・ 季語を必ず入れなければならない。
季感派 ・・・ 季語よりも季感 (季節感) が大切。
無季容認派 ・・・ 無季でもよい。
無季派 ・・・ 無季によって旧来の俳句的情趣を打破する。


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□ 川柳


江戸時代中期の柄井川柳(からいせんりゅう、1718年~1790年10月30日) が、選んだ句の中から『誹風柳多留』(はいふうやなぎだる、1765年に刊行)が人気を博し、これ以降「川柳」という名前が定着した。「穿(うが)ち・可笑(おか)しみ・軽み」という3要素を主な特徴とし、心の動きや人情の機微を表現した句が多かった。

俳諧連歌の発句が独立した俳句と違い、発句の性格を継承していない。

季語がない。
切れ(字)・・・や・かな・けり・なり・ぞ・がも etc.・・・がなく、一句一姿である。 
自分の思いを直截的に言い切るため、俳句と違い余韻を残さない。


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□ お題「〇〇や、ああ〇〇や、〇〇や」
 

 

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☆「松島や ああ(さて)松島や 松島や」という有名な「無季俳句」は、芭蕉の作ではなく、江戸時代後期の狂歌師・田原坊(たわらぼう)の作だとされている。

 訳⇒ 松島という所は何と表現したらよいのだろうか。本当に松島は・・・。

芭蕉が絶景に圧倒され絶句した気持ちを、後世の狂歌師・田原坊がパロディ風に詠んだ句が『松嶋図誌』(1888年、桜田周甫)に掲載された。


それではどんな句を詠んだのか?


「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」『おくのほそ道』1689年5月9日、旅に随行した門人・河合曾良

 訳⇒ 松島の絶景に相応しく、鳴いている杜鵑(ほととぎす)よ、鶴の毛衣を借りて優雅に鳴き渡れ。


「島々や千々にくだきて夏の海」1689年(5月9日頃?)、松尾芭蕉・・・『おくのほそ道』に掲載しなかったが、後に『蕉翁句集』服部土芳・編に掲載された。

 訳⇒ 神が大地を刻んで散らしたかのように、大小無数の島々が紺碧に輝く夏の海に浮かび、島々には岸打つ波が白く砕け散っている。


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▽ 私の好きな俳句


「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」 『海南新聞』1895年11月8日、正岡子規

 訳⇒ 柿が大好物の子規が、奈良・法隆寺近くの茶店で下女の持って来た御所柿(大和名産)を食べていると、東大寺の初夜(戌の刻==午後8時~10時)を告げる鐘の音が響いて来たよ。

この句は、日清戦争に記者として従軍後に脊椎カリエスで喀血した子規が、実のところ前夜の東大寺近くの宿 [對山楼(たいざんろう)] で詠んだのだったが、柿の詩的情景には重々しい東大寺 (大仏殿==国家鎮護イメージ) よりも法隆寺 (斑鳩==万葉の里イメージ)  が似つかわしいと、改変したものと思われる。

NHK『歴史秘話ヒストリア #25 友よ泣かずに笑へ~正岡子規 闘病を支えた絆~』(2009年初放送)

 




「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」『海南新聞』1985年9月6日、夏目漱石 

 訳⇒ 鐘を撞(つ)くと、銀杏がはらはらと散るよ、ああ秋だなあ。

この句は、松山中学赴任中の親友・漱石が、少し前に鎌倉・建長寺で詠んだ句。子規は何かに就けて励ましてくれる漱石に、俳句では師として返礼がてら詠んだものと思われる。

 

 


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