2016年の「白露」(はくろ)は、9月7日。
仲秋は、旧暦の8月。新暦では白露(今年は9月7日)から寒露(今年は10月8日)の前日まで。
白露では、仲秋の初日で秋の気配が感じられ始める。
【注】 中国の陰陽五行説では、白龍・白秋と言うように秋の色は白。
日中は未だ暑さが残ってはいるが天は段々と高く見えるようになる。
朝夕は次第に涼しく感じられ、夜間に大気が冷え込むと朝露が草花に宿るようになる。
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掃除は好き?
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9月7日を「ク(9)リーナ(7)ー」の語呂合せで、メガネクリーナー製造会社「(株)パール」(江東区冬木20-15)が、「クリーナーの日」と定めた。
■ 掃除の記憶
私の母も、そして父もキレイ好きだった。
明治・大正人間までは日本のどの家庭も日本人の美徳の一つとして、清潔好きだったのだろう。
特に母は、看護婦~助産婦だったので尚更のこと。
我々子どもたちは毎朝の日課を割り当てられ、男の子の私と弟でさえも、
①寝床を上げたり②拭き&掃き掃除をしたり③ご飯をお釜からお櫃(ひつ)へと移したり---をさせられた。
それでも集落の中で大きな農家と違って狭い勤め人の家屋だったので助かったのかな(笑)。
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小中学校時(1954~62年)では、小使い(用務員)さんは職員室や校舎周りが中心で、
我々生徒たちは教室・廊下の掃除、運動場の草むしりなどをしたものだ。
その他に我が集落では、神社境内の掃き掃除・草むしりも定期的に奉仕した。
そんな中、高度経済成長に乗って電化製品の電気掃除機(クリーナー)や電気洗濯機などが普及して行った。
高校・大学浪人(1963~66年)へと進むに連れ、受験生として扱ってくれていたのか、姉や妹と違い殆ど家事手伝いをしなくなっていた。
するのはせいぜい自分の部屋位。
大学(1967~70年)の文化サークル部室では興味深い現象が見られた。
部屋の掃除を進んでやるのは決まって富山人。働き者の気性なのだ。
我が加賀人(能登人は富山人と同じく働き者)はいつもそれを見ているだけ、言うだけ番長(笑)。
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サラリーマンとなった初期の頃(1970~80年代)の企業では、
女性は毎朝のデスク雑巾掛けとお茶入れ・茶碗洗いをすることになっていたが、
「男女雇用機会均等法」が軌道に乗った1990年代以降は、幹部社員・役員を除けば自分のことは自分でするように改革されて行った。
その動きとは別に、日本の企業というものは職場環境のスローガン「5S運動」と呼んで、
「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「躾(しつけ)」などの風土・文化を大切にしている。
更に、高層ビル(インテリジェントビル)やOA化の波(1980年代後半~)に伴い、
「ぺーパーレス」(機密意識と不要廃棄)や「ファイリング」(紙箱に収納しオフィスでの量制限)の運動も併行して強化している。
尚、半期毎(期末期初)と年末には大掃除の行事が常だったが、
そうでなくても私が働いていた情報通信部門は、市場変化が激しく、
従ってそれに対応する組織改革・人事異動・レイアウト変更も多く、掃除の頻度が高かったものだ。
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さて、家庭の話。
我が妻は清潔好きの感があり、部屋・お風呂の掃除も洗濯も毎日でないと気が済まない。
夫の私は、小さい時の躾にも拘わらず清潔好きのまま成長できなかった(笑)。
埼玉の一戸建ての時でさえ、近所のご主人たちが年の暮れにセッセと車・雨戸/網戸・換気扇フードなどを磨いているのに、
妻からご指示がない限りワープロ(⇒パソコン)の前に座っていたものだった。
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【備考】 掃除(清掃)用具 (英 cleaning equipment)
日 英
帚(ホウキ) broom
塵取(チリト)リ dustpan
叩(ハタ)キ feather duster
雑巾(ゾウキン) wipe, mop
モップ mop
刷毛(ハケ、ブラシ) brush