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横浜美術館「メアリー・カサット展」スタディ

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横浜美術館「メアリー・カサット展」

 


行こう行こうと思いつつ猛暑に感(かま)けて、長かった開催期間も後僅か。
9月2日(金)に行くことに決め、事前スタディする。

 

 

 

 

みなとみらいは、昨年末のクリスマス以来。
クリスマスの横浜中区さんぽ: 横浜港・中華街・元町(2015/12/25)

 

 

 

■ 本展の概要

 


会期: 6/25(土)~9/11(日)
会場: 横浜美術館(横浜市西区みなとみらい3-4-1)
主催: 横浜美術館、NHK・NHKプロモーション、読売新聞社。
巡回予定: 京都国立近代美術館(京都市左京区岡崎円勝寺町)で9/27(火)~12/4(日)。

 


米国印象派を代表する女流画家メアリー・カサットの回顧展。
1981年の新宿・伊勢丹美術館以来35年振りの日本開催。

 


初期から晩年に至るまでのカサットの画業の全貌を紹介。愛に溢れるカサット芸術の真髄に触れる貴重な機会。
キャッチコピー「明るい色彩の母子像」「あふれる愛とエレガンス。」

 


①カサットの油彩画、パステル画、版画の代表作品、
②カミーユ・ピサロ、エドガー・ドガ、ベルト・モリゾなど交流のあった画家たちの作品、
③カサットが愛した日本の浮世絵版画や屏風絵、

合わせて111点。

 

 

*

 

 

■ 本展の構成

 
「メアリー・カサット展」出品作品リスト

 

 

Ⅰ. 画家としての出発


001《バルコニーにて》1873年、フィラデルフィア美術館蔵


003《赤い帽子の女性》1874/75年、ジェラルド&キャサリン・ピーターズ夫妻協力
004《刺繍するメアリー・エリソン》1877年、フィラデルフィア美術館蔵

 


Ⅱ. 印象派との出会い

 

Ⅱ-1. 風景の中の人物

 

006 《庭の子どもたち(乳母)》1878年 ヒューストン美術館
007 《浜辺で遊ぶ子どもたち》1884年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

 


Ⅱ-2. 近代都市の女性たち

 

013 《桟敷席にて》1878年ボストン美術館


014 《扇を持つ夫人(アン・シャーロット・ガイヤール)》1880年 個人蔵
020 エドガー・ドガ 《踊りの稽古場にて》1884年頃 パステル、紙(厚紙に貼付) ポーラ美術館


022 エドガー・ドガ 《踊りの稽古場にて》1895-98年頃 パステル、紙 石橋財団ブリヂストン美術館


024 エドガー・ドガ 《ルーヴル美術館考古展示室にて、メアリー・カサット》1879-80年 ソフトグランド・エッチング、ドライポイント、 横浜美術館

 


Ⅱ-3. 身づくろいする女性たち

 

025 《タオルを持って立つ裸婦》 1879年頃 ソフトグランド・エッチング、アクアチント アメリカ議会図書館
026 《髪をとかすモデルの後ろ姿》 1889年頃 ソフトグランド・エッチング、アクアチント メトロポリタン美術館
027 《髪を結う若い娘(No.2)》 1889年頃 ドライポイント アメリカ議会図書館

 


Ⅱ-4. 家族と親しい人々

 

029 《眠たい子どもを沐浴させる母親》1880年 ロサンゼルス郡立美術館


030 《アレキサンダー・J・カサット》1880年頃 デトロイト美術館
031 《庭に座るシュザン》1881年頃 個人蔵
032 《タペストリー・フレーム(織機)に向かうリディア》1881年頃 フリント・インスティテュート・オブ・アーツ


034 《ロバート・S・カサット夫人、画家の母》1889年頃 デ・ヤング、サンフランシスコ美術館


047 ベルト・モリゾ 《赤ん坊の顔》1872年 パステル、紙 個人蔵
048 ベルト・モリゾ 《縫い物をする女性》1879年頃 オルブライト=ノックス美術館

 


Ⅲ. 新しい表現、新しい女性

 

Ⅲ-1. ジャポニズム

 

051 《夏の日》 1894年 テラ・アメリカ美術基金

053 《化粧台の前のデニス》 1908-09年頃 油彩、カンヴァス メトロポリタン美術館

054 《湯浴み(たらい)》 1890-91年 ドライポイント、ソフトグランド・エッチング、 アメリカ議会図書館

055 《ランプ》 1890-91年 ドライポイント、ソフトグランド・エッチング、アメリカ議会図書館

057 《手紙》 1890-91年 ドライポイント、アクアチント アメリカ議会図書館


059 《沐浴する女性》1890-91年 ドライポイント、アクアチント ブリンマー・カレッジ


060 《母のキス》1890-91年 ドライポイント、アクアチント アメリカ議会図書館

 


Ⅲ-2. カサットが影響を受けた日本の美術品

 

053メアリー・カサット 《化粧台の前のデニス》 1908-09年頃 油彩、カンヴァス メトロポリタン美術館 【左図】

066喜多川歌麿 《高嶋おひさ 合わせ鏡》  1795年頃 木版 メトロポリタン美術館 【右図】

 

068 喜多川歌麿 《行水》 1801年頃 木版 メトロポリタン美術館

 

 

Ⅲ-3. シカゴ万国博覧会と新しい女性像

 

074 《果実をとろうとする子ども》 1893年 ヴァージニア美術館


076 《果実の収穫》1893年頃 ドライポイント、ソフトグランド・エッチング、アメリカ議会図書館
077 カミーユ・ピサロ《花咲くプラムの木》1889年頃 姫路市立美術館(國富奎三コレクション)

 

 

Ⅲ-4. 母と子、身近な人々

 

084 《家族》 1893年 クライスラー美術館

086 《母の愛撫》 1896年頃 フィラデルフィア美術館

093 《青い服を着た少年(No.2) 》 1906年頃 パステル、網目紙 アディソン美術館

096 《母と子》 1901-02年 グラファイト、紙 個人蔵(デイヴィッド・ニシンソン氏協力)

104 《愛撫》 1891年頃 ドライポイント フィラデルフィア美術館


105 《農家の母と子》1894年頃 ドライポイント、アクアチント メトロポリタン美術館

 

 

*

 


■ メアリー・カサット(Mary Stevenson Cassatt)の略歴


1844年5月22日~1926年6月14日、満82歳・没。

 

米国ペンシルヴェニア州ピッツバーグ郊外の裕福な家庭に生まれた。
子供の頃に6年間、フランスとドイツに滞在したことが絵に触れる切っ掛けとなり、画家を志す。女性が画家になる道は簡単ではなかった時代。

1861~65年、フィラデルフィアのペンシルベニア美術アカデミーで絵の勉強を始めたが、一向に進まない授業と男子学生の見下した態度に我慢できず。

 

1965年(21歳の時)、父親の猛反対を押し切ってパリに渡る。

23歳の頃


1870年、普仏戦争が勃発したため帰国。
1871年、ピッツバーグの大主教から、ヨーロッパ中を旅行した後でいいから、イタリアの絵画を模写して欲しいという依頼があり、再び渡欧。
エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入校できず。代わりにヨーロッパ各地の美術館を巡って独学で勉強。ルーヴル美術館やプラド美術館で名画の模写。

 

1872年、パリに落ち着きカミーユ・ピサロの下で絵を学ぶ。サロン(官展)に初めて出品、審査員は渋々受理。
批評家たちは酷評。色は明るすぎ、肖像画は実物以上に精密すぎ、色は明るすぎと。
サロンに入選するようになり、肖像画の仕事も舞い込むようになったが、正当に評価されていないと不満があった。

 

そんな中、美術商の店のウインドーで一枚の絵を見かけ、ガラスに鼻をくっつけるほど見入った。
印象派エドガー・ドガのパステル画だった。サロンに反抗しているのは自分一人でないことを知る。
1874年、その才能に注目したドガの訪問を受け対面を果たす! ドガもまた彼女が自分の感性に近い画家だと知る。


ドガから印象派の展覧会に作品を出品してみないかと誘われ、新しい絵画表現を模索する中で参加を決意。
1879年、第4回印象派展にカサットの絵が架かった。その後は、第7回を除き毎回出品。女流画家ベルト・モリゾとも親しくなり、パステルの使い方に熟達して行った。

 

1890年、エコール・デ・ボザールで開催された日本版画展に感銘を受ける。
ドガが浮世絵にインスピレーションを得たように、カサットも北斎や広重の名所画に触発され浮世絵を収集。
歌麿や清長の風俗表現や平面的な画面構成、トリミングの妙を見せる斬新な構図「近代的視点」を学ぶ。
ドガやピサロらとともに銅版画の技法を研究し、女性の日常を描いた多色刷り銅版画の連作を制作した。
1891年、カサットは、ドライポイントやアクアチントで描かれた、高度なオリジナル・カラーの連作版画を発表した。

 

カサットが優れた版画家だったことは、殆ど知られていない。
今回の展覧会では版画も紹介され、中でも近代版画の傑作と言われる10点組の多色刷り銅版画のシリーズ(通称「The Ten」)が全点揃っての公開は、非常に貴重な機会。
腐蝕銅版画の一種であるアクアチントによる光の表現や、ドライポイントの素早い線で捉えた人物の一瞬の表情。


"美術を私が見たいように見れるようになった”と語ったカサットは、それまでの定型的な主題から自由になって、自分自身の視点でモデルたちを描くようになって行く。
印象派から学んだ軽やかな筆遣いと明るい色彩で家庭の情景を描き、独自の画風を確立。
中でも母子を温かい眼差しでとらえた作品は人々の共感を呼び、カサットの名を不朽のものとしている。

 

自ら作品を描くだけでなく、メトロポリタン美術館の印象派コレクションの橋渡し役をするなど、アメリカにヨーロッパの絵画を紹介することに貢献した。
メトロポリタン美術館の所蔵作品の一部も、カサットの助言によってアメリカにもたらされたもの。

 

1904年、レジオン・ドヌール勲章シェヴァリエ章を受章

 

自力でヨーロッパで絵画の仕事をとって自立。白内障を発症する晩年まで画家を続けた。
尚、「母子像の画家」と呼ばれながらも、生涯独身で子どももいなかった。


 


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