■ 1月23日は「電子メールの日」
□ 我が国の携帯電話による「電子メール」の歴史(1968~1999年)
1968年、電電公社(NTT)のポケベルサービスが始まった。
1985年、通信自由化・NTT民営化により、NCC系のテレメッセージ各社がポケベルサービスに参入。NTTとのシェア争いが発生し、加入数(パイ)は増加した。
1992年、数字のメッセージが送信可能となり、個人間で数字の語呂合わせや暗号でメッセージを送り合うブームが到来し、一般層にも本格的に普及し始めた。
1994年1月23日、「1(いい)23(ふみ)」(いい文・E文)の語呂合せで、「電子メッセージング協議会」[現在の「Eジャパン協議会」・・・事務局は港区虎ノ門3-22-1虎ノ門桜ビル2階 総務省所管の(一般財団法人)マルチメディア振興センター内] が、「電子メールの日」に制定した。
1996年、カナのメッセージも送信可能になり、交信ブームは更に加速し、加入数のピークを迎えた。
1995~96年、簡易型携帯電話サービス(PHS)が始まり、端末や通話料の安さもあり若年層を中心に普及した。携帯電話に先駆けて、PHSでのショートメールサービス(SMS)が始まった。
1997~98年、携帯電話(NTTドコモmova)でもSMSが始まった。PHSと携帯電話での文字転送サービス・電子メールの普及も相俟って、急速にポケベルは携帯電話に取って代わられた。
1999年、NTTドコモがiモードを始め、旧DDIセルラーグループがEZwebを始め、世界に先駆けて携帯電話を使ったインターネットサービスが提供されて、SMSに代わり携帯メール(電子メール)も始まった。日本独自に着メロ機能をはじめとしたネットやメール対応した多機能携帯は、いわゆるフィーチャー・フォン(日本型高機能携帯電話)と呼ばれた。
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<追記>
□ 我が国のWebポータルサイトにおける電子メール運営事例 (2021年現在)
「Google Gmail」・・・米国Alphabet
「OCN」・・・NTTコミュニケーションズ
「goo」・・・NTTレゾナント
「docomo」・・・NTTドコモ
「MSN」・・・Microsoft⇒NTTぷらら
「Outlook」・・・米国Microsoft
「BIGLOBE」・・・KDDI
「au/ezweb」・・・KDDI/沖縄セルラー電話
「@nifty」・・・ノジマ
「Yahoo! JAPAN」・・・ソフトバンク
「AOL」・・・米国Yahoo
「iCloud」・・・米国Apple
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□ お題「消せずに残してるメールはある?」
▼本日限定!ブログスタンプ
これまで次の通り、マイ電子メール(e-mail)はマイブログとともに変遷して来た。
電子メールは都度消去している。
ブログの方は選択してUSBメモリに保存している。
▽ マイ電子メール&マイブログの変遷
2006年、OCNメール&ブログ「ドラにゃんこ」を開始。
2009年、Yahoo!!メール&ブログ「doranyanko」を併行して開始。
2012年、Amebaブログ「あすははれる」を併行して開始。
2014年、OCNブログが終息しgooブログへと移行したためOCNメール&ブログを解約。
2014年、Amebaブログを操作ミスで消滅させたためAmebaブログの新ハンドルネーム「ちとちのなとち」で再開。
2019年、Yahoo!ブログが終息。
2021年、Yahoo!メールを解約し、Googleメール (Gmail)へと移行。
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■ 昨日1/23(日)の早朝
□ 月齢19.4
20220123--06:57 (月没の2時間47分前)
南西の空
□ 久し振りの朝焼け・・・天気は曇天へと向かうのだろう。
20220123--06:57
東南東の空
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□ 部屋飾り: 寒椿
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昨日1/23(日)の午前中は、小村井(おむらい)香取神社の梅の開花を様子見。
言問通り ⇒ 隅田川==言問橋 ⇒ 東京スカイツリー ⇒ 浅草通り ⇒ 小村井香取神社
⇒ 浅草通り ⇒ リバーピア吾妻橋(Tomtomでパンを買った) ⇒ 隅田川==吾妻橋 ⇒ 雷門通り。
Mapion 周辺広域マップ
■「花王 すみだ事業場/東京工場&東京研究所&花王ミュージアム」[墨田区文花(ぶんか)2-1-3]
1923年操業開始。「小村井香取神社」に隣接し、工場敷地に沿って、明治通り沿いの東側は緑道のように梅が何本も植えられている。
早咲きの品種が多いものの、品種名の表示は無い。
八重咲きの白梅
八重咲きの濃紅梅
キジバト
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■ 「小村井香取神社」 (文花2-5-8)
平安時代末期(1165年頃)に千葉県香取郡から移住・開拓した人々の氏神として創建。祭神: 経津主(ふつぬし)==伊波比主(いわいぬし)大神。
"梅の名所"・・・江戸時代には葛飾郡西葛西領小村井村として、明治時代には東京府吾嬬(あづま)村として、梅園が盛況だった。明治末期(1910年)の洪水で広大な梅園は廃園となったが、神社境内に「香梅園」として一部残った。
説明板
昨日は「香梅園」(約120本)は未だオープン時期ではなかったので、園外から撮影。
早咲き品種を抽出してみた。
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品種 花弁色 一重/八重 開花 分類
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紅冬至 淡紅 一重 12月 野
酔心 淡紅 八重 1月 野
米良 白 一重 1月 野
黄金 淡黄⇒白 一重 1月 野
道知辺 淡紅⇒濃紅 一重 1月 野
茶青(八重) 乳白 一重/八重 1月 野
八重松島 淡紅 八重 2月 野 ☆
寒衣 淡紅⇒白 八重 2月 野 ☆
玉牡丹 黄白 八重 2月 野 ☆
八重唐 紅 八重 1月 緋
鴛鴦(エンオウ) 紅 八重 1月 緋
錦光 紅 八重 1月 緋
建久 淡紅 八重 1月 緋
千代鶴枝垂 淡紅 一重 1月 緋
大盃 紅 一重 1月 緋
紅千鳥 紅 一重 2月 緋
鹿児島紅 濃紅 八重 2月 緋
蘇芳 濃紅 八重 2月 緋
黒雲 濃紅 八重 2月 緋 ☆
月影(枝垂) 白 一重 1月 青軸
千歳錦 淡紅 八重 2月 杏
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今回、撮影できた早咲き品種は☆印
八重咲き黄白梅「玉牡丹」
八重咲き淡紅梅(白梅へと変化して行く 「寒衣(かんごろも)」
八重咲き淡紅梅「八重松島」
八重咲き濃紅梅「黒雲(こくうん)」
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■「区立緑と花の学習園」(文花2-12-17)
1981年4月開園。園内には約280種類の植栽。各種講習会を開催し、樹木医やグリーンアドバイザーによる緑化相談を行っている。
ユーフォルビア(和名トウダイグサ)
シジュウカラ
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■「吾嬬(あづま)神社」[墨田区立花(たちばな) 1-1-15]
日本武尊(倭建命、やまとたけるのみこと) が東征の際に相模から上総へ渡ろうとして暴風に遭い、妃の弟橘媛 (弟橘比売命、おとたちばなひめ)が身を海に投じて暴風を鎮めたことから、弟橘媛は行方知れず御召物がこの地の磯辺に漂い着いたので、これを「吾嬬(あづま==吾が妻)大権現」として崇め、1200年に社殿を造営した。当地名は弟橘(たちばな)より立花と命名された。境内社は「福神稲荷神社」。
説明板
周辺の「亀戸天神」「亀戸香取神社」などとは違って、派手さは無くひっそりとした素朴な佇(たたず)まい。
鳥居
社殿
御神木の「連理の樟(れんりのくす)」
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■ 「北十間川」から「旧中川」へ
墨田区向島~吾妻橋~押上~業平~文花 ~ 江東区亀戸~立花
「隅田川」(の言問橋~東武線橋梁~吾妻橋の中間) から支流となって、「東京スカイツリー」前を通り「浅草通り」と並行して流れて、最後は「旧中川」に合流する。
その合流点が墨田区と江東区の区界であり「蔵前橋通り==江東新橋」が架かっている。