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12月2日は「日本人宇宙飛行記念日」。中村吉右衛門さん逝(い)く。

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■  12月2日は「日本人宇宙飛行記念日」


1990年12月2日、TBS記者の秋山豊寛(とよひろ)氏 (1942年6月22日東京府東京市世田谷区生まれ、1966年国際基督教大学教養学部社会科学科卒業) が搭乗したソ連(現・ロシア)のソユーズ(TM-11号) が打ち上げられ、日本人初の宇宙飛行に成功した。秋山氏は1989年10月~1990年11月にモスクワ郊外の「星の街 宇宙飛行士訓練センター」で訓練を行い、打ち上げ前日の12月1日に国家審査委員会から宇宙飛行士の承認を受けた。

TBSが調印した1989年時点では、宇宙開発事業団NASDA (現・宇宙航空研究開発機構JAXA) 宇宙飛行士候補の毛利衛(まもる)氏 (1948年1月29日北海道余市町生まれ、1972年北海道大学大学院理学部化学修士、1976年南オーストラリア州立フリンダース大学大学院理学研究科化学博士) が搭乗した米国のスペースシャトルによる飛行が日本人初になる筈だった。

ところが1986年1月28日に打ち上げられた直後のスペースシャトル(チャレンジャーOV-099号)爆発事故の影響で、毛利氏の飛行時期が遅れたため、秋山氏が図らずも日本人初となった。
秋山氏は民間人として初めて商業宇宙飛行を利用するとともにジャーナリストとして初めて宇宙空間から報道した。

一方、毛利氏は1992年9月12日~20日にスペースシャトル(エンデバーSTS-47号) にペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者)として搭乗し、遂に2人目の日本人宇宙飛行士となった。


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□ お題「いつか月旅行してみたい?」
 

 

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私にとって、月は地球から眺める星だと思っている。
 
人類が月の表面や裏面に到達し、青い地球を眺められたこと---それはそれで感動した。
 
しかしそれを以ってしても、私の月に対する敬愛は揺るぎないものである。
 

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■ 中村吉右衛門さん逝く


闘病を続けていた二代目中村吉右衛門さんが11/28(日)、終に力尽きました。ご冥福をお祈りいたします。

私は、池波正太郎さん・原作、中村吉右衛門さん・主演のフジテレビ「鬼平犯科帳」シリーズの大ファンでした。


□ 昨日の朝、東の空には神秘的な月が浮かんでおりました。


月齢27.2 「有明月」
20211202--06:04 (月の出から約2時間、日の出は28分後)
東南東の空
 



何か、吉右衛門さんが愁眉を開いたような笑みにさえ感じました。



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□ 我が家が実際に歌舞伎を観劇したのは、旧「歌舞伎座」で2006年9月の「秀山祭九月大歌舞伎」を初体験しただけ。金沢から姉の家族が来た折に皆で観に来たもの。その時の演目は、中村吉右衛門の「車引」・「寺小屋」などだった。

「秀山祭九月大歌舞伎 寺小屋」ポスター2019年9月
 
 
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□「スポーツ報知」2021/12/02配信


▽ (1) 中村吉右衛門さん、闘病中に歌舞伎の音声を流すも一度も意識が戻らず力尽きる

文化功労者に選ばれた会見で笑顔を見せた中村吉右衛門さん(スポーツ報知2017年10月)



歌舞伎俳優で人間国宝の中村吉右衛門(なかむら・きちえもん、本名・波野辰次郎=なみの・たつじろう)さんが11月28日午後6時43分、心不全のため都内の病院で死去していたことが1日、明らかになった。77歳だった。「熊谷陣屋」の熊谷直実、「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助など多くの当たり役を持ち、歌舞伎界を代表する立役(男役)だったほか、時代劇ドラマ「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵役でも知られた。3月28日に急性の心臓発作で倒れ療養していたが、復帰はかなわなかった。葬儀、告別式は親族葬にて執り行う。

8か月間、闘病を続けていた吉右衛門さんが、ついに力尽きた。3月末に心臓発作で倒れ、心肺停止に近い状態で病院に搬送。その後、しばらくして別の病院に転院していた。見舞いに訪れた家族が呼び掛けたり、歌舞伎の音声を流すなどして奇跡が起きることを信じたが、一度も意識は戻らず。死去後に兄の松本白鸚(79)、おいの松本幸四郎(48)、尾上菊五郎(79)らが悲しみの対面を果たした。密葬の形でこの日通夜を終え、2日に葬儀が営まれる予定だ。

4歳で初舞台を踏んでから1973年。吉右衛門の2代目を継ぐことを宿命づけられ、歌舞伎に生涯をささげた。8代目松本幸四郎(初代・松本白鸚)の次男として生まれ、母方の祖父、初代中村吉右衛門の養子に。1948年、中村萬之助を名乗り、初舞台を踏んだ。地道に実力を付け、1966年に2代目吉右衛門を襲名。2011年には人間国宝、2017年には文化功労者となった。
初代吉右衛門の顕彰を目的に初代の俳名を冠した「秀山祭」を2006年から始めた。「秀山祭のことを考えない日は一日たりともない」と話すほど毎秋の公演を大事にし、生きがいとした。いくつもの大役での当たり役を持つが、「80歳で『勧進帳』の弁慶を」と語っていた夢は実現できなかった。
この日、吉右衛門さんの訃報が広まったのは午後4時ごろ。東京・歌舞伎座内にも衝撃が走った。2013年に吉右衛門さんの四女・瓔子と結婚し、義理の息子となった尾上菊之助(44)には早い段階で訃報は入っていたはずだが、悲しみをこらえ気丈に舞台に立つことに集中。37年の空白を経て再会するおしどり夫婦を描いた第2部「ぢいさんばあさん」で涙を誘った。出演後は無言で会場を後にした。2日の舞台出演後に取材対応する。
吉右衛門さんは7,8年前から味覚障害に悩まされ、内臓疾患で手術を受けるなど、満身創痍(そうい)で舞台に立っていた。2019年には高熱などの体調不良で歌舞伎座での公演を一時休演。今年1月にも体調不良で公演を少し休んでいた。
5月には歌舞伎座「七月大歌舞伎」の公演チラシに第2部「御存鈴ケ森(ごぞんじすずがもり)」の幡随院長兵衛役で吉右衛門さんの名前が掲載されたこともあった。復帰が期待されたが、6月に休演が正式発表された際、松竹は「経過観察及び医師による診察などを総合的に協議した結果、当面の間、療養に専念する必要があるとの判断にいたりました」と説明していた。


▽ (2) さらば鬼平…27年にわたり演じた吉右衛門流の長谷川平蔵、人間味あふれるキャラお茶の間に愛された

11月28日(日)に死去した中村吉右衛門さんは、歌舞伎界での活躍はもちろん、映像作品での時代劇スターとしても当たり役に恵まれた。とりわけ、フジテレビ系時代劇「鬼平犯科帳」※ では、人間味のある主人公・長谷川平蔵役を熱演。四半世紀以上続く看板シリーズに成長し、お茶の間の人気も博した。
「火付け盗賊改方、長谷川平蔵である。神妙にお縄につけ!」。りりしい声で放つ決めぜりふに、美しい立ち回り。吉右衛門さんは1989年の第1シリーズから、2016年の「THE FINALAL」まで、27年に亘り「鬼平」こと長谷川平蔵を演じ、時代劇スターとしても人気を博した。
池波正太郎さんの時代小説を原作に、凶悪犯から「鬼の平蔵」と恐れられた実在の人物をモチーフにした「鬼平犯科帳」。もともと、実父である8代目松本幸四郎(初代・松本白鸚)さんが、1969年のNET(現・テレビ朝日)系で初代の鬼平を演じ、吉右衛門さんが4代目だった。40歳でオファーを受けた吉右衛門さんは「まだまだ私には早すぎる。中途半端な気持ちでは受けられない」と何度も固辞。鬼平にふさわしい人物になるべく心身を磨き、5年後に満を持してオファーを受けいれるほどの思い入れがある作品だった。
吉右衛門さん版の鬼平は、悪人を取り締まる厳しさの中にも、人情味がにじむキャラクターだった。ただの勧善懲悪ではなく、人間の業や葛藤なども受け入れる鬼平の姿に加え、日本の四季のうつろいをジプシー・キングスの楽曲に乗せ送る斬新なエンディングも話題に。お茶の間の圧倒的な支持を集め、最高視聴率は23.6%(1992年5月13日=ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録し、鬼平は「理想の上司」とも言われた。
編成担当時代に「鬼平犯科帳」を担当したフジテレビの遠藤龍之介取締役副会長は「『鬼平犯科帳』シリーズはフジテレビの時代劇の原点とも言うべき作品」とコメント。「峻厳(しゅんげん)な『鬼の平蔵』と恐れられる反面、寛容で情け深い一面もあるという池波文学特有の難しい役柄を見事に演じ切ってくださいました」と熱演を湛(たた)えた。同局によると、追悼番組などの編成に関しては未定。

※「鬼平犯科帳」作家・池波正太郎さん(1990年死去、享年67)の人気時代小説が原作。凶悪犯に「鬼の平蔵」と恐れられる、「鬼平」こと火付け盗賊改方長官・長谷川平蔵を主人公に、役人や密偵が事件を解決する捕物帳。テレビドラマ版は1969年、8代目松本幸四郎(初代・松本白鸚)の主演でスタート。ほかに丹波哲郎さん、萬屋錦之介さんが演じた。中村吉右衛門さんは4人目の「鬼平」として、1989年7月から2016年12月まで、シリーズ150作に出演した。

 

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