■ 11月24日は「鰹節(かつおぶし)の日」
「い(1)い(1)ふ(2)し(4)」の語呂合せから。鰹節の使い方や上手な出汁(だし)の取り方などをもっと多くの人に知ってもらいたいとの想いを込めて、鰹節のトップ食品メーカー「ヤマキ(株)」(本社: 愛媛県伊予市米湊1698-6、営業本部: 東京都千代田区外神田4-8-2) が制定した。
昆布とともに鰹節は、日本独自の出汁文化、強いては和食料理法の原点とも言うべき。
豊かな風味と核酸系のイノシン酸が主成分の旨味(うまみ)を持ち、先ずは出汁が主役のような料理レシピの「すまし汁」「茶碗蒸し」などが挙げられる。
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□ 鰹節の略史
飛鳥時代の701年、大宝律令・賦役令により、「干し鰹」(「堅魚」・「煮堅魚」・「堅魚煎汁」) が献納品として指定された。
室町時代の1489年、『四条流庖丁書』(四條中納言藤原朝臣山陰卿) に鰹産品を削った「花鰹」の記述があり、鰹節の基礎技術ができた。
江戸時代、今日の「荒節」に近い保存ができる「熊野節」の製法を角屋甚太郎 [紀州印南浦(現・和歌山県日高郡印南町)の鰹漁民] が考案した。これを土佐藩が「土佐節」として導入した。更に甚太郎は、1688~1780年の間には、カビを利用して乾燥させる「改良土佐節」を考案し、長期輸送・長期保存に耐え味も良いと評判を呼び全盛期を迎えた。
鰹が「勝つ魚」に通じ、節が「武士」に通じることから、武家を中心に贈答品の定番商品として重宝され、ここから「商品券」が誕生した。
さらに拡散され、明治時代には土佐節・薩摩節・伊豆節が "鰹節の三大名産品" と呼ばれるようになった。
また、江戸時代の鰹節の番付、明治時代の品評会など、コンテストまで開催されていた。
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□ お題「おかかを手作りしたことある?」
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我々戦後世代の幼少~学生時だった1952~1970年頃には、出来合いの削り節==「おかか」が未だ商品化されていなかったため、各家庭では鉋(かんな)が搭載された「鰹節削り器」によって「おかか」を手作りしていたものだった。
1971年、海産物問屋の「城戸(きど)商店」が現在のヤマキに社名変更し、以後、鰹節だけでなく、めんつゆ・料理つゆ・だしの素・煮干しなどの調味料や加工食品を次々と手掛けて社業を発展させて来た。
1973年、「鰹(おかか)パック」のヒットにより、ヤマキ(愛媛県伊予市)は、マルトモ(愛媛県伊予市)・マルアイ(愛知県名古屋市)・にんべん(東京都中央区)を抜いて業界トップとなった。
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昨日11/24(水)
□ 曙(あけぼの)の月を撮影。
月齢19.2 「二十夜月」「更待月(ふけまちづき)」
20211124--06:31 (日の出から7分後)
南西の天空
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□ 前日の「新嘗祭(にいなめさい)」に因んで、午後、台東区~文京区の神社 (時々、仏閣) をいくつか訪ねた。
▽「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」(旧称「浅草本願寺」「浅草門跡」「東京本願寺」、台東区西浅草1-5-5)
・・・11/23(火・祝)~28(日)は「宗祖・親鸞聖人の御正忌報恩講」(命日11月28日に合わせ御恩を報ずる講が営まれている。
正門から本堂
東門から本堂
▽「矢先稲荷神社」(旧称「浅草三十三間堂」、台東区松が谷2-14-1)・・・「浅草七福神」のひとつ・福禄寿を祀る。
社殿
右は「深川江戸三十三間堂(通称「浅草三十三間堂」) 矢数帳」(1837年に出版)
▽「下谷神社」(旧称「下谷稲荷明神社」、台東区東上野3-29-8)・・・「下町(台東区・中央区)八社巡り」のひとつ。
社殿
▽「鳥越神社」(旧称「白鳥明神」「鳥越大明神」。台東区鳥越2-4-1)
社殿
▽「五條天神社」(旧称「医薬祖神」「下谷天満宮 (歌の道の祖神)」、台東区上野公園4-17)・・・「花園稲荷神社」が隣接。
社殿
▽「天台宗関東総本山東叡山寛永寺円頓院 弁天堂」(上野公園2-1) ・・・「谷中七福神」のひとつ・弁財天を祀る。
本堂
「不忍池 ボート池」(上野公園2-1)
▽「日蓮宗栄殊山 妙顕寺」(台東区池之端2-4-19)
本堂、日蓮聖人像 (和泉阿闍梨日法・作)