□ 昨日10/23(土)未明の「居待月(いまちづき)」月齢16.7
20211023--03:21 (正中から約2時間後)
南南西の天空
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■ 久し振りの真白き富士の嶺
明けて午前中は、荒川スーパー堤防 (強風なので主に河川敷、時々は堤防上) からの冠雪した富士山を拝み、「都市農業公園」を訪れた。
□ サイクリングルート(往復)
国際通り ⇔ 昭和通り/日光街道 ⇔ 隅田川==千住大橋 ⇔ 荒川==千住新橋
<これより荒川北詰の河川敷> ⇔ 西新井橋 ⇔ 扇大橋/日暮里・舎人ライナー ⇔ 江北橋 ⇔ 鹿浜橋 ⇔ 都市農業公園
▽ 隅田川==「千住大橋」(荒川区南千住6/7 ~ 足立区千住橋戸町)
▽ 荒川==「千住新橋」(足立区千住大川町 ~ 足立区梅田1) 橋上から
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「西新井緑地 野球場」(足立区梅田3/4) 越しに池袋駅周辺の超高層ビル群~富士山を遠望。
池袋駅周辺の「アウルタワー」(豊島区東池袋4-21−1)「エアライズタワー」(東池袋4-5-1)、「東京福祉大学池袋キャンパス」(東池袋4-23-1)「池袋サンシャインシティ60」(東池袋3-1-3)「ヴァンガードタワー」(東池袋3-21-21)、「ハレザタワー」(東池袋1-18-1)、
「豊島区役所」(豊島区南池袋2-45-1)「ブリリアタワー池袋」(南池袋2-45-2)、「豊島清掃工場」(豊島区上池袋2-5-1)
「アウルタワー」「エアライズタワー」
「東京福祉大学池袋キャンパス」
「池袋サンシャインシティ60」
「池袋サンシャインシティ60」
「ヴァンガードタワー」、「ハレザタワー」
「豊島区役所」「ブリリアタワー池袋」
「六本木ヒルズ森タワー」(港区六本木6-10-1)「東京ミッドタウン」(港区赤坂9-7-1)の遠景が
▽荒川==「西新井橋」(足立区千住元町 ~ 足立区関原1/本木1) の上から
荒川区尾久地区~足立区小台地区
「荒川之下流三十景 その十六・本木之景」案内板
「NTTドコモ代々木タワー」(渋谷区千駄ケ谷5-24-10)の遠景が浮かび上がる
日暮里駅前の「ステーションガーデンタワー」(荒川区西日暮里2-25-1)「ステーションプラザタワー」西日暮里2-22-1)
「虎ノ門ヒルズ 森タワー/ビジネスタワー」(港区虎ノ門1-23-1/1-17-1)も
「東京タワー」(港区芝公園4-2-8)も
「西新井橋」越しに「区立「荒川清掃工場」(荒川区荒川2-2-3)」(荒川区西尾久6-35-11) の観覧車(休園中)
▽ 隅田川==「尾久橋」(荒川区東尾久8 ~ 小台1)
▽ 荒川==「扇大橋」(足立区小台1/2 ~ 足立区扇1/2)
東京都交通局「日暮里・舎人ライナー」が行く。
「子供の広場」(扇1)で保育園児たちの運動会
「扇ゴルフ練習場」(扇1)のネット越しに「荒川清掃工場」(荒川区荒川2-2-3)「あらかわ遊園」
「江北橋緑地」(扇2)
「日本化薬(株) 東京工場」(足立区新田1-23-1)、
▽ 荒川==「江北橋」(足立区宮城1/2 ~ 扇2/足立区江北2)
▽ 荒川==「五色桜大橋」(宮城2 ~ 江北2)
残念ながらクレーンが邪魔になっている
▽ 荒川==「鹿浜橋」(足立区新田2/1 ~ 鹿浜1/2)
「鹿浜橋緑地」(足立区新田2先)の花壇
「北清掃工場」(北区志茂1-2-36)。
「岩淵水門」(通称「青水門」、北区志茂5-42-6)
川口市内の超高層マンション群「スカイフロントタワー川口」(川口市川口1-5-14)、「エルザタワー55/32」(川口市元郷2-15-1/2)
右端に「芝川水門橋」(川口市川原町 ~ 川口市領家5)
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■「区立都市農業公園」(足立区鹿浜2-44-1)
荒川スーパー堤防(江北橋~鹿浜橋)上にある足立区立の体験型公園。1984年に開園、1995年にリニューアルし「西武造園」が維持管理。
総面積7.2ha (古民家、田畑、芝生広場、梅林/五色桜の園、都市農業交流館、人と自然の交流館、河川敷花壇など。
荒川土手側入口にはレストハウスがあり、荒川の河川敷道路から芝川自転車道が分岐する地点として、サイクリング愛好者の休憩ポイントとなっている。
園内マップ
□ 古民家
母屋「和井田半兵衛家」・・・江戸後期に建造。花畑から移築。
長屋門「浅野久右衛門」(通称「谷久門」)・・・1897年に建造。谷中新田から移築。
手前にヤマイモ・ネギなどの畑
□ 田畑の丘
秋の風物詩・稲架掛(はざかけ)
ダイコンなどの野菜畑、ケイトウ・ジニアなどの花畑
せせらぎ、ドウダンツツジの紅葉が進んでいた
孵化したばかりのアキアカネ
□「産業交流館」
コスモス
□「人と自然の共生館 ハーブ園」
ハイビスカスローゼル
ヒメリンゴ
□ 四阿(あずまや)、池、カツラ林/メタセコイア林
夥(おびただ)しい数のコナラのドングリ
□ 荒川河川敷花壇にはコスモスが満開
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□ 帰途の河川敷ロードに飛び出した昆虫たちの多いこと。
カマキリ
エンマコオロギ
イナゴ
クルマバッタモドキ
ショウリョウバッタ
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■ 10月23日は「電信電話記念日」
1869年10月23日(旧暦9月19日) に東京~横浜間の電信線架設工事に着手したことに因む記念日。 1950年に当時の電気通信省(後に⇒郵政省⇒総務省) が制定した。
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□ 私と電話の関わり
<注> 電話の技術革新によって、呼称が次々と変化して行き、なかなか理解しにくい。
1964年、実家で農村集団自動電話(地域団体加入電話)の利用開始。
1967年頃、実家で単独電話(一般加入電話)の利用へと移行。
1971年、新社会人となって公衆電話、ビジネスフォン(構内PBXボタン電話)の利用開始。 1975年、結婚によりアパートで単独電話の利用開始。
1985年、電電公社民営化(NTT株式会社)、電話本機開放(レンタルでも売り切りでも販売自由化)により化粧電話の購入。
1993年、社用で無線呼び出し(ポケベル)の利用開始。
1995年、社用で簡易型携帯電話(PHS)の利用開始。
1997年、社用で携帯電話ドコモmovaの利用開始。
1999年、社用で携帯電話ドコモiモードの利用開始。
2009年、リタイアし携帯電話ドコモFOMA(ガラケー)の購入。
2018年、携帯電話ドコモXi&FOMAデュアル(未だスマホではなくガラスマホ)の購入。
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□ 電話文化の変遷 (価値観の転倒)
「文明の利器」と呼ばれた電話の"便利さ"を感じたのは、関東に就職でき移住した1971年以降であり、PHSそして携帯電話を利用開始した1990年代後半がピークだった。
しかし一方で、相手先が不要不急の内容でも邪魔をしたり危険にしたりする "文明の害毒" へと変貌しつつあった。
それが加速して行ったのが、2000年頃から電話を使った「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」などの出現だった。
しかもミレニアム以降から今日に至るまで様々な「電話詐欺」が横行している。
被害者認知件数のピークは、2004年の25,667件 (1日平均70件)。
被害総額のピークは、2014年の566億円。
警察検挙件数のピークは、2019年の6,817件(検挙率40%)。
我が家の固定電話は、留守番機能を使って話し手の声や発信番号を確認してから、折り返しの通話をするように心掛けている。
妻の携帯電話(スマホ)も同様にメールを含めて慎重に対応している。
私にとっては孫の写真やテレビ電話(LINE)が楽しみだ。
私自身の携帯電話(ガラスマホ)は殆ど電源を入れておらず(休眠に近い状態)。
外出時の通話・時計・歩数計としての利用がメインとなっている。
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□ お題「最近、電話した人はだれ?」
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「コロナ禍」では家族・親類・友人など親しい人たちとの往き来も滞(とどこお)っている。
家族との交信は専ら妻がスマホで行っており、
私のガラスマホは休眠に近い状態で、サイクリングなど外出中に妻と連絡を取る程度である。