■ 10月18日は「フラフープの日」
「フラフープ」(英 hula hoop)は、オーストラリアで考案された遊具とする説があったが起源は不明。その名前の由来は「フラダンス」(英 hula dance)のように腰を動かしてフープ==輪(hoop)を回すこと。遊具としての使用が主流だが、近年ではパフォーマンス/競技/ダイエットの用品としても使用されている。
これは高度経済成長の第Ⅰ期(1954~61年)の真っ只中で、私が小学校5年生時の1958年10月18日、米国での大流行を受け、日本で初めて「フラフープ」が東京の各デパートで一斉に発売された。当時の価格は1本、大人用が270円、子供用が200円で、1カ月で約80万本という爆発的な売上げを記録する大ブームになった。
ブーム当時は、美容と健康に良いと宣伝されたこともあり子供ばかりでなく大人もこの遊びに参加した。
男の子の私も女の子も所構わず毎日のように練習したものだったが、成長の早い女の子に上手さが目立った。
このブームは今にして思えば理解できるものだった。独楽回し(こままわし)・凧上げ(たこあげ)~ボーリングなどと同様、反復練習とコツ会得によって上達できる、遊びとスポーツを兼ね備えた楽しさがあった。
1958年の出来事 aflo.com
しかし、路上で交通事故に遭ったり、熱中していた子供の中に偶々内臓障害になった子がいたことで、胃に穴が開いて胃穿孔(いせんこう)になったり腸が捻じれて腸捻転(ちょうねんてん)になったりするとの噂が立ち、全国各地の小学校で児童に「フラフープ禁止令」が出るなど、反対派のPTAなどバッシングによってブームは一気に鎮静化してしまった。
後に、腸捻転とフラフープの因果関係は科学的に否定されたようだ。
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そして次に、私が中学生時の1960~61年に到来したブームが「ダッコちゃん」だった。発売当初には「木登りウィンキー」とか「黒ん坊ブラちゃん」とか呼ばれていた。これは単にコアラのようなポーズで上腕に抱き付かせる人形なのだ。
当時のBG (ビジネスガール、その後OLへと呼称変化) などの若い女性がアクセサリーとして付けて銀座などを歩く。ただそれだけのことで、我々少年の目には理解しづらく実につまらないものとして映った。
ところが、60年末までに240万個(x @180円=4億3200万円)もの大ヒット商品となった。これが製造元の宝ビニール工業所がタカラ⇒タカラトミーへと社業発展する礎(いしずえ)となったとのこと。
1960年のダッコちゃん人形ブーム showa mainichi.jp
しかし、「ダッコちゃん」は、当時の米国第35代大統領ジョン・F・ケネディの政権下(1961~63年) での「公民権運動」の高まりに伴い、米国に倣(なら)って日本でも黒人に対する配慮から次第に下火となって行った。
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□ お題「子供のころ好きだった遊びは?」
小学生時代(1954~59年)の私は、いわゆる "餓鬼大将" (ガキだいしょう)の一人として村中で暴れ回っていた。
後に "団塊世代" (1947~49年生まれ) と呼ばれた我々ベビーブーマーは人数が多く、何かと目立つ存在であった。
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▽ 我が夫婦が子供の頃 「好きだった遊び」
[凡例]
☆印は夫(私)の場合・・・※印は特に熱中した遊び
★印は妻の場合
無印は二人共の場合
石蹴り(いしけり、ケンケン/ケンパ)、缶蹴り☆※
掛けっこ☆、鬼ごっこ
押競饅頭(おしくらまんじゅう)、馬乗り
相撲☆※
騎馬戦☆、陣取り合戦
チャンバラ/月光仮面ごっこ☆※
イラストノスタルジー昭和の子供たち・チャンバラごっこ a-zero2b.sakura.ne.jp
縄跳び★、ゴム跳び(段跳び、ゴムダン)★、フラフープ
達磨さんが転んだ(だるまさんがころんだ)★
面子(メンコ、北陸ではパッチと呼んだ)☆※、独楽回し(こままわし)☆
メンコで遊ぶ子たち Yasuyo KAJITA
歌留多(カルタ)、百人一首☆※、花札★、将棋☆、源平合戦☆
積み木遊び(積み木崩し)
綾取り(あやとり)、お手玉、お弾き(おはじき)★、ビー玉☆※、毬突き(マリつき)★
卓球(ピンポン)、バトミントン★
塗り絵(ぬりえ)
飯事遊び(ままごとあそび、ごっこ遊び)★
隠れ家遊び(秘密基地造り)☆
凧揚げ(たこあげ)☆、紙飛行機☆、模型飛行機☆※
日光写真☆
紙芝居
木登り
魚釣り☆※、シジミ/タニシ/イナゴ/トンボ採り☆