■ 9月12日は「マラソンの日」
紀元前490年9月12日、アテナイ(アテネの古名) を襲いアッティカ半島のマラトンに上陸したアケメネス朝ペルシャ遠征軍を、アテナイ・プラタイア連合軍の将軍ミルティアデス(ギリシャ語 Μιλτιάδης、英語 Miltiades、紀元前550年頃~紀元前489年)が、重装歩兵密集部隊による奇策で劇的勝利を収めた。
フェイディピデス (ギリシャ語 Φειδιππίδης、英語 Pheidippides) という兵士が伝令となった。2説あるが②が有力説。
①ペルシャ軍のマラトン上陸を知らせスパルタ軍への救援を要請するため、アテナイ城門までの225kmを2日間で走破して絶命したと言われる日。
②勝利のエウアンゲリオン(朗報)をアテナイの元老に伝えるため、マラトン~アテナイの40kmを駆け抜けアテナイの郊外で「我勝てり」と告げた後に絶命したと言われる日。
1896年4月6日~15日(ユリウス暦で3月25日~4月3日)、アテネで「第1回オリンピック競技大会」が開かれるに当たり、この故事を偲んでマラトン~アテネ・パナシナイコ競技場の42.195kmの競走が加えられ、それが初のマラソン競走となった。
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□ お題「これまでに走った最高記録は何km?」
たぶん中学1年生の時(1960年)の約5km。
最も強いマラソンの記憶は小学校6年生の時(1959年の約2km)の2等賞。
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昨日9/12(日)午後は曇天の中、
春日通り~隅田川=厩橋(うまやはし)~「旧安田庭園」~国技館通り
~隅田川=両国橋~浜町河岸通り~「浜町公園」~江戸通りをサイクリングした。
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■ 「旧安田庭園」 (墨田区横網1-12-1)
江戸期、本庄松平家(常陸笠間藩主⇒丹後宮津藩主)の下屋敷。治期の1889年、安田財閥の祖である安田善次郎所有。大正期の1922年、東京市に寄贈されたが翌年の「関東大震災」によりほとんど失った。昭和期の1927年、東京市により復元され市民の庭園として開園。1.4ha。1967年、東京都から墨田区に移管。潮入の池(心字池)を持つ庭園として、浜離宮庭園や旧芝離宮庭園と並ぶ。
イロハモミジの紅葉が始まった
サルスベリ、モッコクの褐色の実
潮入りの池
サルスベリが終期の爛漫
キンモクセイの開花がいよいよ盛んに
サンゴジュの赤い実
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□「両国国技館」(横網1-3-28)
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今日は「九月場所(秋場所)」の初日。15:29(間もなく十両取組、約30分後に新横綱土俵入りと中入り)
国技館のやぐら太鼓。失われている品格回復を新横綱に期待したい。
↑幟(のぼり)旗
大相撲秋場所初日の横綱照ノ富士関の不知火(しらぬい)型・土俵入り(中央)。
太刀持ち・宝富士関、露払い・照強関
==「日刊スポーツ」河田真司カメラマン・撮影20210912==
伊勢ケ浜部屋で新横綱・照ノ富士の壮絶な努力を間近で見て来た兄弟子の西前頭5枚目宝富士(34=伊勢ケ浜)が、本場所初土俵入りの太刀持ちを務めた感想。
「すごいと思います。それで太刀持ちができるのもありがたい」
「ちょうど横綱の背中を見たときに、ウルッときたものがあった。ライトのせいか光って見えました」
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□「浜町河岸通り 遊歩道」(中央区東日本橋2/1先の「隅田川テラス」に沿って)
テイカカズラ、アゲハチョウの好物ヤブガラシ
ヒガンバナ
コムラサキ
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■ 「区立浜町公園」 (中央区日本橋浜町2-59)
中央区を代表する公園。東京市第7代市長⇒内務大臣 兼 帝都復興院総裁の後藤新平(1857/07/24~1929/04/13) の主導により、1923/09/01発生した「関東大震災」によって壊滅的な被害を受けた首都復興事業の一環として、「隅田公園」「錦糸公園」と並んで建設された。当地は江戸期には一橋徳川家/笠間藩主・牧野家/弘前藩主・津軽家/熊本藩主・細川家の下屋敷があり、明治期以降には細川家の邸宅があった。都市公園として整備され1929年に開園した。4.65ha。公園内には、遊具・芝生広場、デイキャンプ場、「区立浜町運動場」、「区立総合スポーツセンター」、「区立浜町メモリアル」、加藤清正を祀る「清正公寺」などが在る。東野圭吾の直木賞受賞作(2005年)の東宝映画「容疑者Xの献身」(西谷弘・監督、2008年公開)の舞台となった。
アメリカハナミズキの紅葉が始まった
イチョウの紅葉と銀杏の実のコントラスト
□「区立総合スポーツセンター」(日本橋浜町2-59-1)、ビオトープ
ピラカンサの群生
エゴノキの実
ボケノキの実
イチジクの実
コムラサキ
シロシキブ
ハギの開花
□「日蓮宗 清正公寺」(日本橋浜町2-59-2)
生け簀(いけす)の金魚