■ 9月6日は「黒の日」
「く(9)ろ(6)」と読む語呂合わせから、「京都黒染工業協同組合」(京都市上京区千本通竹屋町下ル主税町806) が伝統染色の黒染めをPRし黒紋服や黒留袖の普及を図るために、1988年に制定し、創立40周年となる1989年から実施した。
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□ お題「お気に入りの黒いアイテム、見せて!」
▼本日限定!ブログスタンプ
黒いウエストポーチ
「(株)吉田」(千代田区東神田1-17-6)「PORTER」
黒いエコバッグ
(株)紀ノ國屋(新宿区市谷砂土原町3-5 偕成ビル3F)「エコバッグ」
黒いデジカメ
キャノン(株)(大田区下丸子3-30-2)「コンパクトデジタルカメラPowerShot」
黒い空気清浄機
ダイキン工業(株)(大阪市北区中崎西2-4-12梅田センタービル)「加湿ストリーマ空気清浄機」
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■ 9月8日は「白露(はくろ)」
□「二十四節気」(にじゅうよんせっき) ・・・中国の戦国時代(紀元前5~2世紀)に考案された『宣明暦』(せんみょうれき、太陰太陽暦)がルーツ。江戸時代には渋川春海による『貞享暦』(じょうきょうれき、太陰太陽暦) をはじめ何度も改暦。明治時代1883年に『本暦』(別称『神宮暦』、太陽暦) とその簡略化した『略本暦』(りゃくほんれき)を発行。
第15番目の節気。定気法では太陽黄経が165度の時。
前の節気「処暑」から数えて15日目。2021年は9/7(火)頃。
期間としては9/7(火)~次の節気「秋分」前日の9/22(木)。
▽『暦便覧』(こよみびんらん) ・・・江戸時代1787年(再版1798年)に著者:太玄斎/出版者:蔦屋重三郎ほかによって成立。
「陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也」
大気が冷えて来て露ができ始める頃。この頃、太陽が離れて行くため青空も段々と高く見えるようになって来る。暑さ(陽気)が寒さ(陰気)と入れ替わり、夜間の大気が冷えて来て(気温が低下して)、大気中の水蒸気が露となって草花の上に降りる(朝露が白く涼しく見える)、夏から秋への変わり目である。
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□「七十二候」(しちじゅうにこう)・・・ 古代中国(詳しい年代は不明) で考案された季節を表す方式のひとつ。「二十四節気」を更に約5日ずつ3つに分けた (24X5=72) 期間。
陰暦(旧暦)では7,8,9月を秋季として、8月を「仲秋 (中秋)」と呼び、「白露」9/7(火)~「秋分」9/23(金・祝)~「寒露」の前日10/7(木)。
旧暦八月「十五夜」の月の別称は「中秋の名月」「芋名月(いもめいげつ)」で、月見を催す。
2021年は9/21(火)月齢14.1 の月を指す。
月見の供え物としては-----
収穫を祝い「芋名月」の由来となったサトイモなどのイモ類、クリ。
月との繋がりが強くなるブドウなどのツル類。
「秋の七草」のうちの稲穂に見立てたススキ(オバナ)、コスモスなどの季節の草花。
▽ 初侯「草露白し(くさつゆしろし)」 9/7(火)~9/11(土)頃
夏から秋への変わり目。草の上に降りた朝露が朝の空気の中で白く涼しく見える時期。「露が降りると晴れ」という言葉があり朝露は1日の天気を伝えてくれる。
▽ 次侯「鶺鴒鳴く(せきれいなく)」 9/12(日)~9/16(木)頃
鶺鴒(セキレイ)が鳴き始める頃。鶺鴒は水辺(川辺)を好む鳥のため川の上流域に行くほど多く見られ、秋の季語。
▽ 末侯「玄鳥去る(つばめさる)」 9/17(金)~9/22(水)日頃
春先に日本へ渡ってきて子育てを終えたツバメが秋になり越冬するために東南アジアの方へ海を渡って行く時期。気温が下がり陽(気)から陰(気)へ空気が変化し、動植物も塒(ねぐら)を変えたり季節に沿って変化を見せ始める時期。
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□ 旬(しゅん)の物
▽ 魚
秋刀魚(サンマ)
縞鯵(シマアジ)
戻り鰹(カツオ)
鰯(イワシ)
鮑(アワビ)
▽ 野菜
南瓜(カボチャ)
椎茸(シイタケ)
唐鰤子(トンブリ)
▽ 花
鶏頭(ケイトウ)
菊(キク)
秋明菊(シュウメイギク)
花縮砂(ジンジャー)
▽ 果物
葡萄(ブドウ)
梨(ナシ)
木通(アケビ)
栗(クリ)
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■ 9月9日は「重陽(ちょうよう)の節句」(別名「菊の節句」「栗の節句」)
古代中国から伝わった旧暦の「五節句」のひとつ。
古代中国の「陰陽思想」から来た考え。奇数は縁起の良い「陽」の数。ところが「陽」の数が重なり極(最大数)になることを「重陽」と呼び、「陽」の気が強過ぎて不吉へと転化するとされ、その邪気を祓(はら)わなければならなくなる。菊の花を飾り菊の花びらを浮かべて香りを移した菊酒を飲んだり、茱萸(しゅゆ・かわはじかみ・ぐみ)の実を袋に入れ、丘や山に登って遠くを見たり(登高したり)して、邪気を払い長命を願った。
この風習が日本に伝わり---
平安時代には「重陽の節会(せちえ)」として宮中の行事となり、詩を詠んだり菊花酒を飲んだり、また「菊の被綿(きせわた)」と言って、重陽の節会の前夜に、菊の花に綿を被(かぶ)せて、菊の香りと夜露を滲(し)み込ませ、宮中の女官達が身体を撫(な)でたりして、邪気を祓い長寿を願った。
室町時代になると、菊を食材とするようになり、様々な菊料理が作られる。
江戸時代になると、武家の祝日として継承され、松尾芭蕉にも関連句が見られる。「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂」・・・元禄2年(1689年)の重陽の頃、加賀・山中温泉にて。「草の戸や 日暮れてくれし 菊の酒」・・・元禄4年(1691年)の重陽の頃、大津・義仲寺(ぎちゅうじ、木曽寺)にて。
その後も明治時代までは、庶民の間でも行事が行われていて、農山村では「栗の節句」とも呼ばれ栗御飯などで節句を祝って来た。