■ 「6月28日は貿易記念日」
1963年に通商産業省(現・経済産業省)が、貿易に携わる企業だけでなく広く国民全般が輸出入の重要性について認識を深める日として制定した。
□「安政五カ国条約」
江戸幕末の旧暦1859年(安政6年)6月28日、徳川幕府がアメリカ・イギリス・フランス・オランダ・ロシア5ヵ国からの圧力に屈して結んだ「修好通商条約」に基づいて横浜・長崎・箱館(函館)の3港を開港し、自由貿易を許可する布告を出した。
この通称「安政五カ国条約」は、第121代孝明天皇(在位1846年3月10日~1867年1月30日)が反対したため、幕政トップの大老・井伊直弼 / 老中・間部詮勝は天皇勅許を得ないまま先ず「日米修好通商条約」調印を強行した。
この条約の本質は、①五カ国の領事裁判権(治外法権)を認める、②日本の関税自主権が無い、③双務的最恵国待遇が無い(ロシアとだけは双務的)---などの "不平等条約" だった。
大老/彦根藩主・井伊直弼の専制政治はこればかりではなかった。
老中/備後福山藩主・阿部正弘、水戸藩主・徳川斉昭、薩摩藩主・島津斉彬らが主導した雄藩協調体制を否定し、幕閣絶対主義を反対者の粛清により維持しつつ、朝廷からの政治介入を阻止した。
□「安政の大獄」、
これらに反発した尊王攘夷派志士をはじめ、親藩・譜代・外様大名から公卿に至る有力者100人以上を処罰・連座した「安政の大獄」(1858年~1859年)が断行された。
▼ 主な死刑・獄死
安島帯刀……水戸藩家老、切腹
梅田雲浜……元小浜藩士、獄死
橋本左内……越前福井藩主・松平春嶽の家臣、斬罪
頼三樹三郎…京都の町儒者、斬罪
吉田松陰……長州藩主・毛利敬親の家臣、斬罪
▼ 主な隠居・謹慎
一橋慶喜(後の徳川慶喜)……一橋徳川家当主
松平春嶽……福井藩主
徳川慶篤……水戸藩主(まもなく免除)
徳川慶勝……尾張藩主
伊達宗城……宇和島藩主
山内容堂……土佐藩主
堀田正睦……佐倉藩主
□「桜田門外の変」
そしてこれに報復して水戸藩士(脱藩扱い)17名と薩摩藩士1名とによる「桜田門外の変」が、1860年3月3日に勃発し井伊直弼が暗殺されたことにより、一連の幕府弾圧は収束した。
▼ 襲撃者関係
水戸藩士:
稲田重蔵……討ち死。
山口辰之介……(鯉渕が介錯し)切腹。広岡子之次郎、鯉渕要人……ともに自刃。
佐野竹之介……(重傷の後に)絶命。斎藤監物……(重傷の後に)絶命。黒澤忠三郎……(重傷の後に)病死。蓮田一五郎……伝馬町獄舎で斬首。
大関和七郎、森五六郎、杉山弥一郎、森山繁之介……ともに伝馬町獄舎で斬首。
広木松之介……(逃亡の末に)切腹。増子金八……(逃亡の末に)病死。海後磋磯之介……(明治維新後に)復帰。(検視見届役の)岡部三十郎……伝馬町獄舎で斬首。
後藤哲之介……(広木の逃亡を幇助したが故に)断食し絶命。
(現場総指揮の)関鉄之介……伝馬町獄舎で斬首。
薩摩藩士:
有村次左衛門……(井伊直弼の首級を手に)自刃。
▼ 彦根藩の顛末
井伊家……跡目相続が認められ取り潰しを免れた。
直弼以外の死亡者8名……跡目相続が認められ、井伊家の菩提寺・豪徳寺に慰霊碑が建立された。重傷者1名……護衛に失敗し家名を辱めたとして幽閉され、軽傷者4名は切腹または斬首。
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■ お題「旅をするなら船派?飛行機派?」
旅行は、長くて2週間程度が適当と考えているので、飛行機派。
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昨日6/27(日)は終日、どんより暗い雨雲が空を覆っていたが、結局は降らなかった。
午後、近場の向島/東向島界隈~「東白鬚公園」までサイクリングし園内散歩したところ、初夏の花が一杯に咲いていた。
国際通り ⇒ 言問通り ⇒ 隅田川==桜橋 ⇒ 墨堤通り ⇒ 東白鬚公園。
帰途は、隅田川==白鬚橋 ⇒ 橋場通り ⇒ 一葉桜・小松橋通り ⇒ 国際通り。
□ 台東区西浅草3 ~ 今戸1付近
キョウチクトウ/紅白

ノウゼンカズラの群生
遠景は、言問橋/台東区役所/アサヒビール本社

□ 墨田区向島5 ~ 東向島3付近
タチアオイ

花壇(1)ヒマワリ、ヒャクニチソウ(別名ジニア)

花壇(2)
オイランソウ(別名フロックス)

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■「都立東白鬚(ひがししらひげ)公園」(墨田区堤通2-2)
1986年に防災拠点機能を持った都立公園として開園、10.3ha。周囲には防災拠点として「都立リハビリテーション病院」、「都営白鬚東アパート(防災団地)」、「都立汐入公園」などが在る。
ムクゲ/八重咲き

タチアオイ群生

グラジオラス
テッポウユリ/トライアンファーター(LOハイブリッド系)