■ 6月29日は「ビートルズ記念日」
日本のグループサウンズ(GS)のルーツはザ・ビートルズ(The Beatles)。1960年活動開始、62年メジャーデビュー、70年ポール脱退、71年正式解散。
私のような凡人の高校生が歌謡曲の御三家を歌っていた時期に、先を行くクラスメイトの中には、英語の授業中にビートルズの歌詞を覚えているヤツもいた。
ビートルズの影響を受け始めていた若者たちに、1965年冬、2度目の来日をしたザ・ベンチャーズの"テケテケテケテケ"のエレキギターのサウンドが拍車をかけた。
田辺昭知や寺内タケシが、そしてザ・スパイダースやジャッキー吉川とブルーコメッツが、マスコミを賑(にぎ)わしていた。
日米安保闘争と同様に、ロングヘア、エレキギターとロックバンド、ジャズ喫茶の兆(きざ)しに、世の中の大人達は眉を顰(ひそ)めていた。
私が浪人時代に入って間もなく、梅雨酣(たけなわ)の1966年6月29日(水)、遂にビートルズが来日した。東京「日本武道館」で6月30日(木)、7月1日(金)、7月2日(土)の3日間5回の公演を行った。そして7月3日(日)にはもう、次の公演先のフィリピン・マニラ「アラネタ・コロシアム」に向かって離日している。それ以降、メンバー全員が揃って来日することはなかった。
来日公演の実況中継。私は金沢駅に程近い予備校を下校途中、ナショナル(現・パナソニック)ショールームの街頭白黒テレビから流れるナンバーを、傘を差しながら聴いた。流れて来た「Yesterday」(1965)などのメロディは、当時の心境から共感を覚えるのに十分であった。幸いにも翌年春に大学に合格した時には、もうGSブームに火が付き、さながら爆発前夜だったのだ。
1970年、大学4年夏休みに卒業前の旅行をした。その起点はストレートで就職していた友人のアパート(東京・大田区)。解散の足音が忍び寄っていたビートルズの映画「レット・イット・ビー」を、日比谷のスバル座で観た。満員で席がなく通路に新聞紙を敷いて。
同映画撮影後の1970年4月のポール・マッカトニー脱退、1971年3月12日のグループ正式解散。
その3月末には、GSを牽引(けんいん)した我々ベビーブーマーがロングヘアをカットし、大都市の企業へと吸い込まれる時期と相俟(あいま)って、GSもまた駆け抜けるように解散して行った。
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□ お題「よく聴く洋楽を教えて!」
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私が好きな洋楽曲は次の通り。
□ オーストリア・クラシック音楽のセレナーデ(小夜曲)「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(「Eine kleine Nachtmusik」)・・・作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)、リリース:1787年。
□ 米国映画「知りすぎていた男」(「The Man Who Knew Too Much」)の主題歌「ケセラセラ」(スペイン語「Que Sera, Sera」/ 英語「Whatever will be, will be」)・・・作詞:レイ・エバンズ(Raymond Evans)、作曲:ジェイ・リビングストン(Jay Livingston)、歌:ドリス・デイ(Doris Day)、リリース:1956年。
□ 米国映画「サウンド・オブ・ミュージック」(「The Sound of Music」)のサントラ・・・作詞:オスカー・ハマースタイン2世(Oscar HammersteinⅡ)、作曲:リチャード・ロジャース(Richard Rodgers)、編曲:アーウィン・コスタル(Irwin Kostal)、リリース:1959年。
□ フランス/イタリア映画「太陽がいっぱい」(「Plein Soleil」)のサントラ・・・作曲:ニーノ・ロータ(Nino Rota)、リリース:1960年。
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□ フランス・シャンソン音楽「雪が降る」(「Tombe la neige」)・・・作詞・作曲・歌:サルヴァトール・アダモ((Salvatore Adamo)、リリース:1963年。
□ フランス映画「男と女」(「Un homme et une femme」)のサントラ・・・作曲:フランシス・レイ(Francis Lai)/バーデン・パウエル・ヂ・アキーノ(Baden Powell de Aquino)、リリース:1966年。 YouTube
□ 英国ロック音楽のアルバム「アビイ・ロード」(「Abbey Road」)の収録曲「サムシング(Something)」作詞・作曲・Vo:ジョージ・ハリスン(George Harrison):、「カム・トゥゲザー(Come Together)」作詞・作曲:レノン=マッカートニー(Lennon-McCartney)/Vo:ジョン・レノン(John Lennon)・・・リリース:1969年。
□ イタリア映画「ひまわり」(I Girasoli) のサントラ・・・作曲:ヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini)、リリース:1970年。
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□ 米国映画「ゴッドファーザー」(「The Godfather」)のサントラ・・・作曲:ニーノ・ロータ(Nino Rota)、リリース:1972年。
□ 米国映画「ゴッドファーザーPartⅡ」(「The Godfather PartⅡ」)のサントラ・・・作曲:ニーノ・ロータ(Nino Rota)/カーマイン・コッポラ(Carmine Coppola)、リリース:1974年。
□ 英国映画「ノッティングヒルの恋人」(「Notting Hill」)の主題歌「She」・・・作詞:ハーバート・クレッツマー(Herbert Kretzmer)、作曲:シャルル・アズナヴール(Charles Aznavour)、歌:エルヴィス・コステロ(Elvis Costello)がカヴァー、リリース:1999年。
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□「矢先稲荷神社」(旧称「浅草三十三間堂」、台東区松が谷2-14-1)
江戸初期寛永年間の1642年、徳川三代将軍・家光公が国家の安泰・町民の安全祈願・武道の練成のため江戸浅草の地に京都「三十三間堂」を模した堂を建立。弓矢の練成のために「通し矢」が行われ、先人に勝てば堂に掲額でき武士の名誉となるため大いに流行した。この堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、場所が丁度、的場の先に在ったので「矢先稲荷」と名づけられた。ところが元禄年間の1698年、世にいう「勅額火事」(ちょくがくかじ)が起こって三十三間堂も矢先稲荷も焼失してしまい、三十三間堂は深川への移転を命ぜられた。付近町民の懇願により当地村社の産土神(うぶすながみ)として再建が許され「矢先稲荷神社」と称された。愛され親しまれて来たけれど、1923年の関東大震災、1945年の太平洋戦争東京大空襲など度重なる災難に遭遇し、1960年に現社殿が再建された。主祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。札所:浅草七福神のひとつ・福禄寿神。
「夏越の大祓(なごのおおはらえ) 茅の輪潜(ちのわくぐ)り」・・・参道の鳥居や笹の葉を建てて注連縄を張った結界内に茅で編んだ輪を建て、ここを氏子が正面から最初に左回り、次に右回りと8字を描いて計3回潜ることで、半年間に溜まった病と穢(けが)れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願う儀式。
□「東京松屋ショールーム・ショップ」(東上野6-1-3)
ムクゲ
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□「下谷神社」(旧称「下谷稲荷明神社」、東上野3-29-8)
「下谷稲荷(明神)社」と呼ばれた都内最古の(730年に上野忍ケ岡で創建された)稲荷神社。江戸時代の1627年に上野山下へ、1680年に広徳寺門前(神田昌平橋)へ遷座した。明治維新の1872年に「下谷神社」と改称、昭和時代の1928年に区画整理により当地へ遷座した。下町八社巡りの一社。社殿の天井画は横山大観・作。1798年に初代・三笑亭可楽によって境内で初めて寄席が開かれたため「寄席発祥の地」石碑がある。
「夏越の大祓 茅の輪潜り」

□「真言宗智山派摩尼山成就院 宝光寺」(通称「下谷田中成就院」、東上野3-32-15)・・・1611年に神田北寺町に創建し、慶安年間(1648~51年)に当地(當時田の中)へ移転。
ジョウリョクヤマボウシ

尚、同名の「成就院」が近くに在る。「真言宗智山派神勝山 成就院」(通称「百観音成就院」、台東区元浅草4-8-12)・・・浅草橋付近の矢の倉に創建し、万治年間(1658~61年の間)に当地(浅草新寺町)へ移転。